テーマ:探険史

最強の先住民族 ヤマナ族

最強の先住民族「ヤマナ族」(成人式での姿)  およそ10万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスは急速に地球上に拡散、5万年前にはアジア南部,ヨーロッパ,オーストラリアがその居住範囲となり、大型草食獣を追ってアジア大陸を北上していったグループは、2万年前に最後の氷河期に入ると動物と一緒に移動を開始し,海水面が下って陸続きのベーリング…
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アマゾン河の旅 その7 マチュピチュ遺跡にて

          ワイナピチュからマチュピチュを遠望 ↑   マチュピチュ遺跡を発見したのは、アメリカのエール大学で考古学を教えていたハイラム・ビンガムである。  旺盛な好奇心を持ったアメリカの青年は、ワイナピチュ(若い峰という意味)やマチュピチュ(年老いた峰という意味)を見上げるマンドル・パンパというウルバンバ川沿いの地に住…
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探険家の歴史 第2部 アマゾン河の旅 その6 クスコにて

 アマゾン河はイキトスでマラニョン川とウカヤリ川に分かれるとそのあと本流ウカヤリ川はペルー内陸部を南下し、ビルカバンバ山脈の北端で、ウルバンバ川とアブリマック川に別れる。    ウルバンバ川 ↑  クスコはウルバンバ川の上流部に位置する町、そしてそこはアマゾンの源流地でもある。  アマゾン河の旅…
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探険家の歴史 第2部 アマゾン河の旅 その5 イキトスにて ピラルクー釣りにチャレンジ

 イキトスは、ペルーの国土の60%を占める熱帯雨林のジャングルの中にポッンと築かれた、人口30万程の町である。  そこはもう、モンゴロイドの末裔の住むペルーの国であり、僕ら東洋人にとってはどこか懐かしい、故郷に来たような思いを呼び起こす町でもある。   イキトスの町です。↑  ここへは陸路でいく…
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探険家の歴史 第2部 アマゾン河の旅 その4 マナウスにて-ドラードを釣る?

 マナウスはアマゾン河口より1500キロ上流にあるアマゾナス州の州都である。このあたりでもアマゾンの河幅は10kmもある。  地形的には、アマゾン本流のソリモンエス川と、最大の支流であるネグロ川の合流部北側に立地し、170万以上の人口を抱える、巨大都市である。  1900年前後をピークとする未曾有…
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探険家の歴史 第2部 アマゾン河の旅 その3 サンタレンにて-ツクナレを釣る

 サンタレンはベレンとマナウスの中間に位置する人口25万人の都市で、アマゾン流域では第三位の大きさを誇っている。  アマゾン河の支流の一つであるタパジョス河に面しており、アマゾン河中流域の日系人の多い都市として有名で、作家の故開高健が『オーパ!』執筆の基地とした街でもある。  歴史的には1661年…
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探険家の歴史 第2部 アマゾン河の旅 その2 ペレンにて~ピラニアを釣る!!

アマゾン河の旅 その2 ペレンにて~ピラニアを釣る!!   アマゾン河口、中洲がマラジョー島、↑  河口の幅が東京ー名古屋間とほぼ同じで、その間にマラジョー島という九州とほぼ同じ面積の中州を抱えるアマゾン川。  ベレンは、その大河アマゾン河口の街で、マラジョー島の南に位置する人口120万の大都市…
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探険家列伝第2部 アマゾン河の旅 その1 プロローグ

 探険家列伝第2部は、世界5大陸(南北アメリカ、アジア、ヨーロッパ、アフリカ)の 最長河川に挑戦する旅である。  関野吉晴は、グレートジャーニーの旅で、人類拡散の歴史を逆方向から再現する旅を10年間で達成した。  その旅は、南アメリカの最南端のナバリーノ島からアフリカのタンザニアのラエトリ(人類発祥の地とされている)までの壮大な旅…
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探険家列伝第1部 その8 関野吉晴のグレートジャーニーの旅Ⅴ 感動のゴールシーン

音楽あり、↓クリックです!! https://youtu.be/9bsKqTwEU7I 画像を小さくして、グレートジャーニーのテーマソング、「カンバセーションピース」を聞きながら読むと気分がでます。 カテヨさんは立ち止まり、地面の下を示した。 そこには、カバや象やキリンなど実に沢山の動物達の足跡が残っていた。 ここには…
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探険家列伝第1部 その8 関野吉晴のグレートジャーニーの旅Ⅳ ラエトリまでの最後の道

音楽あり、↓クリックです!! https://youtu.be/9bsKqTwEU7I   画像を小さくして、グレートジャーニーのテーマソング、「カンバセーションピース」を聞きながら読むと気分がでます。ゴールまで20kmを切った。 関野は10年の旅のいろんなシーンや出会った人たちなどを思い浮かべながら、サバンナの道を走っていく。 …
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探険家列伝第1部 その8 関野吉晴のグレートジャーニーの旅Ⅲ オルドバイの平原を疾走する関野(k)

音楽あり、↓クリックです!! https://youtu.be/9bsKqTwEU7I 画像を小さくして、グレートジャーニーのテーマソング、「カンバセーションピース」を聞きながら読むと気分がでます。 オルドバイの平原を疾走する関野、そこには400万年前と変わらない野生の姿があった。 関野を最初に出迎えたのはキリン達、悠然…
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探険家列伝第1部 その8 関野吉晴のグレートジャーニーの旅Ⅱ オルドバイ博物館でアファール猿人の足跡に出会う

音楽あり、↓クリックです!! https://youtu.be/9bsKqTwEU7I 画像を小さくして、グレートジャーニーのテーマソング、「カンバセーションピース」を聞きながら読むと気分がでます。 タンザニアのオルドバイ渓谷(ラエトリはこの南にある。)の入口に、オルドバイ博物館がある。 ここには関野が見たがっていたものがあった…
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探険家列伝第1部 その8 関野吉晴のグレートジャーニーの旅Ⅰラエトリまでの道のスタート

