テーマ:大阪散歩

大阪散歩 その49  「司馬遼太郎への旅」の終わり 

 「司馬遼太郎への旅」は今回で最終回とする。  これから訪れるのは、司馬さんの街道をゆく「堺・紀州街道」の中で司馬さんが訪れた赤字アの南宗寺と、赤字イの「阪本のほねつぎ」から入る旧紀州街道である。  「さかい利晶の杜」で時間をとってしまって、肝心の「堺・紀州街道」の中の予定地を見る時間が少なくなったので、大急ぎでバスに乗り、大…
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大阪散歩 その48 宿院散策  

 バスで橋本駅まで行き、そこから南海鉄道高野線に乗って難波までいき、そこから電車を乗り継いで、今夜泊まるコンフォートホテル堺に午後3時頃に到着した。  2時間ほどホテルのベッドで寝てから風呂に入って、それからホテル近くの前に食べたことのある中華食堂で、再び前と同じ焼肉定食を食べ、生ビールも飲んだ。  料金は1200円程度だった。…
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大阪散歩 その47  金剛峯寺を見て高野山を去る

 最後に見学したのは高野山一山の総本山である金剛峯寺で、高野山全体が金剛峯寺の境内とされていて、この寺の住職は座主と呼ばれて高野山真言宗の管長を務めている。  ここから金剛峯寺に入っていく。  しばらく歩くとこの正門であるが、この正門は金剛峯寺の建物の中で最も古い歴史を持った門で、昔は天皇や皇族や高野山の住職だけしか通る…
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大阪散歩 その46  空海の御廟に到達 

 奥の院は霊廟であるが、霊廟の本来持っている暗さが全くなく、清潔で透き通るような風に洗われているような気分にさせる場所である。  ここは結城秀康の墓所である。  秀康は徳川家康の次男で、越前松平家宗家初代である。  そのほぼ向かい側の、横道を入ったところに浅野内匠頭墓所があった。  いずれも江戸時代を生きた人たちの墓…
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大阪散歩 その45 高野山奥の院に入る

 これから高野山奥の院に入る。  奥の院は高野山の信仰の中心であり、弘法大師空海が永遠に生き続けている壇上伽藍と並ぶ最高の聖地である。  一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、樹齢千年に及ぶ杉木立の中に、諸大名を初めとして著名人の方々の墓や無名の方々の墓までありとあらゆる方々の墓が、祈念碑や慰霊碑まで含めると20万基を…
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大阪散歩 その44  高野聖

 それではこれから、高野山の「精神」の中心である「奥の院」まで歩くことにする。  ところで、司馬さんの「高野山みち」には、壇上伽藍も奥の院も登場しない。  ここで司馬さんの興味の対象となったのは、高野聖と言われた人たちが住んだ「真別処」という場所と、異端と言われた日本密教の真言宗の一法流である「立川流」である。  「空海の風…
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大阪散歩 その43 密厳院に泊まる

 今夜の宿は密厳院であるが、泊まる場所には何の問題もなかったが、夕食場所には苦労した。  密厳院の近くの店で夕食を食べようと考えていたが、その店の主人が病気がちと言うことで、店が閉まっていて結局別の店で夕食を食べた。  この辺の食堂は昼飯までは出しているが夕方早くに店を閉めてしまうので、食堂を探すのに苦労した結果、午後…
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大阪散歩 その42 壇上伽藍と大門を散策

 町石1番石のある場所から、町石ゼロの場所である壇上伽藍に向かって歩いている。  正面に見える門は、高野山開創1200年を記念して2015年に再建された中門であるが、このように周囲より一段高く壇上伽藍上に建てられている。  宇宙を物質と精神の二元論で捉えた空海の世界の中へ、正面から入っていく。  この中…
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大阪散歩 その41 高野山「壇上伽藍」へ向かう。

 九度山から橋本駅に帰り、返却予定時間より3時間半早い11時半に、駅前のトヨタレンタに車を返却したので、差額の3000円が戻ってきた。  駅前のコンビニで安寿司を買い、橋本駅前から高野山駅まで電車の代行として走っている満員の大型観光バスの中で、身を縮めてこの昼食を食べた。  高野山へ向かう道は結構渋滞もあったが、2時間ほどかかると聞…
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大阪散歩 その40  慈尊院を散策

 慈尊院は、816年に空海が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、この九度山の雨引山麓に高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場としたのが始まりである。  その後、空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)がこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰し…
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大阪散歩 その39  真田庵を見学

