テーマ:地理

近江街道をゆく その7  西塔から東塔へ

 にない堂の次に、転法輪堂に行った。  この階段を降りると、その前が転法輪堂である。  転法輪堂は現在の西塔の中心をなす大堂で、ご本尊釈迦如来を祀ることから、釈迦堂の名で親しまれている。  延暦寺に現存する最古のお堂で、元は大津の園城寺(三井寺)の金堂であったものを、豊臣秀吉の命により1596年に山上に移…
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近江街道をゆく その6  昼食、そして西塔へ

 横川を出てこれから西塔に向かうが、その前に峰道レストラン前でバスを降りて、峰道レストランで昼食とした。  11月1日の近江路は平地ではまだまだ秋で夏服にジャンパーを羽織れば十分過ごせるが、比叡山では気温もぐっと下がって、バスから降りると寒さに震えるほどで、急いで暖房やストーブであったかくなっているレストラン内に入った。 …
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近江街道をゆく その5  元三大師のこと

 慈覚大師円仁を終え、今度は比叡山延暦寺の中興の祖として横川に20年居られたという、第18代天台座主良源への道を歩いていく。  良源(912年- 985年)は平安時代の天台宗の僧で、一般には命日が正月の3日であることから元三大師の名で知られており、角大師や豆大師という別称もあり、中世以降は民間の中で厄除け大師として独特の…
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近江街道をゆく その4  横川に入っていく

 延暦寺駅から15分ほど歩いて東塔バス停に行った。  ほどなくバスはやって来て、このトンネルを潜って叡山三塔の中で一番遠くにある横川にまず向かった。  横川は司馬遼太郎が何回も訪れた場所で、一番気になる場所で一番行きたかった所なので、心を弾ませながらバスに乗り憧れの横川へ行った。 …
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近江街道をゆく その3 坂本ケーブルに乗る

 坂本ケーブルは昭和2年に開設された全長2025mの日本一長いケーブルカーで、麓の坂本駅から延暦寺駅迄を11分で結んでいる。  初発が午前8時で毎時00分と30分に出発するので、僕はしばらく待合室で時間を過ごし、午前9時30分の便に乗って坂本駅を出発した。  ここは坂本駅を出て…
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近江街道をゆく その2 旅の初日はウトウト、翌日は比叡山へ

 旅は11月から始めた方が111と続く数字の関係で縁起がいい?かなとも考えたが、あえて古代ケルト人の祭りの日であるハロウィンの日を旅のスタートとした。  旅の最初から化物が出てくるような予感がするが、それも案外面白いかもしれない。  そんなことを思ったり、旅の装備を考えたりしている間に色々と迷いが生じて、結局旅の前夜は4…
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大阪散歩 その6 道頓堀に繰り出す

 大阪の美味しい味を楽しんだのち、道頓堀に繰り出した。  道頓堀は巨大看板の街である。  「かに道楽」や「かつだるま」のような巨大な看板が通りの両側から睨みを利かせているド派手な街である。  行き交う人々は日本人以外の方々が多く、なんとなくではあるが韓国のソウルの街角を歩いているような気になっ…
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近江街道をゆく その1 旅の始まり

 「近江街道の旅」は、去年の「越前と若狭の旅」の続きである。  「越前と若狭の旅」は「越国(こしのくに)」と呼ばれ、ヤマト王権の勢力が十分に及ばない日本海側の地域でありながら、朝鮮半島や大陸からの交通路になっていて先進文化が栄えていた地域の南端部の旅であった。  「近江街道の旅」はヤマト王権の直接の主要な血となった継体天皇の…
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越前と若狭の旅 その53 「敦賀鉄道資料館」で旅を終える 

 敦賀にいるが、ここに来ると渤海(698年〜926年)のことを思い出す。  渤海は、建国以後唐や新羅の勢力を牽制する目的で日本への遣使を行っていて、この渤海の日本への海上交通は「日本道」とよばれていた。  この日本道とほぼ同じ海上の道を利用し、敦賀港は1902年から1941年にかけて、日本とヨーロッパとの交…
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越前と若狭の旅 その52 氣比神宮から金崎宮へ

 昼食を食べたあと、「三方五湖レインボウライン」を降り、1時間程かけて敦賀まで走り、敦賀の気比神宮に午後2時ころに到着した。  敦賀の気比というと、高校野球の強豪校である敦賀気比を思い出すが、この神宮は野球の神様を祀っている神社ではない。  氣比神宮は、福井県の中央部に位置する敦賀市市街地の北東部に鎮座する越前国…
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越前と若狭の旅 その51  「三方五湖レインボウライン」にて

