テーマ:地理

歴史・地理雑学 中国の地名の語源

漢字の表記通りの意味のもの 北京と南京=北の都と南の都 長安と西安=「西方を安んずる地」と「長に平安な地」 天津=「天子がいる帝都への渡し場」      天津は北京の外港です。 香港=「香木の香りが漂う港」     周辺の島で香木栽培が行われていて、香木の積出港があった。 満州語を語源として漢字をあ…
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アフリカの魂をその生活に色濃く残す「ヌバ族」

 そして、アフリカの魂とも言える風俗を残しているヌバ族の登場である。 白ナイルより250kmほど西に位置する北海道程の大きさの山岳地帯、ヌバマウンテン、ここに50万足らずのヌバ族が暮らしている。                           灰を塗り身体を保護するヌバ  ↑ いったいいつ頃から彼等がここに住み着いたのか定かではな…
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最悪の疫病地帯サッドで生活するディンカ族

まず、最悪の疫病地帯サッドで生活するディンカ族を野町和嘉氏と一緒に紹介する。                                        ↑  野町和嘉、彼も探検家列伝に加えたヨ 野町氏は高知県出身の高名な写真家で、一貫したテーマは、過酷な風土のもとでの人びとの強靭な生きざまへの憧憬であった。            …
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先住民族と少数民族の微妙な違い

先住民族 言葉通りに解釈すれば、近代国家が成立する以前に、先にその土地にすんでいた民族ということになるが、内在する意味は、いかなる自由な意思や合意の確認もなく、その国家に強制的に編入されてしまった人々ということになるか。 例  アイヌ、ウィルタ(オロッコ)、ニヴフ(ギリヤーク)、エスキモー(イヌイット、ユピク、カラー…
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歴史・地理雑学 地名の起源 カン(中国語発音はハン)のこと

 カン(中国語発音はハン)のこと  お隣の国韓国の韓(ハン)の意味だが、どうもアルタイ語(トルコ語やモンゴル語の総称)のハン【偉大、上に立つ、君主】を語源としているようである。  紀元前後に栄えた王朝の名を最大の民族集団としてもっているそのお隣の中国、その世界最大の民族集団漢族の漢(ハン)も、偉大な、上に立つという意味だとい…
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大阪散歩 その23  堺市の古墳散策を終える

 次に、倭の五王の中の済に比定されている允恭天皇陵に向かった。  允恭天皇は仁徳天皇の第四皇子で履中・反正天皇の弟にあたるが、反正天皇が跡継ぎを決めないうちに亡くなったため、臣下の要請で天皇に即位した。  允恭天皇は病弱だったため当初天皇になることを拒んでいたが、のちに允恭天皇の皇后になる忍坂大中姫に懇願されて天…
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大阪散歩 その22 古市古墳群の応神陵を散策

 今日は11月2日である。  この日は1日レンタカーを借りて、古市古墳群を回ったり、司馬さんの「街道をゆく 河内みち」の世界を散策することになる。  ホテルのレストランでの朝食は、おにぎり2個をメインとしての簡素だがなかなか洒落たもので、気分よく美味しくいただいた。  歩いて10分ほどでト…
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大阪散歩 その21 倭の五王

 ミニ展望台から大仙公園を歩いて堺市博物館に向かった。  しかし予想をはるかに超えて大仙公園は広かった。  いい加減歩き疲れたところで堺市博物館に入ったが、企画展をやっていてそれがかなりの額の見学料となっていたので、良くも見ないで仁徳天皇陵に向かった。  仁徳天皇陵に行く前に、ここで倭の五王について記し…
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大阪散歩 その20 履中天皇陵を散策

 計画以上に順調に過ぎた午前の反動か、逆に午後は最悪となった。  午後からは仁徳天皇陵、履中天皇陵、堺市博物館を見ようということで、仁徳天皇陵を最初の目的地とした。  白字1が仁徳天皇陵、白字2が履中天皇陵である。  ところが、堺東駅から南海高野線に乗ろうとしたところで切符を線路に落とし、再度切符を購入し…
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大阪散歩 その19 三国ヶ丘を散策

