探検家列伝第4部 その1 松前藩の祖「武田信廣」と松前藩 18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した日本の探検家達を取り上げる前に、江戸幕府から日本の北の辺境の地である蝦夷地(北海道、樺太、千島)の支配権、交易権を公認されていた松前藩について簡略に記する。 渡島半島の南端にはアイヌ文化成立の前段階である擦文時代には、擦文文化と本州土師器文化の間に生じたクレオール(植民地)的文化である青苗文… トラックバック:0 コメント:0 2021年01月15日 続きを読むread more
続いてロシア人とウォッカの話を少々 ロシアの小話その2 ロシアの小話その2 その1 世の中にブスはいない。ウォッカが足りないだけだ。 その2 このウォッカは南京虫の臭いがするという人をペシミストという。 この南京虫はウォッカの臭いがするという人をオプティミストという。 その3 「父ちゃん、酔っ払うってどういうことなの」 「ここにウ… トラックバック:0 コメント:0 2021年01月08日 続きを読むread more
探険家の歴史第3部 第10章 鎖国体制下の日露関係 鎖国体制下の日露関係をここで年代順に確認する。 カムチャッカ半島を探検したアトラソフ以後のことである。 1711年、イワン・コジレフスキーが千島列島を探検し、最南部の国後島に上陸した。 1739年、ヴィトゥス・ベーリングが派遣したマルティン・シュパンベルク隊が仙台湾や安房国沖に接近したものの、徳川幕府は沿岸防備を強化した為… トラックバック:0 コメント:0 2021年01月08日 続きを読むread more
ロシア人とウォッカの話を少々 飲食という観点でロシア人の第1印象を一言で言えば、「ウォッカとキャビアとボルシチ」となる。 ウォッカ「アルタイ山」;シベリアの酒、ピリピリとした辛口「ピョートル大帝」;甘すぎず辛すぎず飲みやすいウォッカ。 そのウォッカはロシア人の魂とも言える酒で、これ無くしてはロシア人はロシア人でありえないというくらいのものらしい。 … トラックバック:0 コメント:0 2021年01月05日 続きを読むread more
探険家の歴史 第3部 第9章 カムチャッカ半島を制覇したウラジーミル・アトラソフ シベリアの制覇の次は、シベリア大陸の東端にぶら下がっている巨大半島カムチャッカ半島の制覇、この半島の面積は472,300km2もあり、日本の約1.3倍の広さである。 カムチャツカ半島について、西洋人に詳細な情報がもたらされ始めたのは17世紀のことで、イワン・カムチャツキーやセミョン・デジニョフなどのロシアの探検家によってこ… トラックバック:0 コメント:0 2021年01月05日 続きを読むread more
探険家の歴史 第3部 第7章 探検家たちによるシベリア制覇 ロシアがシベリアの東端に達するのは、イェルマークがイルティシュ川で水死してからわずか63年後の1648年のことである。 ユーラシア大陸を東西にまたぐ大国家を建設するという野望を実現した民族は、モンゴル民族とロシア民族である。 モンゴル民族は騎馬でそれを実現したが、草原の終わるところで森林に阻まれて止まった。 … トラックバック:0 コメント:0 2020年12月25日 続きを読むread more
探険家の歴史第3部 第6章 松前慶広と蝦夷錦 ロシアに於ける辺境がシベリアなら、日本における辺境は北海道(蝦夷地)及び樺太そして千島列島であろう。 シベリアはロシア民族以外の民族の居住する場所で、同じように北海道(蝦夷地)及び樺太そして千島列島も大和民族(日本民族、和人ともいう)以外の民族が住んでいた。 今回は、この日本の辺境地域に進出した松前氏までの… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月22日 続きを読むread more
探険家の歴史 第3部 第5章 イェルマークとシビル・ハン国 チンギス・カンの長男のジョチ家がロシアに築いた領土はジョチ・ウルス(ジョチ家の所領)と言われ、それはキプチャク・ハン国とも呼ばれた。 ジョチ・ウルスは、13世紀から18世紀にかけて、黒海北岸のドナウ川、クリミア半島方面から中央アジアのカザフ草原、バルハシ湖、アルタイ山脈に至る広大なステップ地帯を舞台に、ジョチの… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月18日 続きを読むread more
探険家の歴史第3部 第4章 マンモスハンター達の軌跡 新人類が日本に到達したのは今から3万年前、その頃の日本は氷河期の最終氷期の終期に当って、樺太と北海道と本州と四国と九州は繋がっており、朝鮮半島と日本列島も繋がっていた時期があったと考えられる。 氷期になると間氷期に比し平均気温が7~8度下がり、海岸線が極端に遠退き、陸上の大部分が氷に覆われる。海面は100mも下が… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月15日 続きを読むread more
探険家の歴史第3部 第3章 「東洋人の皮をかぶった西洋人」の国「ロシア」 一般的にはルーシの時代からロシアという国が始まったと考えられている。そのロシアが周辺の国々を従えてソ連体制を築いたのが1917年、この時ソ連(ロシア)の版図は歴史上で最大になり、事実上は世界の国の半分を支配していた。 このソ連(ロシア)に参加した国々は、15共和国を数える。 中央アジアでは、ウズベク共和… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月11日 続きを読むread more
