テーマ:木曽川への旅(2008年の旅)

木曽川への旅(2008年) その28 木曽川文庫に到着

2008年9月13日(土)の日程である。 木曽路の旅を終え、今日は木曽川河口を目指すが、その前に木曽川文庫に立ち寄る。上の名古屋周辺地図で説明すると、右上の赤四角が妻籠宿、左下の黄丸印が木曽川文庫の位置である。 妻籠宿を出て、中津川インターから中央自動車道に乗り、小牧ジャンクションで名神高速道路に乗り換え、岐阜羽島インターで…
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木曽川への旅(2008年) その27 妻籠を去る日の朝

 2008年9月13日(土)、憧れの地であった妻籠を去る日の朝が来たので、思い残すことがないよう妻籠宿を再度歩いてみた。 妻籠宿の全部を紹介することは出来ないので、赤字1〜4までの箇所を紹介するに留めたい。 まず、赤字1の妻籠宿の外れの高台に位置する民宿大亀石のあたりだが、ここの前には水車が廻っていた。(余談だが、民宿大亀石の近くに…
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木曽川への旅(2008年) その26 民宿阪本屋で馬刺しの夕食 

今夜の宿である民宿阪本屋は、妻籠宿のど真ん中にある宿である。 阪本屋のホームページにはこう紹介されている。 江戸時代の旅人の気分が体験できる、軒先に下げられた紺ののれんが目印の宿。 木造2階建で室内は昔のままの造り、往時の旅人気分に浸れる宿。 紹介どおりの宿である。 この4部屋ある木造2階建ての宿の、2階の奥の部屋に泊…
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木曽川への旅(2008年) その25 藤村の初恋の人に会う 

下図は本陣と脇本陣と脇本陣の隣の歴史資料館の位置関係であるが、この三館の共通入館料が700円で売られていて、それを買って三館を廻った。 妻籠本陣はさっと見て、脇本陣に向かった。 妻籠の脇本陣は屋号を「奥谷」と称し、代々林氏が脇本陣・問屋を勤めた家。 現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった桧をふんだんに使い建て…
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木曽川への旅(2008年) その24 妻籠宿に戻って 

「心の旅路館」からまた妻籠宿に戻って来た。 今夜の宿は赤字Bの坂本屋、宿に行くのはまだ早いので、黄囲みの生駒屋あたりの風景(例の1枚の写真の場所)と同じく黄囲みの松代屋あたりの風景を見て、赤字AAの本陣と赤字Aの脇本陣を見学し、それから宿に入ろうと考えた。 まず生駒屋あたりに行ったが、旅人は誰も居ず、なおのこと心にし…
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木曽川への旅(2008年) その23 東山魁夷心の旅路館で「留学時代1」を鑑賞

桃介記念館をあとに、東山魁夷心の旅路館に向かった。 東山魁夷心の旅路館は、岐阜県中津川市山口に所在する美術館で、道の駅賤母に併設されている。 「賤母」の地は、東山魁夷の風景画家としての出発点となったところだという。 この美術館は、1994(平成6)年に東山魁夷から作品500点余の寄贈を受けて開館し、魁夷の版画作品(リトグラフ・木版…
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木曽川への旅(2008年) その22 福澤桃介と川上貞奴の桃介記念館を見学

「あの1枚の写真の風景」を見たあと、桃介記念館と東山魁夷心の旅路館を見学のため、再び南木曽町へ向かった。 まず、桃介記念館である。 桃介記念館の主である福澤桃介は福澤諭吉の婿養子であり,実業家として成功した人で、日本の電力王としても名高い。 福澤桃介記念館は、電力王と言われた福澤桃介が大正年頃に木曽川の各発電所建設を進…
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木曽川への旅(2008年)  その21 「あの1枚の写真の風景」に到達、旅の目的の半分を達成

目的の地までは、あと少し、もう少しとなった。 黄矢印の場所から歩き出し、黄四角の寺下(てらした)地区まで歩いて行く。 そこが、この旅の目的の半分とまでなった、「あの1枚の写真の風景」に出会える場所である。 その憧れの風景のある街並みに、どんどん入って行く。 9月中旬のことなので、店先にはまだ赤い字の「氷」の乗れんが掛かっ…
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木曽川への旅(2008年)  その20  大妻籠そして、妻籠宿の入口へ