 分岐点から三国ヶ丘の住宅地に入った。  これから反正天皇陵に向かうが、その途中で向泉寺閼伽井跡と書いてある門と囲いに出会った。  向泉寺は聖武天皇が行基に命じて創建された寺で、三国ヶ丘一体から百舌鳥のあたりまで広がっていた広大な寺だったという。  河内国が分割されて、河内・和泉・摂津の国が出来て、その境にあるこ…
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大阪散歩 その18 竹内街道を歩く

 ここからは二上山、葛城山、金剛山と連なる金剛山地の絶景が見渡せる。  二上山の手前には百舌鳥古墳群と並んで堺を代表する古墳群である古市古墳群が存在しているが、ここは明日の午前中に散策予定である。  百舌鳥古墳群や古市古墳群の中には、5世紀の河内王朝と言われる時代に、中国の宋に朝貢していた「倭の五王」ではな…
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大阪散歩 その17 堺にてミニツアーに参加

 今日から11月、行動の拠点は大阪から堺に移動する。  ヴィアイン新大阪でいつも通りの朝食を終え、新大阪駅から地下鉄御堂筋線でなんば駅まで行き、そこから南海本線で堺駅に下車した。  その途中で、10月の下旬の週末に、2週間に渡って日本全土を襲った台風の影響で交通に障害が出ていることをテレビで知った高野山への交通…
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近江街道をゆく その18 彦主人王墓を訪ねる

 これから、赤字Bの彦主人王墓及びその関連史跡を訪れる。  彦主人王は応神天皇の四世孫で、第26代継体天皇の父である。  第26代継体天皇は、日本の古墳時代に皇統の断続があり複数の王朝の交替があったとする王朝交替説の中で、その最後に登場する近江王朝の祖である。  継体天皇は応神…
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近江街道をゆく その17  中江藤樹の藤樹書院に行く

 これから日本陽明学の祖で、故郷の近江高島で書院を開き近江聖人と呼ばれた中江藤樹の藤樹書院に行く。  江戸時代人の知的基盤は儒学であり、これを発展させ封建社会の教学となっていたのが朱子学(11世紀に宋の朱熹が大成した教えで、身分秩序や格物致知、理気二元論といった考え方を重視し、特に身分秩序に関しては、自然や万物に上下関係・尊卑が…
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近江街道をゆく その16  継体関連の鴨稲荷山古墳を見学

 これから継体天皇の先祖の血を訪ねる旅に出るが、その場所は近江高島市である。  高島市内には、364を数える「埋蔵文化財」が存在しているが、その中に継体天皇関連遺跡も沢山含まれている。  ここ高島は、現天皇家の直接の祖先でヤマト王権の主要な血ともなった継体天皇の、祖先やその妃となった人々の住んでいた地である。 …
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近江街道をゆく その15 北小松と白鬚神社を歩く

 司馬遼太郎が「街道をゆく」で訪れた数多くの町、集落、土地の中で、最初の訪問地の地となったのが滋賀県大津市小松(当時は滋賀県滋賀郡志賀町小松)で、実際に訪れたところが北小松漁港である。  司馬の街道をゆくには、北小松の小松が高麗津だったかもしれないと、ここにも朝鮮半島の痕跡の地名を想像している。  僕の旅では北小松港には…
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近江街道をゆく その14  「楽浪の志賀」路へドライブ開始

 11月3日(木)、4日目の朝となった。  3日間寝泊まりしたこの部屋と、名残惜しいが今朝でお別れである。  化物たちが宴会でもしているような感じがしたのは最初の一日だけで、他の日は恨んでいるような感じの妖怪が常時取り付いているようだったが、極端な悪さはしなかった。  …
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大阪散歩 その16 レトロビル散策の続き

「北浜レトロビルヂング」を見終えてから、赤星印の新井ビルまで歩いた。  新井ビルは報徳銀行の大阪支店として1922年に建てられたもので、その後新井家が買い取り新井証券として利用して使った。  現在は五感(伝統ある古き良き街、北浜、中之島、淀屋橋を本拠地として、「大阪町人」の魂を少しでも受け継ぎながら、…
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大阪散歩 その15 北浜のレトロビル散策

 再び中之島駅まで歩き、地下に入って駅でしばらく電車を待ち、地下鉄中之島線に乗った。  7~8分電車に乗って、3駅先のなにわ橋駅で降車した。  この駅の近くには大阪の代表的なレトロ建築が建っているので、それを見ることにした。  代表的なレトロ建築とは、この大阪市中央公会堂である。  こ…
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大阪散歩 その14 中之島散歩 