 今日は当初の日程を大幅に変更する日となった。  今も不通となっていて、代行バスで高野山に行くしかなくなったからである。  ナビの使い方に不慣れなため何回か道に迷いながら、代行バスの発着基地となっている橋本駅に到着し、バスの状況を係りの方からしっかり確認した。  午後からのバスではバス待ち時間が1時間以上かかるだろうということで、…
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大阪散歩 その38 名刹粉河寺を散策

 今夜の宿は丸浅旅館、粉河寺のすぐ近くにある旅館である。  根来寺を出て、距離にして10km、時間で20分程の丸浅旅館に到着し、ゆっくりとくつろいだ後で夕食となった。  やはり旅館料理ということで、二食で7,560円と割安でも夕食は肉鍋や刺身などが付いて、その上混ぜご飯や蕎麦なども出て、ご馳走と言える料理…
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大阪散歩 その37 覚鑁の仏教哲学「密厳浄土」思想 

 聖天堂を出て、堂の前にある聖天池を、覚鑁のことを考えながら歩いている。  空海の思想と覚鑁の思想の違いについては先ほど書いたので、今度は覚鑁について記していく。  覚鑁は鳥羽上皇の病を治すなどして上皇に可愛がられ、若手抜擢されて高野山では大学総長のような仕事をしていた人である。  35歳で古式な真言宗の伝法を体得し…
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大阪散歩 その36 覚鑁(かくばん)のこと

 ここは大師堂で、真言宗を開いた弘法大師を祀っている。  後ろに見える大塔とともに秀吉の焼き討ちをまぬがれた建物で、本尊の造立銘から1391年頃の建立と推定されている。  これから西方へしばらく歩き、光明殿や行者堂、聖天堂などを見て回る。  ここは光明殿へ入る前にある江戸時代建築の鐘楼門である。  こ…
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大阪散歩 その35 根来寺に到着 

 昼過ぎとなったので、県立紀伊風土記の丘のピュアという食堂で昼食を食べることにした。  ここはジビエ(野生鳥獣の肉)料理の店で、イノシシを扱っている店である。  日前宮からレンタカーで10分程、距離にして10km弱の距離にある。  このピュアで、1200円のイノシシ肉のカツと生姜焼きの定食を頼んだ。 …
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大阪散歩 その34 日前宮  

 和歌山城から車で10分、距離で3kmの日前宮に向かった。  日前宮は1つの境内に日前神宮と國懸神宮の2つの神社があり、総称して日前宮と呼ばれている。  日前宮は紀伊国一宮となっていて、入口から向かって左に日前神宮、右に國懸神宮がある。  日本で最も歴史のある神社の一つで神話と関わりが深く、「日本書紀…
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大阪散歩 その33  紅葉渓庭園から天守へ

 次に、鶴の渓に隣接する和歌山城西之丸庭園(通称は紅葉渓庭園)に入った。  紅葉渓庭園は紀州藩初代藩主徳川頼宣が和歌山城北西隅の西之丸に隠居所の御殿と共に築いた池泉回遊式庭園である。  虎伏山麓の斜面という立地を生かして湧水を利用した2段の池と滝を設け、さらに内堀の一部をもう一つの池として庭園に取り込むことで広がりをもたせて…
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大阪散歩 その32  鶴の渓を歩く  

 階段を降りていくと、ちょうど男女の二人組が階段を登ってくるところで、階段の中ほどで彼らとすれ違った。  それからすぐに後ろから元気のいいお姉さんが駆け足で降りてきて、あっという間に追い抜かれた。  目の前の、石垣と石垣の間の狭い道が、鶴の渓である。  鶴の渓の石垣の積み方は野面積みという…
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大阪散歩 その31 「街道をゆく 紀ノ川流域」の旅の始まり

 司馬さんの「街道をゆく 河内みち」を訪れる旅であったが、ほぼ計画通り旅することができ、満足して帰路についた。  その途中、大阪府富田林市にあるPL教団の大平和祈念塔(正式名称は「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」)が遠くに見えた。  高さ180mもあるもので粘土細工のような造形の白い塔とのことだが、一度近くで見…
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大阪散歩 その30 高貴寺にて

 弘川寺から、今度は高貴寺に向かった。  ここはネットで事前に調べた通り、本道から寺までの道が本当に狭くて、すれ違いも全くできないたいへんな道だった。   それでも、5km程の道のりを20分程かけて高貴寺に到着した。  ここは高貴寺山門である。  寺の開山は役行者で、文武天皇の勅願によるといわれてい…
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大阪散歩 その29 西行墓(西行墳)にて 