 これから絶景で有名な「三方五湖レインボウライン」に向かう。  ラインは全長11.24kmあり、標高400mの梅丈岳を縫うように走り、ライン眼下から五湖の絶景が見渡せる有料道路である。  ゲートで普通車1000円の料金を払って「三方五湖レインボウライン」に乗り入れた。  しばらくすると、眼下に唯一…
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越前と若狭の旅 その50 「若狭三方縄文博物館DOKIDOKI館」へ立ち寄る

 三方五湖は、福井県三方郡美浜町と同県三方上中郡若狭町に跨って位置する5つの湖の総称で国指定の名勝となっていて若狭湾国定公園に属している。  三方五湖を一覧表にすると、このような表となる。  この五湖のうち、「水月湖年縞」で有名な水月湖は前から知っていた湖である。  この水月湖年縞の展示資料がある「若狭三…
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越前と若狭の旅 その49  小浜城跡を歩く

 小浜公園展望台を降りて、黄星印のホテルアーバンポート前を通り抜け、南川と北川の中洲にある黄矢印の小浜城跡を目指した。  南川を渡り北川も渡ってからようやく行き過ぎたことに気付き、北川に架かる橋を渡って小浜城跡へ歩いた。  石垣の上に今盛りした森があるが、あの辺りが小浜城跡である。  小浜城跡は…
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越前と若狭の旅 その48 三丁町と小浜公園を散策

 「ホテルアーバンポート」は、今回の越前と若狭の旅では一番格の高いホテルだったと感じている。  従業員を集めての夕方の集まりと朝の集まりを垣間見たが、女社長のホテル業にかける気概と気合が半端でなかった。  その一番格の高いホテルの朝食であるが、分不相応の贅沢を舌で感じながら、美味しく残すところなくいただいた。 …
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大阪散歩 その5 道頓堀まで

 このあと3階で、新世界開設当時のジオラマを見学した。  新世界のコンセプトは、パリとニューヨークという欧米を代表する二大都市の風景を模倣した現在のテーマパークに似たものであった。  通天閣は今も昔も大阪人の心のシンボルで、大阪人の誇りなのだという。  通天閣の実像を確認して、ここを後にした。 …
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越前と若狭の旅 その47 小浜市で「 若狭マリンピア2015花火大会」を見学

 若狭国分寺跡を発ち、小浜市に入った。  昼食をどこでとろうか迷ったが、黄星印のフィッシャーマンズワーク2階にある「レストラン海幸苑」に決めた。  午後1時半になっていた。  この「レストラン海幸苑」で、若狭名物の鯖寿司と漁師汁が両方味わえる税込1404円の「潮風膳」をおいしくいただいた。 …
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越前と若狭の旅 その46 若狭歴史博物館と若狭国分寺跡を見学

 熊川宿から小浜を目指して鯖街道を引き続き走り、その途中で明通寺の国宝である三重塔と本堂を見学したが、ここは省略する。  その代わり、福井県立若狭歴史博物館と若狭国分寺跡を見学したので紹介する。  若狭歴史博物館は若狭地方の歴史・民俗など、豊かな文化遺産を調査研究、保存・公開するための施設として、昭和57年10月に若狭歴…
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越前と若狭の旅 その45 「熊川宿」を歩く

 鯖街道を走って行くと、「御食国(みけつくに)」という言葉に出会った。  御食国とは、古代から平安時代まで、皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を貢いだ国のことである。  既に若狭に入っているが、ここ若狭は朝廷の食卓を支えた御食国の一つで、都とは古代から交流していた。  近江から若狭…
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越前と若狭の旅 その44 海津散策後、鯖街道へ

 海津は西近江路と湖上交通の要衝として栄えた宿場町であり、同時に港町でもある。  この通りをこのまま進んで行くと、琵琶湖湖岸側に風や波から家を守るために造られた石積みが目に入って来た。  これが「海津浜の石積」と呼ばれているものである。  1701年に甲府藩領高島郡の代官として赴任した西与一左衛門…
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越前と若狭の旅 その43 渤海国の使節のこと

 西近江路を海津に向かって走っている。  この辺りは敦賀市追分で、もしかすると愛発関がこのあたりにあったのかもと思って、車を停めてしばらくあたりの風景を眺めた。  西近江路を更に走ること5分程、大津まで76km、京都まで89kmと書かれた道路標識が前方に見えて来た。  あと90kmもこの道を走れば…
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大阪散歩 その4 通天閣5階の展望台まで上がる