 昼食後は淀川(現・旧淀川)本流の中洲である中之島を歩くことにした。  中之島は、大阪府大阪市北区にある堂島川と土佐堀川に挟まれた東西約3kmの細長い中洲で、面積は723,266m2である。  谷町4丁目駅から地下鉄谷町線に乗って、一つ前の天満橋駅に降りた。  天満橋駅から中之島線に乗り換えた。 …
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大阪散歩 その13 大阪城を出て昼食

秀頼・淀殿ら自刃の地を終え、大手口から大手口枡形に出た。  大手口の上には多聞魯が造られていて、ここは重要文化財となっている。  今僕が居るのは大手口枡形と呼ばれている黄星印の地点である。  枡形とは城の主要な出入り口に設けられた四角い区画のことで、敵の侵入を食い止める役割を果たした。 …
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大阪散歩 その12 本丸の周辺部を散策

 これから本丸の周辺部を見ていく。  最初に、赤字いの桜門の巨石(蛸石)と桜門、続いて赤字ろの山里丸の秀頼・淀殿ら自刃の地、最後に赤字はの大手口の巨石と魯群である。  まず、桜門の巨石を見に行った。  人の大きさと比べるとその大きさが理解できるが、こんな風景となる。  城内巨…
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大阪散歩 その11  ミライザ大阪城を見学

大阪城の展示は各階でこのようになっていた。  7階は豊臣秀吉の生涯 、5階は大坂夏の陣図屏風の世界、4階は豊臣秀吉とその時代、3階は豊臣秀吉とその時代、2階はお城の情報コーナー、1階は天守閣の入口となっていた。  これは5階の大坂夏の陣図屏風の世界で、松平忠直と真田幸村の合戦の場面が描かれている。 …
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大阪散歩 その10 天守展望台から大阪の街を一望

 この天守は現在大阪城を象徴し、大阪市の象徴となっている。  建物は、徳川大坂城の天守台石垣に新たに鉄筋鉄骨コンクリートで基礎を固めた上に、鉄骨鉄筋コンクリート構造を吊り下げ工法を用いて建てた。 高さは54.8メートル(天守台・鯱を含む)で、5層8階(入口のある1階部分は地下)からなっており、復興天守の中は博…
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大阪散歩 その9 大阪城への旅

 司馬遼太郎への旅も3日目となった。  司馬さんへの旅としているが、この旅は本来の目的以外に寄り道が随所に出てくるのでご容赦願いたい。  今日は大阪のキタと言われている地域への旅で、そのメインとなるのが大阪城への旅である。  大坂城は、安土桃山時代の1583年から1598年にかけて豊臣秀吉が築いたが、そ…
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近江街道をゆく その13 石積みの門前町「坂本」を散策 その5 徳川ゆかりの寺社を見学

 滋賀院の裏手に天海(慈眼大師)の廟所である慈眼堂がある。  慈眼大師天海は徳川家康・秀忠・家光の時代に幕府の顧問として遇された大僧侶である。  織田信長の叡山焼打ちにより全山焼土と化した比叡山の復古に尽力したことにより、家光の命で慈眼堂が建立された。  慈眼堂の境内に入ったが、雰囲気はこんな感じの場所で…
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近江街道をゆく その12 石積みの門前町「坂本」を散策 その4 本家鶴喜そば本店で昼食

 日吉大社を見終えて午前中の日程終了ということで、楽しみにしていたそばを食べに、最澄の生まれた寺である生源寺の向かい側あたりにあるそば屋を目指して坂を下った。  大通りに面して「日吉そば」が店を出しているが、このそば屋は目的のそばやではない。  このそば屋の左手の小路を入っていく。  この格調の高…
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近江街道をゆく その11 石積みの門前町「坂本」を散策 その3 日吉大社に参拝

 これから日吉大社に行く。  全国には日吉神社、日枝神社、山王神社と呼ばれる日吉大社の神様の御霊(みたま)をお分けした分霊社が約3,800社あり、これから行く日吉大社が総本宮となっている。  日吉大社は東本宮と西本宮に分かれていて、ここの400,000㎡の境内は国の史跡となっているが、…
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