テーマ:ロシア

ビーフストロガノフ(代表的なロシア料理のひとつ)

ビーフストロガノフは代表的なロシア料理のひとつ。 16世紀初頭にウラル地方で成功した貴族ストロガノフ家の家伝の一品であったとされるが、考案者と生まれた時代については諸説が存在するらしい。 もっともらしく有名なものとしては、アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ストロガノフ(1733年〜1811年)の時代に生まれた説。 年老いたアレクサ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探検家列伝第4部 その9  一畳敷の松浦武四郎

探検家列伝第四部は18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した日本の探検家達を取り上げたが、その最後として蝦夷地を探査し北海道という名を考案した松浦武四郎を取り上げる。武四郎は19世紀初頭の1818年に誕生し、ほぼ19世紀を生き1888に没した、幕末から明治にかけての探検家である。 彼は伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探検家列伝第4部 その8 伊能忠敬その3(「大日本沿海輿地全図」まで)

第六次測量(1808年~四国)のため、1月25日に江戸を出発。 前回は約2年にわたる測量で風紀に問題が起きた為、忠敬は第六次測量を四国だけにとどめ、淡路島を経由して3月21日に鳴門から徳島に入り、南下して4月21日に室戸岬到着、29日に高知に入った。 続いて海岸線に沿って北上し、8月11日に愛媛・松山到着、瀬戸内海の島々…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探検家の歴史 第4部 その7 伊能忠敬その2(第5次測量まで)

 ここで第1次測量から第10次測量までを一覧表で見てみる。  最初は忠敬一家(息子、弟子、下男、人足)程度の規模の測量で測量費用も自腹だったが、第三次測量(1802年~東北日本海側)からは測量地の藩の協力が得られ、手当も支給されて収支トントンに近づいた。  第五次測量(1805年-1806年~近畿・中国地方)からは幕府直…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探検家の歴史 第4部 その6 伊能忠敬( 日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人)

 伊能忠敬は足かけ17年をかけて全国を測量し、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人である。(下図は伊能地図であるが、今とほぼ同じ、伊能のすごさは、こういうことである。)  忠敬の測量の旅は第1次から第10次測量までの10回で、探検と言えるようなものは第1次測量を行なった1800年の蝦夷地太平洋岸の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探検家の歴史 第4部 その5 近藤重蔵(探検家として人間として、尋常でないレベルに達した人)

 近藤重蔵(1771年〜1829年7月16日))は、江戸時代後期の幕臣で探検家である。間宮林蔵、平山行蔵と共に文政の三蔵と呼ばれている。  1771年に身分の低い貧しい武士である御先手組与力・近藤右膳守知の三男として江戸駒込に生まれ、山本北山に儒学を師事した。  幼少の頃から神童と言われ、8歳で四書五経を諳んじ1…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探検家の歴史 第4部 その4 松田伝十郎(樺太探検と蝦夷地経営に活躍)

 松田伝十郎は江戸時代の越後国出身の幕臣・探検家で、間宮林蔵と樺太を探検し、樺太見聞の実測図を作成した。  伝十郎は越後国頚城郡鉢崎村(現新潟県柏崎市)の貧農浅貝長右衛門の家に長男として生まれ、そこで道普請をしていた幕臣大西栄八郎にその才能を見出されて江戸に赴いて武士となるべく修行した。  その後、大西の同僚…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

更に更に更に更に更に続いてロシア人とウォッカの話を その7

その1 「大事な会議に遅刻して発表の持ち時間が半分になった。さて、彼らはどうするだろう?」ドイツ人は、いつもの倍のスピードで話す。アメリカ人は話を適当に省略して時間内に収める。フランス人はいつものペースでしゃべり続け、次の人の時間に平気で食い込む。さあ、ロシア人ならどうするか。ロシア人は、いつもの小話をカットすれば、半分の時間に十分収…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その6 河口「アストラハン」にて(この川の最終回)

  市内の小公園「白鳥の湖」  アストラハン(ロシア語:Астрахань アーストラハニ;Astrakhan)は、ロシア南部の都市でアストラハン州の州都。  人口は502,800人(2004年)でカスピ海低地、ヴォルガ川下流域デルタに位置し、カスピ海岸からは約90km離れてる。11の島から市街地は形成されて…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

青銅の騎手──ペテルブルグの物語── プーシキン

 序  言  この物語に書かれた事件は事実によっている。洪水の詳細は当時の記録からとられたものである。好事家はヴェ・エヌ・ベルフの編纂になる記事によってただすことができる。   序  詩 荒寥とした水の岸辺に、 彼*はたっていた、偉大な思いにみちて、 そして遠くを眺めていた。彼の前には広々と 川が流れ、見すぼ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

