テーマ:探険史

探険家の歴史 第1部 その6 7大陸最高峰に挑んだ日本の若き冒険者達 その1

7大陸最高峰を列記していく。 1 [ヨーロッパ] エルブルース(5633m /ロシア) (以前はモンブランとされていたが、今はカフカス(コーカサス)山脈最高峰のこの山がヨーロッパ最高峰となっている。) 2 [アフリカ] キリマンジャロ(5895m /タンザニア)  (ヘミングウエーの「キリマンジャロの雪」…
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探険家の歴史 第1部 その5 世界最高峰に挑んだ男たち

        世界最高峰エベレストです ↑  関野吉晴はグレートジャーニーの旅を、人類拡散の歴史の最終到達点、南米のナバリーノ島から始めた。  そこは人類最終の到達点であり、人間の平面的な拡散の、最も遠くへ到達した地点でもあった。  一方、人類が地上から上方へ到達した地点となると、この地球上ではヒマラヤ山脈のエベ…
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探険家の歴史 第1部 その4 南極に魅せられた探検家たち-奇跡の全員生還

 求む男子、至難の旅。わずかな報酬、極寒、暗黒の日々、絶えざる危険、生還の保障なし。  成功の暁には名誉と賞賛を得る。  これは南極探検隊員を募るシャクルトンの求人広告である。  アーネスト・シャクルトン(Sir Ernest Henry Shackleton ,1874年2月2日 - 1922年1月5…
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探険家列伝第1部 その3 南極点に魅せられた男たち・・・・男たちの熱き戦い!!

 南極の探検史をひもといてみる。  南極探検の歴史は、20世紀初頭に命を賭けて,残された最後の大陸に挑んだ3人の男たちの存在抜きには語れない。それでは、男たちの勝負の舞台となった南極探検の歴史を調べてみる。 1772~75年 キャプテン・クック(英) 初めて南極探検 (エンデバー号での太平洋の調査等や壊血病をビタミン摂取によっ…
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探険家の歴史 第1部 その2 北極点を目指した男たち

 人類拡散の歴史を逆方向から辿った関野を1番目に取り上げたが、2番目は北極点を目指した探険家で、西洋人として最初に北極点に到達したロバート・エドウィン・ピアリー、そして日本人からも、河野兵市を紹介する。  北極点探検の歴史は、大航海時代の頃から、探検家の足跡が歴史として残っており、まず、オランダのバレンツあたりからスタ…
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探険家列伝第1部 その1 関野吉晴-グレートジャーニーの旅

 今のところ、一番惹かれる探険家は関野吉晴か。  1949年東京生まれ、探険家でありかつ医師でもある関野吉晴。一橋大学法学部卒。 その後社会人になってから、探険家としてやっていく上で医師の資格の必要性を感じ、 横浜市 立大学医学部に入り、卒業後、医師免許を取得。 一橋大学時代に探検部を創設。 アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域…
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探検家の歴史 第4部 その9  一畳敷の松浦武四郎

 探検家列伝第四部は18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した日本の探検家達を取り上げたが、その最後として蝦夷地を探査し北海道という名を考案した松浦武四郎を取り上げる。  武四郎は19世紀初頭の1818年に誕生し、ほぼ19世紀を生き1888に没した、幕末から明治にかけての探検家である。  彼は伊勢国一志郡須川村(現…
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探検家列伝第4部 その8 伊能忠敬その3(「大日本沿海輿地全図」まで)

 第六次測量(1808年~四国)のため、1月25日に江戸を出発。  前回は約2年にわたる測量で風紀に問題が起きた為、忠敬は第六次測量を四国だけにとどめ、淡路島を経由して3月21日に鳴門から徳島に入り、南下して4月21日に室戸岬到着、29日に高知に入った。  続いて海岸線に沿って北上し、8月11日に愛媛・松山到着、瀬戸…
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探検家の歴史 第4部 その7 伊能忠敬その2(第5次測量まで)

 ここで第1次測量から第10次測量までを一覧表で見てみる。  最初は忠敬一家(息子、弟子、下男、人足)程度の規模の測量で測量費用も自腹だったが、第三次測量(1802年~東北日本海側)からは測量地の藩の協力が得られ、手当も支給されて収支トントンに近づいた。  第五次測量(1805年-1806年~近畿・中国地方)からは幕府直…
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探検家の歴史 第4部 その6 伊能忠敬( 日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人)

