越前と若狭の旅 その47 小浜市で「 若狭マリンピア2015花火大会」を見学

若狭国分寺跡を発ち、小浜市に入った。 昼食をどこでとろうか迷ったが、黄星印のフィッシャーマンズワーク2階にある「レストラン海幸苑」に決めた。 午後1時半になっていた。 この「レストラン海幸苑」で、若狭名物の鯖寿司と漁師汁が両方味わえる税込1404円の「潮風膳」をおいしくいただいた。 この越前と若狭…
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探険家の歴史 第2部 長江の旅 その4 三峡にて(K)

  中国三峡、宜昌から重慶までの地図、大きくして見てね。 ↑   長江の中流域に、今とてつもない工事が進められている。  三峡ダム工事である。       工事現場です。 ↑  このプロジェクトは1919年、中国革命の父孫文が提唱、中国建国の父毛沢東がダム着工の方針を固めた国家の威信を賭け…
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菱田春草、《落葉》《黒き猫》

 菱田春草は明治7年、飯田・仲之町の生まれです。東京美術学校で絵画の諸技法を学び、明治31年には岡倉天心の指導下で創立された日本美術院に参加しました。そして同院にて没線主彩の絵画技法の研究に取り組みますが、画面が暗濁化する傾向をともなうこの技法は「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれて批判を受けました。  明治36年、春草は天心の…
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能登(日本道)への道 その14 弁天崎源泉公園から総湯に

 昼食後、1時間半ほど和倉温泉を散策した。  まず、弁天崎源泉公園を見て、それから総湯に行き、湯本の広場を見たあとに、渡月庵を見ながら渡月橋を渡った。  ここから少し歩いて少比古那神社に参拝し、また少し歩いて靑林寺を訪ねた。  では、弁天崎源泉公園から和倉温泉散策を始める。  この公園は温泉街のほぼ中央に位置し、…
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耽羅紀行(済州島の旅) その32 柱状節理帯を見学

 大浦海岸は雄大である。  僕等ツアー客はヤンガイドに遅れないようについて行きながら、記念写真の撮影に夢中である。  ヤンガイドはこの場で柱状節理帯の説明をしていく。  この海岸に溶岩が流れ込み、そして冷却されて柱状に形作られ、やがて溶岩石群は風化によって原型を変えていく…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その10 山寺に登る

大石田を後に、次の目的地である山寺へ向かう。   午前10時22分に黄星印の山寺を出て、村山市、東根市、天童市を通過し、午前11時38分に黄矢印の山形市の山寺に到着した。  山寺は通称で、寺号は宝珠山阿所川院立石寺立石寺といい、本尊は薬師如来である。古来から悪縁切り寺として信仰を集め、平泉中尊寺・毛越寺、松島瑞巌寺とともに「四…
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奴奈川姫の川「姫川」の源流で釣る その1

 姫川の源流で渓流釣りをする機会を持った。  姫川は河川総延長距離がたった58km、しかしその平均勾配は1000分の13ということで、まさに日本の川の典型のような短い急流の川である。  姫川は名前も美しい、その急峻な流れも美しい。  川の名前のルーツは古事記にまでさかのぼるが、古代、姫川下流の越(高志)の国に、奴奈…
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「播磨と淡路のみち」 その23 龍野城まで歩く 

この白壁が続く屋敷は「霞城館」と「矢野勘治記念館」の二つの記念館を併設した建物である。 白壁には入り口が二つあった。 ここが、旧制一高の西寮寮歌「春爛漫」、東寮寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」の作詞者である矢野勘治の旧居である矢野勘治記念館の入り口である。 こちらが、龍野出身の近現代の文化人である三木露風、内海信…
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東京散歩 その1 不忍池

 去年の済州島の旅は天候にも恵まれ楽しい旅となったが、その後歩いた東京散歩の旅もなかなか楽しい旅だった。   田舎都市の新潟に住んでいるので、徳川の江戸時代に形成されてから既に400年の歴史を持ち、世界に誇れる日本の首都となった東京の街を歩くのは、大いなる楽しみとなった。  これから記するのは…
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「オホーツク街道」の旅 その10 間宮林蔵の樺太や沿海州の旅のこと その1スメレンクルとは