更に更に更に更に続いてロシア人(エリツィン)とウォッカの話を その6

その1 1941年9月、ドイツ軍がレニングラードに侵攻し、たちまち包囲されてしまった。 ソ連軍の善戦のもと、戦いは長引いた。 とある日、守備隊長から「至急送ってほしい」との電報が届く。 武器がたりなくなったのかと思っていたら、 「もっと度数の高いウォッカを送って下さい。戸外の気温は零下45度。ここにあるウォッカは40度。とても戦争になり…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ボルガ川の旅 その5 「スターリングラード」にて最後のクリスマスの話

  ママエフの丘の母なる祖国の像(スターリングラード大攻防戦の記念碑の一つ。)   ヴォルゴグラードは、ヴォルガ川沿いに開けた海運要衝の街で、ヴォルゴグラード州の州都である。人口はおよそ110万人。  北緯48度42分、東経44度31分に位置する。(日本最北端稚内は北緯45度31分14秒。北緯50度だと、樺太の真ん中…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

更に更に更に続いてロシア人とウォッカの話を  その5

その1 若者の一団がウォッカを積んだトラックを強奪した。 なんとか捕まえたが、積み荷はひとつも残ってなかった。「ウォッカはどこにやった」「売っちまったよ」「その金はどこだ」「呑んじまった!」 その2 日本が北方領土について、意見を求めたとき ゴルバチョフは「そのお話は、お酒を飲んだ時にでも」エリツィンは「そのお話は、酔っていない時に…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その4 「ウリヤノフスク」にて(最後に問題あり。)

   ソビエト社会主義共和国連邦の産みの親 レーニンの像 ↑  20世紀の歴史に七十数年もの間強大な影響を与えたソビエト社会主義共和国連邦はロシア史上最大で最強の国家であった。  東はベーリング海、西はバルト海、北は北極海、南は黒海・カスピ海に臨み、その領域に住む15共和国の人民を共産主義という思想で束ね…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

トルストイの短編詩から 「忘れずやマリヤの君」

忘れずやマリヤの君よ 古びたる一つの家を まどろめる池の上なる いく世へし菩提樹の木を しじまなる並木の道を ものさびて古りにし苑(その)を いと高き廊なる壁に 姿絵のかけつらねしを? 忘れずやマリヤの君よ たそがれのみ空の色を 目路の果てひろごる野もを 遥かなる村寺の鐘を? 苑のそとせせらぎ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その3 「カザン」にて

 いつものように最後に問題があります、答えてね・・  カザンはタタルスタン共和国の首都。人口の半分はタタール人であり、彼等はムスリム(イスラム教徒)でもある。   カザン中心部の白いクレムリン  ↑  ここはアジア人種の飛び地であるせいか、ロシアでも珍しいイスラム的な街並みが特徴、 また人々も欧…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ビーフストロガノフ(代表的なロシア料理のひとつ)

ビーフストロガノフは代表的なロシア料理のひとつ。 16世紀初頭にウラル地方で成功した貴族ストロガノフ家の家伝の一品であったとされるが、考案者と生まれた時代については諸説が存在するらしい。 もっともらしく有名なものとしては、アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ストロガノフ(1733年〜1811年)の時代に生まれた説。 年老いたアレクサ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その2 「ヤロスラヴリ」にて

ボルガ川河川地図   ヤロスラヴリ河港風景  ↑(最後に問題ありです。)  ヤロスラヴリは、モスクワの北東約260キロ、大河ヴォルガのほとりに発展した、教会や修道院などの歴史的建築物に恵まれた美しい街で、この街のスパスキー修道院は、古代ロシア唯一の文学的傑作「イーゴリー戦記」の写本が発見されたこと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ボルシチ(ウクライナ料理からロシア料理に)

ボルシチとは ボルシチ(ウクライナ語で[ボールシュチュ]; 意訳:「紅汁」)は、テーブルビートをもとにしたウクライナの伝統的な料理で、鮮やかな深紅色をした煮込みスープである。近世以後、ベラルーシ、ポーランド、モルドバ、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、ロシアなどの東欧諸国に普及した。現在、東欧文化圏のほかに、中央ヨーロッパ、ギリシ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その1 「ボルガ源流地」から