 伊能忠敬は足かけ17年をかけて全国を測量し、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人である。(下図は伊能地図であるが、今とほぼ同じ、伊能のすごさは、こういうことである。)  忠敬の測量の旅は第1次から第10次測量までの10回で、探検と言えるようなものは第1次測量を行なった1800年の蝦夷地太平洋岸の…
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探検家の歴史 第4部 その5 近藤重蔵(探検家として人間として、尋常でないレベルに達した人)

 近藤重蔵(1771年〜1829年7月16日))は、江戸時代後期の幕臣で探検家である。間宮林蔵、平山行蔵と共に文政の三蔵と呼ばれている。  1771年に身分の低い貧しい武士である御先手組与力・近藤右膳守知の三男として江戸駒込に生まれ、山本北山に儒学を師事した。  幼少の頃から神童と言われ、8歳で四書五経を諳んじ1…
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探検家の歴史 第4部 その4 松田伝十郎(樺太探検と蝦夷地経営に活躍)

 松田伝十郎は江戸時代の越後国出身の幕臣・探検家で、間宮林蔵と樺太を探検し、樺太見聞の実測図を作成した。  伝十郎は越後国頚城郡鉢崎村(現新潟県柏崎市)の貧農浅貝長右衛門の家に長男として生まれ、そこで道普請をしていた幕臣大西栄八郎にその才能を見出されて江戸に赴いて武士となるべく修行した。  その後、大西の同僚…
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探検家の歴史 第4部 その3 探検家を超えた村上島之丞

村上島之丞(1764年-1808年)は、本名を秦檍丸という。  18世紀の中頃伊勢の神職の子として生まれ、寛政の改革の立役者である松平定信に見出されて数回に及び蝦夷地の探検を行なった北方探検家の一人である。  彼は探検家としても名高いが、地理学や風俗学に長じており、また文章や絵画にも優れた才能を持っていたため…
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探検家の歴史 第4部 その2 最上徳内(今世紀における最も卓越した探検家)

 最上徳内はシーボルトに、「尊敬すべき老人」「尊敬すべき老友」で「今世紀における最も卓越した探検家」と高く評価された北方探検家である。  徳内は1754年、出羽国村山郡楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)に生まれ、1836年10月14日に、82歳で亡くなっている。  実家は貧しい普通の農家であったが、農業のかたわらた…
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探検家列伝第4部 その1 松前藩の祖「武田信廣」と松前藩

18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した日本の探検家達を取り上げる前に、江戸幕府から日本の北の辺境の地である蝦夷地(北海道、樺太、千島)の支配権、交易権を公認されていた松前藩について簡略に記する。 渡島半島の南端にはアイヌ文化成立の前段階である擦文時代には、擦文文化と本州土師器文化の間に生じたクレオール(植民地)的文化である青苗文…
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探検家の歴史 第4部 プロローグ

 探検家列伝第一部は、北極、南極、世界の最高峰「ヒマラヤ」、世界の7サミットを目指した探検家・冒険家達を取り上げた。  探検家列伝第二部は、世界の7サミットと関野吉晴「グレートジャーニーの旅」にあやかり、世界5大陸の最長河川をアマゾン川、ミシシッピ川、長江、ボルガ川、ナイル川と、その河口から源流まで極める旅に出た。…
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探険家の歴史第3部 第10章 鎖国体制下の日露関係

   鎖国体制下の日露関係をここで年代順に確認する。 カムチャッカ半島を探検したアトラソフ以後のことである。  1711年、イワン・コジレフスキーが千島列島を探検し、最南部の国後島に上陸した。  1739年、ヴィトゥス・ベーリングが派遣したマルティン・シュパンベルク隊が仙台湾や安房国沖に接近したものの、徳川幕府は沿岸防備を強化した為…
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探険家の歴史 第3部 第9章 カムチャッカ半島を制覇したウラジーミル・アトラソフ

 シベリアの制覇の次は、シベリア大陸の東端にぶら下がっている巨大半島カムチャッカ半島の制覇、この半島の面積は472,300km2もあり、日本の約1.3倍の広さである。  カムチャツカ半島について、西洋人に詳細な情報がもたらされ始めたのは17世紀のことで、イワン・カムチャツキーやセミョン・デジニョフなどのロシアの探検家によってこ…
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探険家の歴史 第3部 第8章 間宮林蔵の時空を越える旅

 蝦夷錦を運んだ道は、中国・南京から大陸を流れる大河アムール川(中国名・黒龍江)を経て、樺太から北海道に至る、全長約5千キロにおよぶ壮大な「北のシルクロード」であった。  この北のシルクロードを歩いて清国の仮府(一時的な役所)が置かれていたデレン(現ノボリノフカ)を中心に黒龍江(アムール川)下流での調査…
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探険家の歴史 第3部 第7章 探検家たちによるシベリア制覇