音楽あり、↓クリックです!! https://youtu.be/9bsKqTwEU7I画像を小さくして、グレートジャーニーのテーマソング、「カンバセーションピース」を聞きながら読むと気分がでます。 関野のタンザニア「ラエトリ」感動のゴール再現 ここはケニアとタンザニアの国境である。 関野はケニアからタンザニアへ自転…
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探険家の歴史 第1部 その7 7大陸最高峰に挑んだ日本の若き冒険者達 その2

渡辺大剛(はるひさ)7summits登頂時の写真 ↑ 山はマッキンリー(6,194m)、2004年次で世界2位の彼は、最後に紹介する。  続いて、早稲田から石川直樹を紹介する。 1977年6月30日  東京生まれ  高校2年でインド・ネパールを訪ねて以来、ユーコン川を漂ったり、ミクロネシアで伝統航海術を学…
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探険家の歴史 第1部 その6 7大陸最高峰に挑んだ日本の若き冒険者達 その1

7大陸最高峰を列記していく。 1 [ヨーロッパ] エルブルース(5633m /ロシア) (以前はモンブランとされていたが、今はカフカス(コーカサス)山脈最高峰のこの山がヨーロッパ最高峰となっている。) 2 [アフリカ] キリマンジャロ(5895m /タンザニア)  (ヘミングウエーの「キリマンジャロの雪」…
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探険家の歴史 第1部 その5 世界最高峰に挑んだ男たち

        世界最高峰エベレストです ↑  関野吉晴はグレートジャーニーの旅を、人類拡散の歴史の最終到達点、南米のナバリーノ島から始めた。  そこは人類最終の到達点であり、人間の平面的な拡散の、最も遠くへ到達した地点でもあった。  一方、人類が地上から上方へ到達した地点となると、この地球上ではヒマラヤ山脈のエベ…
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探険家の歴史 第1部 その4 南極に魅せられた探検家たち-奇跡の全員生還

 求む男子、至難の旅。わずかな報酬、極寒、暗黒の日々、絶えざる危険、生還の保障なし。  成功の暁には名誉と賞賛を得る。  これは南極探検隊員を募るシャクルトンの求人広告である。  アーネスト・シャクルトン(Sir Ernest Henry Shackleton ,1874年2月2日 - 1922年1月5…
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探険家列伝第1部 その3 南極点に魅せられた男たち・・・・男たちの熱き戦い!!

 南極の探検史をひもといてみる。  南極探検の歴史は、20世紀初頭に命を賭けて,残された最後の大陸に挑んだ3人の男たちの存在抜きには語れない。それでは、男たちの勝負の舞台となった南極探検の歴史を調べてみる。 1772~75年 キャプテン・クック(英) 初めて南極探検 (エンデバー号での太平洋の調査等や壊血病をビタミン摂取によっ…
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探険家の歴史 第1部 その2 北極点を目指した男たち

 人類拡散の歴史を逆方向から辿った関野を1番目に取り上げたが、2番目は北極点を目指した探険家で、西洋人として最初に北極点に到達したロバート・エドウィン・ピアリー、そして日本人からも、河野兵市を紹介する。  北極点探検の歴史は、大航海時代の頃から、探検家の足跡が歴史として残っており、まず、オランダのバレンツあたりからスタ…
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探険家列伝第1部 その1 関野吉晴-グレートジャーニーの旅

 今のところ、一番惹かれる探険家は関野吉晴か。  1949年東京生まれ、探険家でありかつ医師でもある関野吉晴。一橋大学法学部卒。 その後社会人になってから、探険家としてやっていく上で医師の資格の必要性を感じ、 横浜市 立大学医学部に入り、卒業後、医師免許を取得。 一橋大学時代に探検部を創設。 アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域…
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探検家の歴史 第4部 その9  一畳敷の松浦武四郎

 探検家列伝第四部は18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した日本の探検家達を取り上げたが、その最後として蝦夷地を探査し北海道という名を考案した松浦武四郎を取り上げる。  武四郎は19世紀初頭の1818年に誕生し、ほぼ19世紀を生き1888に没した、幕末から明治にかけての探検家である。  彼は伊勢国一志郡須川村(現…
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探検家列伝第4部 その8 伊能忠敬その3(「大日本沿海輿地全図」まで)

 第六次測量(1808年~四国)のため、1月25日に江戸を出発。  前回は約2年にわたる測量で風紀に問題が起きた為、忠敬は第六次測量を四国だけにとどめ、淡路島を経由して3月21日に鳴門から徳島に入り、南下して4月21日に室戸岬到着、29日に高知に入った。  続いて海岸線に沿って北上し、8月11日に愛媛・松山到着、瀬戸…
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探検家の歴史 第4部 その7 伊能忠敬その2(第5次測量まで)

 ここで第1次測量から第10次測量までを一覧表で見てみる。  最初は忠敬一家(息子、弟子、下男、人足)程度の規模の測量で測量費用も自腹だったが、第三次測量(1802年~東北日本海側)からは測量地の藩の協力が得られ、手当も支給されて収支トントンに近づいた。  第五次測量(1805年-1806年~近畿・中国地方)からは幕府直…
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探検家の歴史 第4部 その6 伊能忠敬( 日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人)

 伊能忠敬は足かけ17年をかけて全国を測量し、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人である。(下図は伊能地図であるが、今とほぼ同じ、伊能のすごさは、こういうことである。)  忠敬の測量の旅は第1次から第10次測量までの10回で、探検と言えるようなものは第1次測量を行なった1800年の蝦夷地太平洋岸の…
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