 北方記念館には、間宮林蔵の樺太から沿海州への旅の記録が展示されていた。  彼の見た樺太は、村上貞助によって、「北夷分界余話」「東韃地方紀行」(3巻あり、林蔵の口述を貞助が編纂して挿図を入れたもの)としてまとめられ、1811年(文化8年)に幕府に提出された。  前者には樺太の地名や地勢、民俗が、後者には清国の仮府(一時的な役所)が置かれ…
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零下10度への旅 中国編3 そして万里の長城へ・・・

 北京の中心部から八達嶺(四通八達の意味)までは60km。 市街地を抜けるまでは、朝の渋滞に巻き込まれノロノロ運転を繰り返していたが、少し郊外へ出ると、バスの速度は上がり同時に、ガイドの金妙珍(キンミャオチン)の調子も良くなり、バスの中では、ズット中国や日本についての講義時間となった。 彼女は日本の京都大学に2年留学したことが…
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越前と若狭の旅 その46 若狭歴史博物館と若狭国分寺跡を見学

熊川宿から小浜を目指して鯖街道を引き続き走り、その途中で明通寺の国宝である三重塔と本堂を見学したが、ここは省略する。 その代わり、福井県立若狭歴史博物館と若狭国分寺跡を見学したので紹介する。 若狭歴史博物館は若狭地方の歴史・民俗など、豊かな文化遺産を調査研究、保存・公開するための施設として、昭和57年10月に若狭歴史民俗資料館として…
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甲州街道と佐久平みち その14 旧制松本高校から唐沢そば集落に 

 松本深志高校から3㎞程離れた旧制松本高校(新制信州大学の発足にあたりその母体の1つとなり、文理学部に改組された。)に向かった。  旧制松本高校は1919年4月、長野県松本市に設立された官立の旧制高等学校である。改正高等学校令に基づき9番目の官立旧制高等学校として設立された学校で、ナンバースクールの高校に続き設立されたいわゆる…
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思い出の中の川 第7回 海府(笹川流れ)の小渓流 NO1

第7回は海府(笹川流れ)の小渓流である。平成21(2009)年から平成25(2013)年までの5年間、5月の連休の間に1泊2日の日程で、海府(笹川流れの)の小渓流へ釣りに出かけていた。 この時期はゆきしろが出て、どこの川も増水して釣りにならない。それで、山菜採りを兼ねて、海府(笹川流れ)の小渓流に釣りに行っていた。宿泊したのは勝木の山北…
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比較日韓論「新・スカートの風」  呉善花 

   新スカートの風、著者は呉善花(オ ソンファ)、韓国済州島生まれ、大東文化大学(英語学)卒業後、東京外国語大学大学院修士課程修了(北米地域研究)、その後日韓ビジネスの現場で、ビジネス通訳や翻訳を仕事とする。   代表的な著作は「スカートの風シリーズ」(正、続、新が刊行されている)、「日本人を冒険する」、「ワサビと唐辛子」、…
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能登(日本道)への道 その13 和倉温泉に到着

 和倉温泉駅に到着したが、目指す和倉温泉中心部はアクセスが悪く、駅からバスに乗って10分ほどのところにある。  駅の観光案内所の女性所員に聞いて、どうにか無事、北鉄能登バスに乗って和倉温泉中心部にたどり着いた。 目の前の旅館が、超有名な和倉温泉加賀屋である。 和倉温泉の筆頭旅館の地位を占め、地上20階、約1,450…
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耽羅紀行(済州島の旅) その31 ジョアンスタジオと 柱状節理帯を見学

 薬泉寺の次はジョアンスタジオである。このスタジオノオーナーであるオ・ジョアンさんは、ペ・ヨンジュンをモデルにしたテディベアを制作したことで日本でもおなじみの方である。 僕もペ・ヨンジュンの演じた「冬のソナタのチュンサン」をブログでのハンドルネームとしているので、ここは興味を持って見学した。オ・ジョアン氏は世界的にも有名なテディベア作家…
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ジュンチャンと世界を巡る 第44回はスペイン