   ロシアがシベリアの東端に達するのは、イェルマークがイルティシュ川で水死してからわずか63年後の1648年のことである。  ユーラシア大陸を東西にまたぐ大国家を建設するという野望を実現した民族は、モンゴル民族とロシア民族である。  モンゴル民族は騎馬でそれを実現したが、草原の終わるところで森林に阻まれて止まった。 …
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探険家の歴史第3部 第6章 松前慶広と蝦夷錦

 ロシアに於ける辺境がシベリアなら、日本における辺境は北海道(蝦夷地)及び樺太そして千島列島であろう。  シベリアはロシア民族以外の民族の居住する場所で、同じように北海道(蝦夷地)及び樺太そして千島列島も大和民族(日本民族、和人ともいう)以外の民族が住んでいた。  今回は、この日本の辺境地域に進出した松前氏までの…
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探険家の歴史 第3部 第5章  イェルマークとシビル・ハン国

 チンギス・カンの長男のジョチ家がロシアに築いた領土はジョチ・ウルス(ジョチ家の所領)と言われ、それはキプチャク・ハン国とも呼ばれた。  ジョチ・ウルスは、13世紀から18世紀にかけて、黒海北岸のドナウ川、クリミア半島方面から中央アジアのカザフ草原、バルハシ湖、アルタイ山脈に至る広大なステップ地帯を舞台に、ジョチの…
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探険家の歴史第3部 第4章 マンモスハンター達の軌跡

 新人類が日本に到達したのは今から3万年前、その頃の日本は氷河期の最終氷期の終期に当って、樺太と北海道と本州と四国と九州は繋がっており、朝鮮半島と日本列島も繋がっていた時期があったと考えられる。   氷期になると間氷期に比し平均気温が7~8度下がり、海岸線が極端に遠退き、陸上の大部分が氷に覆われる。海面は100mも下が…
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探険家の歴史第3部 第3章  「東洋人の皮をかぶった西洋人」の国「ロシア」

 一般的にはルーシの時代からロシアという国が始まったと考えられている。そのロシアが周辺の国々を従えてソ連体制を築いたのが1917年、この時ソ連(ロシア)の版図は歴史上で最大になり、事実上は世界の国の半分を支配していた。  このソ連(ロシア)に参加した国々は、15共和国を数える。  中央アジアでは、ウズベク共和…
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探険家の歴史 第3部 第2章 現生日本人のたった一人の祖先

 現生日本人のたった一人の祖先  今から800万年ほど前、地球の地殻変動が激しくなり、エチオピアからタンザニアまで走っている、世界最大の大地溝帯(グレート・リフト・バレー)が生まれた。  大地溝帯の東側は上昇、西側は沈下して巨大な壁が出来た。  西側から吹いてくる湿った風がもたらす雨は、壁を乗り越えられず、全部西…
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探険家の歴史 第3部 第1章 ルーシの国を創った北欧バイキング

 ルーシの国を創った北欧バイキング  ロシアは東スラブ人の国である。  スラブは東スラブ人(ロシア人、ウクライナ人 、ベラルーシ人)西スラブ人(ポーランド人 、チェック人、スロバキア人)、南スラブ人(スロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、ブルガリア人、マケドニア人)に分類される。  スラヴ人…
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探険家の歴史 第3部(環オホーツク海の探険家達) プロローグその2

 日本とロシアはあらゆる意味で対照的な国柄である。まず国の大きさだが、日本は37万㎡、一方ロシアは1700万㎡、45倍も大きい。  それに対して人口は、日本が1億3000万人、一方ロシアは1億4000万人、ほぼ同数であるので、人口密度は日本が37倍ということになる。  ただ、日本の大地のほとんどが温帯地域なのに、ロシ…
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探険家の歴史第3部 環オホーツク海の探険家達 プロローク

 探険家列伝第1部は、北極、南極、世界の最高峰「ヒマラヤ」、世界の7サミットを目指した探険家・冒険家達を取り上げた。  探険家列伝第2部は、世界の7サミットと関野吉晴「グレートジャーニーの旅」にあやかり、世界5大陸の最長河川をアマゾン川、ミシシッピ川、長江、ボルガ川、ナイル川と、その河口から源流まで極める旅に出…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 その9 源流にて(ファイナル)

   セネシオの繁茂するルェンゾリ(月の山)  ナイル河には三箇所の源流地点がある。  一つ目は、1862年に、探検家スピークが発見したビクトリア湖から流れでる川の最上流地点である。そこにはナイル河源流の碑が建てられている。この地点は、一般的にはナイル河の源流として大多数の人々に受け入れられている。 …
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