 ボルガ川上流部地図、大きくして見てね。 ↑(いつものように最後に問題あり、答えてね。)  ボルガ川は、モスクワとサンクトペテルブルク(旧レニングラード)の中間に位置するロシア西部のバルタイ丘陵に、その源を発する。  源流の村は、ボルゴベルホーベ村、白樺の林やトウヒらしい松の巨木、モミの木やドロの…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 序章

 ロシア8連邦管区区分図、緑と黄色の一部がボルガ河の河川流域です。 ↑(いつものように最後に問題あり、答えてね。)  ロシアは最近まで、ソビエト社会主義連邦共和国として、ミシシッピのアメリカ合衆国と東西に別れて冷戦世界を築いてきた。   初代ソ連最高指導者「レーニン」、レーニンは「レナ川の人」…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ロシアのアネクドート傑作集から その12 ロシア(ソ連)のキツイジョーク

その1 ブレジネフ曰く「わが国にジョークなど必要無い。なぜなら、わが国の存在自体がジョークだからである。」 その2モスクワの街頭にて。「今度「プラウダ」が懸賞つきで政治ジョークを募集するらしいぜ」「へえ、一等賞はなんだい?」「シベリア送りさ」 その3 大統領選挙前、チュコト半島のチュクチ人のもとへモスクワから無償で人道援…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ロシアのアネクドート傑作集から その10 ロシア(ソ連)の話

その1アメリカに追いつくのはいいが、追い越すのはマズいのかもしれない。なぜ?追い越すと、ズボンが破れているのを見られるかもしれないからだ。 その2レーニンはロシアという荒地に木を植えて森にした。スターリンは森からはみだした木を刈って林にした。フルシチョフは林にしたスターリンに文句を言った。ブレジネフはみずぼらしい林を何とか隠そうとネッ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探険家列伝第3部 第9章 カムチャッカ半島を制覇したウラジーミル・アトラソフ

 シベリアの制覇の次は、シベリア大陸の東端にぶら下がっている巨大半島カムチャッカ半島の制覇、この半島の面積は472,300km2もあり、日本の約1.3倍の広さである。 カムチャツカ半島について、西洋人に詳細な情報がもたらされ始めたのは17世紀のことで、イワン・カムチャツキーやセミョン・デジニョフなどのロシアの探検家によってこの地域の情報…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

啓蟄に思う

 啓蟄で思い切り春を感じていたいのですが、ウクライナ情勢が気になり、関係のないことを書いてしまって申し訳ありません。  二十歳少し過ぎの学生の頃に、旧ソ連を旅したことがあり、その時ウクライナのヤルタやキエフにも立ち寄りました。  ドニエプル川を望む高台にある不滅の栄光の公園の前で、将来のウクライナ美人候補に出合ったのです。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探険家列伝第3部 第8章 間宮林蔵の時空を越える旅

 蝦夷錦を運んだ道は、大陸を流れる大河アムール川(中国名・黒龍江)を経て、中国・南京から北海道に至る、全長約5千キロにおよぶ壮大な「北のシルクロード」であった。  この北のシルクロードを歩いて清国の仮府(一時的な役所)が置かれていたデレン(現ノボリノフカ)を中心に黒龍江(アムール川)下流での調査・探検を行ったのが、間宮海峡に名…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第3部 第7章 探検家たちによるシベリア制覇

   ロシアがシベリアの東端に達するのは、イェルマークがイルティシュ川で水死してからわずか63年後の1648年のことである。  ユーラシア大陸を東西にまたぐ大国家を建設するという野望を実現した民族は、モンゴル民族とロシア民族である。  モンゴル民族は騎馬でそれを実現したが、草原の終わるところで森林に阻まれて止まった。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史第3部 第6章 松前慶広と蝦夷錦

 ロシアに於ける辺境がシベリアなら、日本における辺境は北海道(蝦夷地)及び樺太そして千島列島であろう。  シベリアはロシア民族以外の民族の居住する場所で、同じように北海道(蝦夷地)及び樺太そして千島列島も大和民族(日本民族、和人ともいう)以外の民族が住んでいた。  今回は、この日本の辺境地域に進出した松前氏までの…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

探険家の歴史 第3部 第5章  イェルマークとシビル・ハン国

 チンギス・カンの長男のジョチ家がロシアに築いた領土はジョチ・ウルス(ジョチ家の所領)と言われ、それはキプチャク・ハン国とも呼ばれた。  ジョチ・ウルスは、13世紀から18世紀にかけて、黒海北岸のドナウ川、クリミア半島方面から中央アジアのカザフ草原、バルハシ湖、アルタイ山脈に至る広大なステップ地帯を舞台に、ジョチの…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more