 ここが通天閣の入り口で、いったん階段で地階に降りて、そこからエレベーターで5階の展望台まで上がることになる。  入り口に入る前に、エントランスの天井画を見た。  基壇部の上部(地上約12m)にある八角形状のエントランス大天井に、日本画家の沖谷晃司の「花園に遊ぶクジャク図」の再現画が設置されている。 …
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大阪散歩 その3 新世界の「通天閣」まで

記念館から帰って、ホテルの部屋で夕食とした。  夕食はコンビニから買ったビーフカレーと同じくコンビニから買ったカップ味噌汁と一番安いカンビール2本である。  翌日の朝食は、ヴィアン新大阪ホテル1階の食堂での簡易なバイキング朝食である。  ヨーグルトも入れて、健康に気配りしながら美味しくいただいた。…
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越前と若狭の旅 その42 気比の松原から愛発関へ

 朝食前に少しの時間ではあるが、敦賀市の景勝地である気比松原を散策したので、気比の松原を紹介してから竹野旅館を出発とする。  気比の松原には朝の6時半頃に付き、ここを20分程ほど散策した。  この松原は日本三大松原の一つとされ、1934年に国の名勝に指定されていている。  古くから景勝地として知られていて…
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大阪散歩 その2 司馬遼太郎記念館で

 書斎の中には入れないので、書斎の前から窓越しに執筆当時のままにしてある書斎を覗き見た。  暖かそうな毛皮で覆われたゆったりした椅子が、とても印象に残った。  この椅子に日がな一日座りながら、司馬さんは多くの小説や「街道をゆく」の構想を練っていたと思うと、椅子自体が日本の知識人を代表する司馬さん自身のように思えて…
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大阪散歩 その1 司馬遼太郎記念館への道

 新潟から上越新幹線に乗り、東京から東海道新幹線に乗り換えて大阪に向かった。  台風の影響は今のところはさほど出てなく、東海道新幹線は運行停止となることもなく、無事新大阪駅に、定時で到着した。  朝食は新潟駅で買った鳥弁、昼食は何を食べようか少し迷ったが、新大阪駅内のレストランに入って、手頃な値段の「牡蠣フライサービ…
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越前と若狭の旅 その41 疋檀城跡見学後、敦賀の旅館へ

 これから疋田集落にある歴史的旧跡である疋檀城跡に向かう。  疋壇城は室町時代の文明年間(1469〜1487年)に朝倉氏の部将・疋壇久保によって築かれた。  疋田の地は、柳ヶ瀬越・塩津越・海津越といった越前と近江を結ぶ道が集まる交通・軍事上の要衝であり、越前朝倉氏の最南端防衛拠点として築城されたもの…
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大阪散歩 プロローグ

 2017年(平成29年)10月29日(日)から11月6日(月)まで、8泊9日の日程で大阪と和歌山を旅した。  東京へは今まで数回ほど旅しているので、旅への不安というものはほとんど生じなかったのだが、大阪への旅は今まで1回もしたことがなく、キタとミナミすらまったく体験したこともなかった。  有名なグリコの巨大看板…
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越前と若狭の旅 その40 疋田集落を歩く

 塩津街道は近江と越前を結ぶ古くから使われてきた街道である。  塩津から敦賀に抜ける道には二つのルートがあり、古くは沓掛から深坂峠を越えて西近江路の追分宿に出る道(深坂古道)が使われていたが、険しい山道をさけて後年新道野峠をこえる道が開削された。  現在の国道8号の原形で、この道は西近江路の疋田宿に出る。 …
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その48  旅の終わり

 横須賀ストーリーは今回で終了、したがって「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」の旅も今回で終了とする。  頼朝が建てた三つの御所(桃の御所、桜の御所、椿の御所)を見たかったのだが、慣れない「歩き旅」のせいで足が限界となり、それを果たす気力が無くなり、バスにてとりあえず三浦半島南端部の三崎港まで行った。 …
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その47  新井城址跡までの道

 横須賀ストーリーの旅は、小網代の森を抜け三浦半島南端の油壺入江の道に入っている。  ここでは、イ;三浦一族滅亡の地の新井城址跡、ロ;頼朝が建てた三つの御所(桃の御所、桜の御所、椿の御所)、ハ;三浦半島最南端の島城ヶ島を見てまわり、横須賀ストーリーの旅の終りとしたい。  では、まずイの三浦一…
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