 今回から三回スペインを旅しますが、この国はスペインを愛した日本人から紹介してもらうことにします。  その人の名は俳優の天本英世です。  彼は戦争末期を生き延び、終戦後に東大法学部を中退し、俳優になりました。  天本がスペインに傾倒するきっかけとなったのは音楽で、少年の頃よりクラシック音楽に馴染み、やがて民族族音楽へと入…
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「播磨と淡路のみち」 その22  朝焼けの龍野を歩く

その常照寺の真ん前まで来た。 常照寺は龍野で400年以上の歴史を持つ日蓮宗のお寺で、境内には明治の文豪国木田独歩の祖父にあたる国木田国丸の墓碑も在るというが、ここは素通りして十文字川沿いを歩いて行く。 龍野は兵庫県で一番古い家並みが残っている街ということで、実に古色を帯びていい風景で、右手を流れる細流の十文字川もこの…
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零下10度への旅 中国編2 北京オリンピック会場遠望

 中国は2008年に北京オリンピックを開催した。 このオリンピックは開催前から悪評判で、開催地北京は大気・水・治安・交通事情・食の安全・衛生医療のどれを見ても世界最凶都市と言われていて、その年の5月に起きた四川省の大地震が、悪評判に追い討ちをかけていた。 ただ、実際に8月8日の午後8時に始まったオリンピックでは事前の悪評判ほどでは…
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朱熹(朱子先生)   偶成(ぐうせい)

少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声  少年、老い易く、学成り難し。一寸の光陰、軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢。階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)、已(すで)に秋声。  詩に云う。若い時はうつろいやすいもので、あっという間に歳をとる半面、学問は…
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越前と若狭の旅 その45 「熊川宿」を歩く

鯖街道を走って行くと、「御食国(みけつくに)」という言葉に出会った。 御食国とは、古代から平安時代まで、皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を貢いだ国のことである。 既に若狭に入っているが、ここ若狭は朝廷の食卓を支えた御食国の一つで、都とは古代から交流していた。 近江から若狭に入っていくらも行…
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長江の旅 その3 武漢(ウーハン)にて クイズ付きブログ(問題は最後)

               長江第1大橋(武漢)  ↑最後に問題があります。   武漢は長江の中流域に位置し、長江と長江最大の支流である漢水の交わる地点に開けた町。漢水は陝西省の秦嶺山脈に源を発し、水量の多さでは黄河をしのぐと言われる。全長、1532キロもある。 武漢は、古来より水陸交通の要衝であった。内陸の港町としては、…
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白狐 下村観山

下村観山  1873年~1930年  日本画家。本名下村晴三郎。1873年紀州徳川家抱えの能楽師の子として和歌山に生まれ、8歳で東京に転居。藤島常興、狩野芳崖、橋本雅邦に師事する。東京美術学校(現:東京藝術大学)に第1期生として入学。卒業後、同校助教授となっている。  1898年東京美術学校校長であった岡倉天心が東京美術学校騒動で…
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能登(日本道)への道 その12 ビュースポットの風景にくぎ付け

 能登中島駅を出発して、しばらく山の中を走って再び海岸線に出ると、そこに沿線で一番のビュースポットが広がった。  上地図の中島町深浦地区である。  電車はこの場所でしばらく停車し、観光客はカメラを構えてシャッターを押していく。  見れば見るほどうっとりする風景で、何枚か撮った写真の中に、空を飛行するトビまで写り込…
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耽羅紀行(済州島の旅) その30 東洋一の薬泉寺を見学 その2

 大寂光殿の中に入る。 ここは撮影可能ということで、遠慮しつつも大胆に仏の近くに向かった。  ちょうど坊さんが二人仏に向かっておられて、その後ろに女性の二人組が参拝していた。  仏にもっと迫ってよく見ると、本尊の両脇の仏様の後ろにも沢山の仏様が居られるのが見える。  2本…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その9 大石田にて

これから大石田町へ向かうが、大石田はかつて最上川の舟運で栄えた。 大石田の南には、碁点、隼、三ヶ瀬の最上川三難所があり、物資を安全に運ぶためには、大石田河港で陸揚げし、三難所を避けて陸路運ぶ方がリスクが少なく確実であった。舟運で上流部に運ぶ場合でも三難所があるため、酒田港からの大型の川舟はここまでしか入れず、三難所を越える…
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また釣れた、今日は大漁 夢の中・・・・

  7月16日(月)は海の日、九州では大雨だが、新潟の今年は今のところはさほどでもない降り。  去年の7月の梅雨末期の季節は、福島県と新潟県で豪雨が続き、今年の九州並みの洪水となった。  もちろん、今年も予断は許さないが、梅雨空が久しぶりに晴れ、猛暑の夏空の一日となったので、山女釣りに出かけた。      …
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四月の藤沢川で今年初めての山女をゲット!!