大妻籠集落手前を歩いている。 具体的には赤矢印のあたりである。 これから、大妻籠集落の古民家で県宝でもある藤原家を見たり大妻籠民宿街を悠々と歩いていく、競馬で言えば第4コーナーの街道を歩いていく。 黄矢印地点はもう妻籠宿への入口地点である。 下り坂の上気分が高揚しているので、自然と足取りも軽くなって来る。 道なりに進んで、…
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木曽川への旅(2008年)  その19 男滝・女滝から男垂川(おだるがわ)に沿って歩く

男滝女滝は吉川英治氏著「宮本武蔵」の舞台となっていて、「宮本武蔵」の中で、男滝が武蔵の修行の場として、またお通とのロマンスの舞台として登場している。 道から下に降りると、すぐに川があり小さな橋が架かっていて、その上流に女滝がある。 次に紹介する男滝と比すると、なるほど優雅で女性的な雰囲気の滝である。 女滝から流れる川に沿って下って…
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木曽川への旅(2008年) その18 熊に怯えながら男滝・女滝まで歩く

予定したより時間が掛かり、50分程歩いてようやく馬籠峠に到着した。 馬籠峠頂上は標高が801mあり、ここには昔ながらの茶店と正岡子規の石碑がある。 子規は明治24年に中山道を経て松山へ帰省する途中馬籠峠へ立ち寄った。 峠の茶屋で一休みした後、茶店の脇の子規の句「白雲や 青葉若葉の 三十里」を小さな声で詠み、昨日の藪原宿でた…
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木曽川への旅(2008年) その17 馬籠妻籠間を馬籠峠まで歩く

水車塚の付近から石畳の山道となり、馬籠峠を目指して急坂を登って行く。 景色は良いのだが道の勾配がキツく、ゆっくりと登っていくしかない。 ひたすら我慢して登っていくと、道の左側に小屋が建っていて、その手前に二等辺三角形の碑が立っていた。 十返舎一九の碑である。 この碑には、「渋皮の剥(む)けし女は見えねども 栗のこはめしここの名物…
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木曽川への旅(2008年) その16 馬籠妻籠間を藤村の水車塚まで歩く

馬籠妻籠間は全長約9Km、ゆっくり歩くと3時間、普通の足で2時間半程度かかるということだが、最初の急坂を我慢すれば馬籠から妻籠へ歩く方がずっと楽で時間も短くて済むとのこと。  大雑把なコース全体図を見ると、馬籠峠までの急坂の登りを凌げば辺りの景色を眺めながら、旧中山道を楽しく歩くことができそうである。  まず、馬籠峠…
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木曽川への旅(2008年) その13 妻籠からバスで馬籠まで

「桃介橋」を見終えると、妻籠に向かった。  妻籠宿は、中山道42番目の宿場(中山道六十九次)で、蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する。 中心部だけを拡大してみる。 妻籠での今夜の宿は赤矢印の坂本屋である。 この宿に連絡して車の駐車場を確保し、バスの出発時間まで青矢印の「喫茶道」で時間を過ごし、黄矢印の妻籠橋バス停からバスに乗る。 …
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木曽川への旅(2008年の旅) その12 南木曽町(なぎそまち)の桃介橋を見学 

木曽川の旅、2日目の9月12日(金)の日程は以下のとおりである。 藪原から妻籠までは案外近く、寄り道しないで行くと1時間で付ける距離で、途中の名勝・史跡等には目もくれず、南木曽町(なぎそまち)を目指した。 南木曽町では馬籠〜妻籠間の8kmを踏破することをメーンに妻籠宿や馬籠宿をしっかり見て回ることが最大の目的。 その他に、前泊…
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木曽川への旅(2008年の旅) その11 駅前旅館の井筒屋旅館で夕食タイム 

宿に帰ると、時間は午後6時に近かった。 風呂に入り、しばらくすると夕食が出た。 岩魚の味噌かけ塩焼き、マグロの赤みの刺身、ミョウガの酢の物、鶏肉とキノコの一品、ソバ、キュウリの漬物、サヤエンドウと一緒の黄色い食材は不明。 これらをアサヒスーパードライと共に美味しくいただいた。 1泊2食付きで7,500円で予約したが、ビールの追加…
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木曽川への旅(2008年の旅) その9 アララギ派の重鎮「伊藤左千夫と野菊の墓」