探険家の歴史 第3部 第1章 ルーシの国を創った北欧バイキング ルーシの国を創った北欧バイキング ロシアは東スラブ人の国である。 スラブは東スラブ人(ロシア人、ウクライナ人 、ベラルーシ人)西スラブ人(ポーランド人 、チェック人、スロバキア人)、南スラブ人(スロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、ブルガリア人、マケドニア人)に分類される。 スラヴ人… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月04日 続きを読むread more
探険家の歴史 第3部(環オホーツク海の探険家達) プロローグその2 日本とロシアはあらゆる意味で対照的な国柄である。まず国の大きさだが、日本は37万㎡、一方ロシアは1700万㎡、45倍も大きい。 それに対して人口は、日本が1億3000万人、一方ロシアは1億4000万人、ほぼ同数であるので、人口密度は日本が37倍ということになる。 ただ、日本の大地のほとんどが温帯地域なのに、ロシ… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月01日 続きを読むread more
探険家の歴史第3部 環オホーツク海の探険家達 プロローク 探険家列伝第1部は、北極、南極、世界の最高峰「ヒマラヤ」、世界の7サミットを目指した探険家・冒険家達を取り上げた。 探険家列伝第2部は、世界の7サミットと関野吉晴「グレートジャーニーの旅」にあやかり、世界5大陸の最長河川をアマゾン川、ミシシッピ川、長江、ボルガ川、ナイル川と、その河口から源流まで極める旅に出… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月27日 続きを読むread more
青銅の騎手──ペテルブルグの物語── プーシキン 序 言 この物語に書かれた事件は事実によっている。洪水の詳細は当時の記録からとられたものである。好事家はヴェ・エヌ・ベルフの編纂になる記事によってただすことができる。 序 詩 荒寥とした水の岸辺に、 彼*はたっていた、偉大な思いにみちて、 そして遠くを眺めていた。彼の前には広々と 川が流れ、見す… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月19日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その6 河口「アストラハン」にて(この川の最終回) 市内の小公園「白鳥の湖」 アストラハン(ロシア語:Астрахань アーストラハニ;Astrakhan)は、ロシア南部の都市でアストラハン州の州都。 人口は502,800人(2004年)でカスピ海低地、ヴォルガ川下流域デルタに位置し、カスピ海岸からは約90km離れてる。11の島から市街地は形成されて… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月20日 続きを読むread more
更に更に続いてロシア人とウォッカの話を 小話その4 1 ロシア女性に聞いた結婚したい人 3位 よく働く人 2位 暴力を振るわない人 1位ウォッカを飲まない人 2 ある泥酔者 赤の広場で、泥酔者がウオッカの空瓶を振り回しながら喚いた。 酔っぱらい 「エリツィンのバカ、アル中、インポのくたばりぞこない」 するとクレム… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月16日 続きを読むread more
ボルガ川の旅 その5 「スターリングラード」にて最後のクリスマスの話 ママエフの丘の母なる祖国の像(スターリングラード大攻防戦の記念碑の一つ。) ヴォルゴグラードは、ヴォルガ川沿いに開けた海運要衝の街で、ヴォルゴグラード州の州都である。人口はおよそ110万人。 北緯48度42分、東経44度31分に位置する。(日本最北端稚内は北緯45度31分14秒。北緯50度だと、樺… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月16日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その4 「ウリヤノフスク」にて(最後に問題あり。) ソビエト社会主義共和国連邦の産みの親 レーニンの像 ↑ 20世紀の歴史に七十数年もの間強大な影響を与えたソビエト社会主義共和国連邦はロシア史上最大で最強の国家であった。 東はベーリング海、西はバルト海、北は北極海、南は黒海・カスピ海に臨み、その領域に住む15共和国の人民を共産主義という思想で… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月13日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その3 「カザン」にて いつものように最後に問題があります、答えてね・・ カザンはタタルスタン共和国の首都。人口の半分はタタール人であり、彼等はムスリム(イスラム教徒)でもある。 カザン中心部の白いクレムリン ↑ ここはアジア人種の飛び地であるせいか、ロシアでも珍しいイスラム的な街並みが特徴、 また人々… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月09日 続きを読むread more