 霊峰「光兎山」にウサギの残雪がくっきりと見えるようになる頃、山里の藤沢川沿いの集落にも遅い春が到来する。  家の周りの桜の花は満開となる。  川傍の土手に無造作に植えられた水仙の花も満開である。  1年中で一番華やかな季節が始まったのである。  この景色の…
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「播磨と淡路のみち」 その21  「片しぼ竹の宿 梅玉」

今夜の「片しぼ竹の宿 梅玉」は朝食付き8,316円の宿で、和室二部屋があり、それに玄関や廊下や洗面所やバスやトイレが付いている豪華な部屋で、宿のおかみさんの話では、「今日は一番いい部屋が空いていたので、この部屋を使ってもらいます」ということだった。 贅沢すぎると思ったが、遠慮なく使わせていただくことにした。 向こうの部屋には…
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「オホーツク街道」の旅 その9 稚内市開基100年記念塔から稚内市を眺望する。

 明治12年7月1日、現宗谷に宗谷村を開村したのが稚内市の開基となる。  昭和24年に北海道で14番目の市政がひかれ、昭和53年7月1日をもって開基100年・市政施行30年を迎えた。  稚内公園の海抜170mの丘に、80mの開基100年記念塔を建設し、その1・2階を北方記念館として開館。  その100年記念塔に向かった。  80m(海…
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零下10度への旅 中国編1 さて、中国着陸です!!

 今回の中国の旅は、万里の長城、故宮博物館、天壇公園の3つの世界遺産を見て回り、ついでに、北京オリンピック会場やパンダなども見てこようという贅沢な旅。 この他にもいろんなとこを見てきた。  紀元前と紀元後を合わせ4千年の歴史を誇り、中華の国として栄えた大人の国「中国」をこの厳冬期に訪れようとは考えもつかなかったが、格安ツアーに惹かれて参…
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越前と若狭の旅 その44 海津散策後、鯖街道へ

海津は西近江路と湖上交通の要衝として栄えた宿場町であり、同時に港町でもある。 この通りをこのまま進んで行くと、琵琶湖湖岸側に風や波から家を守るために造られた石積みが目に入って来た。 これが「海津浜の石積」と呼ばれているものである。 1701年に甲府藩領高島郡の代官として赴任した西与一左衛門は、風波の…
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甲州街道と佐久平みち その13 旧開智学校の中に入る 

 旧開智学校の中に入ったが、特に印象に残るような展示は無かった。 親切に説明してくれたガイドとも別れたので、全く訳の分からないものにとっては、さらっと建物の中を一階から二階へ通り抜けるような見学しかできなかった。  ここは一階の廊下で、目立つような展示は無かった。  二階に入っても展示教室はガランとしていて、印象…
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思い出の中の川 第6回 小川(k)

 第6回は小川である。  大石川の本流に金俣集落を通り大石川に注ぐ支流が小川である。 この川はけっこう上流までいい釣り場が続くということだが、釣り師は堰堤までの黄線部分でしか釣ったことがない。 この小川で、2006年(平成18年)6月18日に27cmの山女と26cmの山女を釣り上げた。 27cmのこの山女は銀毛化していてパーマークが消え…
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能登(日本道)への道 その11 「里山里海号」で七尾湾沿線の旅

 翌5月18日(木)は、朝から気持ちの良い晴天だった。 朝食はホテル・ルートイン七尾駅東で、おかゆと梅干しを中心に軽く済ませた。 今日は午前中に予定していた一本杉通り散策を取りやめ、偶然に乗った能登鉄道観光列車「里山里海号」で、大相撲の遠藤関の出身地である穴水町まで、絶景の七尾湾沿線の旅を楽しんだ。 「里山…
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