この子規の弟子が伊藤左千夫。彼は「歌よみに与ふる書」に感化され、正岡子規に師事し、子規の没後、根岸短歌会系歌人をまとめ、短歌雑誌『馬酔木』『アララギ』の中心となって、斎藤茂吉、土屋文明などを育成した。 伊藤左千夫は歌人であり、代表作「野菊の墓」で有名な小説家でもある。 本名は幸次郎、上総国武射郡殿台村(現在の千葉県山武市)の…
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木曽川への旅(2008年の旅) その8 藪原宿の散策(子規達の世界)

東西文化の十字路となった藪原で、もう少し子規達の世界に浸る。 子規は、慶応3年(1867年)9月に伊予国温泉郡藤原新町(現・愛媛県松山市花園町)に松山藩氏・正岡常尚・八重の長男として生まれた。母八重は藩の儒学者大原観山の長女。 彼は、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公の一人でもある。 小学校時代に竹馬の友・秋山真之と出会う。 …
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木曽川への旅(2008年の旅) その7 藪原宿の散策(湯川酒造店など)

 笹川から宿へ戻ると午後4時に近かった。  これから藪原宿の散策ということになる。  井筒屋旅館は藪原の街並みの中にはなく、藪原駅の前で営業している、いわば本当の駅前旅館である。  藪原宿の街並みは、中央本線と木曽川に挟まれ、駅前から鳥居峠の方向へ向かって続いている。  鳥居峠を控えた藪原宿は中山道の中間地点であり、…
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木曽川への旅(2008年の旅) その6 笹川源流地帯でアマゴを釣る

木曽川源流ふれあい館見学後は、すぐ近くにある味噌川ダムを眺め歩いた。 このダムのずっと奥に木曽川源頭が存在するが、そこへ行く技術も体力も時間も持ち合わせていないので、この辺で奥木曽湖とお別れである。  赤楕円の地を後にし、これから向かうのは赤星型印の笹川源流地帯、ここで源流釣行に挑むことになる。  なお、この近くには「平成の…
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木曽川への旅(2008年の旅) その5 木曽川源流に向かう

藪原宿に午後2時頃に到着した。  藪原のある木祖村は木曽川源流の里である。  藪原の街の入口にこんな大きな看板が出ていた。  これから今夜の宿に荷物を置き、木曽川源流で僕の川旅の定番行事である源流釣行を挙行する。  今夜の宿、正確に言えば平成20年9月11日(木)の宿は、中央本線藪原駅の真ん前の駅…
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木曽川への旅(2008年の旅) その4 奈良井宿下町で100年前のカレ-

中町、上町と回り、奈良井宿の最後は宿の入口にあたる下町である。 下町を赤字1の「旅館あぶらや」から赤矢印線のように歩き、赤字2の「木曽の大橋」を見学し、ここから復路となり、緑線のように歩いて、赤字3の「カフェみやま」で100年カレーの昼食となった。 まず赤字1の「旅館あぶらや」である。 いかにもいか…
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木曽川への旅(2008年の旅) その3 奈良井宿上町

中町の見学の次は上町に向かった。 赤字1の鍵の手、赤字2の資料館中村邸、赤字3の高札場と水場の順に見て回った。 最初は赤字1の鍵の手である。 ここが上町と中町の境で、この「鍵の手」と呼ばれるクランク形状の道路で区切られている。 ここから先が上町となる。 事実上の上町での最初の見学は、赤字2の資料…
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木曽川への旅(2008年の旅) その2 奈良井宿中町

奈良井宿は木曽路最大の難所の鳥居峠を控え多くの旅人で栄えた宿場町で、「奈良井千軒」といわれていた。(天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、奈良井宿の宿内家数は409軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒で宿内人口は2,155人。) 宿は江戸寄りから下町、中町、上町に分かれ、中町と上町の間に鍵の手と呼ばれるクランク…
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木曽川への旅(2008年の旅)その1 奈良井宿まで

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 平成20年の旅は、7番目の川である木曽川ということになった。ここには川に並行して走る木曽路(旧五街道の一つである中山道の庶民的呼称)が走っているが、木曽路の代表的な宿場だった妻籠宿が以前から気になっていた。妻籠宿の風景はコマー…
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