続いてロシア人とウォッカの話を少々 ロシアの小話その2 ロシアの小話その2 その1 世の中にブスはいない。ウォッカが足りないだけだ。 その2 このウォッカは南京虫の臭いがするという人をペシミストという。 この南京虫はウォッカの臭いがするという人をオプティミストという。 その3 「父ちゃん、酔っ払うってどういうことなの」 … トラックバック:0 コメント:0 2020年10月06日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その2 「ヤロスラヴリ」にて 音楽あり、↓クリックです!! http://nicoviewer.net/sm9877405 ボルガ川河川地図 ヤロスラヴリ河港風景 ↑(最後に問題ありです。) ヤロスラヴリは、モスクワの北東約260キロ、大河ヴォルガのほとりに発展した、教会や修道院などの歴史的建築物に恵まれた… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月06日 続きを読むread more
ロシアのアネクドート傑作集から その2 ソ連時代の小話 ロシアのアネクドート傑作集から その2 その1 場所はモスクワの中学校。 先生が地球儀を指して、授業をしている。 「みなさん、ここには失業と暴力と、そして人種差別と不正の横行しているアメリカがあります。そしてこちらは幸福と、完全雇用と住みよい公正な国ソ連であります」 すると後から、ちょっとウスノロのアリョーシャ… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月05日 続きを読むread more
ロシア人とウォッカの話を少々 飲食という観点でロシア人の第1印象を一言で言えば、「ウォッカとキャビアとボルシチ」となる。 ウォッカ「アルタイ山」;シベリアの酒、ピリピリとした辛口 そのウォッカはロシア人の魂とも言える酒で、これ無くしてはロシア人はロシア人でありえないというくらいのものらしい。 そのウォッカとロシアにまつわる小話を少々。… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月02日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その1 「ボルガ源流地」から ボルガ川上流部地図、大きくして見てね。 ↑(いつものように最後に問題あり、答えてね。) ボルガ川は、モスクワとサンクトペテルブルク(旧レニングラード)の中間に位置するロシア西部のバルタイ丘陵に、その源を発する。 源流の村は、ボルゴベルホーベ村、白樺の林やトウヒらしい松の巨木、モミの木やドロの木の… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月02日 続きを読むread more
ロシアのアネクドート傑作集から その1 ロシア人は酒の席になると「おい、何か新しいアネクドート知らないか?」と始まる。 アネクドートとは、酒の席で話すロシア人の小話である。 その1 母親が息子に「どうしてあんたびしょ濡れなの?」 「友達と犬遊びをしたんだもん。」 「で?」 「僕、木の役だったんだ。」 その2 「服を脱いで。」医者が… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月01日 続きを読むread more
探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 序章 ロシア8連邦管区区分図、緑と黄色の一部がボルガ河の河川流域です。 ↑(いつものように最後に問題あり、答えてね。) ロシアは最近まで、ソビエト社会主義連邦共和国として、ミシシッピのアメリカ合衆国と東西に別れて冷戦世界を築いてきた。 初代ソ連最高指導者「レーニン」、レーニンは「レナ川の人」とい… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月29日 続きを読むread more
ロシア人が遠くに旅行したくなる「プーシキン」 そのプーシキンの詩を1・2覗いてみる。 「 忘れない、あの美しいひととき 」 忘れない、あの美しいひととき あなたが私の前に現れた時を まるで束の間の幻のように 美しい妖精のように あてどない悲しみの中 空しい日々の暮らしの中 幾度あなたの声を いとしい姿を夢にみたことか 時が過ぎ、嵐… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月03日 続きを読むread more
青銅の騎手──ペテルブルグの物語── プーシキン 序 言 この物語に書かれた事件は事実によっている。洪水の詳細は当時の記録からとられたものである。好事家はヴェ・エヌ・ベルフの編纂になる記事によってただすことができる。 序 詩 荒寥とした水の岸辺に、 彼*はたっていた、偉大な思いにみちて、 そして遠くを眺めていた。彼の前には広々と … トラックバック:0 コメント:0 2020年07月31日 続きを読むread more
ボルガ川の旅 その6 河口「アストラハン」にて(この川の最終回) 市内の小公園「白鳥の湖」 アストラハン(ロシア語:Астрахань アーストラハニ;Astrakhan)は、ロシア南部の都市でアストラハン州の州都。 人口は502,800人(2004年)でカスピ海低地、ヴォルガ川下流域デルタに位置し、カスピ海岸からは約90km離れてる。11の島から… トラックバック:0 コメント:0 2020年05月08日 続きを読むread more
ボルガ川の旅 その5 「スターリングラード」にて最後のクリスマスの話 ママエフの丘の母なる祖国の像(スターリングラード大攻防戦の記念碑の一つ。) ヴォルゴグラードは、ヴォルガ川沿いに開けた海運要衝の街で、ヴォルゴグラード州の州都である。人口はおよそ110万人。 北緯48度42分、東経44度31分に位置する。(日本最北端稚内は北緯45度31分14秒。北緯50度だと、樺… トラックバック:0 コメント:0 2020年05月05日 続きを読むread more