 西行堂でしばらく休んでから、西行墓(西行墳)を目指して石畳の急坂を登っていく。  実は去年の春桜の終わる頃に吉野山を旅したことがあり、奥千本にある西行庵まで行って西行を偲んでみたかったのだが、土日しかここまで行くバスが運行して無いということで、残念な思いをしたことがある。  今回西行終焉の地である弘川寺を訪れる機会を…
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大阪散歩 その28 弘川寺の西行堂まで歩く

 昼食後、西行法師終焉の地で彼の墓のある弘川寺へ向かった。  距離にして13km、時間にして30分程かかった。  ここは弘川寺本堂である。  ここの目当ては何といっても西行の墓であるが、この矢印の方角に進むと西行墳(墓)、西行堂、似雲墳などに辿り着くので、矢印の示している山道を登っていく。…
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大阪散歩 その27 観心寺境内のお堂を見てから昼食

 このあと、観心寺境内にあるお堂をいくつか回った。  ここは建掛堂である。  建武中興の無事を祈って楠木正成が願主となり三重塔を建立しようとしたが、湊川戦役のため建立できず、初重で中止となったもので、内部に大日如来を安置している。  ここは開山堂(本願堂)である。  観心寺の開祖を祀るお堂で、空海の…
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大阪散歩 その26 北斗七星を巡る

 この星塚は、厄除け・福寿増長のパワースポットとして有名で、日本で唯一の北斗七星の巡礼地である。  実際の配置は、上図の黄線で結ばれた通りの形態である。  ここはどうやら、中国式の北斗七星の呼び名で呼ばれているらしい。  左方から時計回りで、1貧狼星(トンロウセイ)、2巨門星(キョモンセイ)、3禄存星…
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大阪散歩 その25 「観心寺」に到着

 大ヶ塚を出て30分ほど走って、次に赤字2の「観心寺」に到着した。  観心寺は空海と楠正成に関係のある広大な境内を持つ、大きな寺である。  伝承では、701年に役小角(役行者)が開創し、当初、雲心寺と称したとされるが、この寺を実質的に開基したのは、空海の一番弟子にあたる実恵である。  その後、808年に…
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大阪散歩 その24   「大ヶ塚」を歩く

 これから、司馬さんの「街道をゆく 河内みち」の世界を散策するが、まず赤字1の「大ヶ塚」、次に赤字2の「観心寺」、更に赤字3の「広川寺」、最後に赤字4の「高貴寺」に行く。  最初に赤字1の「大ヶ塚」を目指した。  「大ヶ塚」は石川支流の梅川が東側を北方に流れる高台に位置していて、村全体が自衛のために一つの濠で囲まれた中…
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大阪散歩 その23  堺市の古墳散策を終える

 次に、倭の五王の中の済に比定されている允恭天皇陵に向かった。  允恭天皇は仁徳天皇の第四皇子で履中・反正天皇の弟にあたるが、反正天皇が跡継ぎを決めないうちに亡くなったため、臣下の要請で天皇に即位した。  允恭天皇は病弱だったため当初天皇になることを拒んでいたが、のちに允恭天皇の皇后になる忍坂大中姫に懇願されて天…
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大阪散歩 その22 古市古墳群の応神陵を散策

 今日は11月2日である。  この日は1日レンタカーを借りて、古市古墳群を回ったり、司馬さんの「街道をゆく 河内みち」の世界を散策することになる。  ホテルのレストランでの朝食は、おにぎり2個をメインとしての簡素だがなかなか洒落たもので、気分よく美味しくいただいた。  歩いて10分ほどでト…
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大阪散歩 その21 倭の五王

 ミニ展望台から大仙公園を歩いて堺市博物館に向かった。  しかし予想をはるかに超えて大仙公園は広かった。  いい加減歩き疲れたところで堺市博物館に入ったが、企画展をやっていてそれがかなりの額の見学料となっていたので、良くも見ないで仁徳天皇陵に向かった。  仁徳天皇陵に行く前に、ここで倭の五王について記し…
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大阪散歩 その20 履中天皇陵を散策

 計画以上に順調に過ぎた午前の反動か、逆に午後は最悪となった。  午後からは仁徳天皇陵、履中天皇陵、堺市博物館を見ようということで、仁徳天皇陵を最初の目的地とした。  白字1が仁徳天皇陵、白字2が履中天皇陵である。  ところが、堺東駅から南海高野線に乗ろうとしたところで切符を線路に落とし、再度切符を購入し…
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