日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その4 阿賀野川 NO2「野口英世青春館」にて」

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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能登(日本道)への道 その39  絶景の東海岸で旅を終える

黄☆印の金剛岬を出発した。  奥能登絶景街道に引き続き絶景となる東海岸を40分ほど走って、恋路海岸の見附島(軍艦島)に到着した。 見附島は自然が造り出した高さ約28mの無人島で、島の形が大きな軍艦のような形をしているところから、別名軍艦島とも呼ばれており、能登半島を象徴する景勝地として知られている。 軍艦島で小休止…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その17 杉本寺等見学後、茜草屋でお茶

 昼食を終えると、黄線に従って金沢街道を引き続き歩き、黄星印の杉本寺そして鎌倉宮と進んだ。  午前中のオーバーペースがたたったのか、昼食後は足が重くなり、若宮大路にある黄菱形印の宿泊ホテルまでの道がキツかった。  そんなコンディションの中で、15分程歩いて杉本寺に辿り着いた。  杉本寺は寺伝によれば、734年に行基が十一面…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その23 関興寺の味噌なめたかの関興寺へ

龍澤寺を後に「赤字え」の越後の名刹関興寺に、ここへの到着は午前11時20分だった。 関興寺は臨済宗円覚寺派のお寺で、古くは関興庵と称し1410年に開山、関東管領上杉氏の庇護の下で、信州、佐渡、能登、越中、越後五カ国の末寺300箇所を支配したと伝えられている。 上杉景勝とともに寺を会津から米沢へ移し、江戸時代に再び現在地に…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その5 環境考古学者安田喜憲氏と利根川源流の男たちとの共通点を発見 

 僕が現在注目している環境考古学という分野の学問のパイオニアである安田喜憲氏は、ある講演会の中で、西洋文明の目的地としてのユートピアと東洋文明の目的地としての桃源郷の意味するものについて記載していた。  彼は西洋文明と東洋文明の違いを、前者は畑作牧畜民の創った文明、後者は稲作漁労民の作った文明としてとらえている。  畑作牧畜民…
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木曽川への旅(2008年の旅) その3 奈良井宿上町

中町の見学の次は上町に向かった。 赤字1の鍵の手、赤字2の資料館中村邸、赤字3の高札場と水場の順に見て回った。 最初は赤字1の鍵の手である。 ここが上町と中町の境で、この「鍵の手」と呼ばれるクランク形状の道路で区切られている。 ここから先が上町となる。 事実上の上町での最初の見学は、赤字2の資料…
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東京散歩Ⅱ その8 「谷根千」散歩で「岡倉天心記念公園」まで 歩く

「古井戸」の次に道に迷いながらも近くの住人に聞いて、谷中の超有名店である「ねんねこ屋」への坂道に辿り着いた。 坂道を5分程上ると、「ねんねこ屋」に到着である。 ねんねこ屋はネコ好きにはたまらない店で、店の外観も中もネコのアクセサリーで溢れかえっている店である。 ここで小休止ということでラムネを買って、二階の休みどころに…
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「オホーツク街道」の旅 その23 毛がにの漁獲高日本一の町でちょっぴり贅沢な夕食

 3時頃にこの近くのコンビニで、306円でカレーパンとハムを買い、クッチャロ湖畔の白鳥の舎前でコーヒーを沸かし、遅い昼食とした。  湖は逆光の時間となっていて、太陽光が薄いレンブラント光線のようにクッチャロ湖に注いでいた。  今日はイトウ釣りの日としたので、明治中期に金の採掘で賑わったことがあるウソタンナイ砂金採掘公園とかこのあたり…
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冒険小説を愛した詩人−丸山薫−の詩の中から

  探検生活は文明に切り離された地で行うことになるので、情報社会から隔絶された世界を日常的に過ごし、楽しみと言えば読書となる。   そんな生活の中で、丸山薫のこんな詩を見つけた。   探検生活者の心に沁みます!!!  狼群         狼の群が旅人を追っていた      日没になると かれらは    …
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その2 能代から五能線沿線へ

 能代のホテルニューグリーンは快適なビジネスホテルだった。 1泊朝食付きで4,900円のシングルルームで頼んだのだが、部屋には邪魔にならない配置でベッドが3個も入っているトリプルルームで、どのベッドで寝ようか困った。  結局真ん中のベッドで寝たのだが、寝心地も良かった。 夕食は頼んでなかったが、外に出て食べる気も全…
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近江街道をゆく その19 長浜のビジネスホテルウェルネスに宿泊

 今日の日程は終了し、これから湖西から湖北までの琵琶湖畔をほぼ半周し、今夜宿泊する長浜のビジネスホテルウェルネスまでレンタカーで走っていく。 黄枠で囲った田中王塚古墳から黄星印のホテルウェルネスまで、幾つかのトンネルを潜りながら、琵琶湖畔の黄線の道を進んでいくことになる。 このコースは、走る前からこの旅一番の難関になるだろうと考…
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甲州街道と佐久平みち その27 塩名田宿 

八幡宿の次にその隣の塩名田宿を見た。 塩名田宿は中山道六十九次のうち江戸から数えて二十三番目の宿場で、現在は長野県佐久市塩名田となっている。  この下の道が旧中山道で、千曲川の旧渡し場まで続いている。橋が掛けられたこともあったが、洪水の度に流失して、船や徒歩で渡るのが専らであった。 塩名田宿は暴れ川であった千曲川の東岸にあり、旅籠…
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続 思い出の中の川 第20回 天の川支流桂岡川 その3 熊にも会わず、入れ食いの初渓流釣りに大満足

 続いて2匹目が、すぐ釣れた。 小石を置いて、後で何匹目か区別がつくようにして撮影し、すぐリリースした。夢中になって釣っている間に、いよいよ森は深くなっていく。熊の影に怯えながら、減水気味の川の中ではまだ水深のあるポイントに到達した。そのポイントが、この小さな淵となっている地点である。   何か釣れるだろうと半分位は確…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その16  報国寺の竹林にて

今回は報国寺の竹林から始める。 竹林の入口から入って行ったが、天井から降り注ぐ光と竹林群の奏でる光と影の造形があまりに美しいので十枚程の竹林の写真をここで撮影したが、その中から2枚ほどを紹介する。 少しだけ目線を上げると、目の前の竹林の世界はこんなである。  真上に視線を向けると、真上に1箇所の丸い穴が開き、その穴を囲むよ…
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26年の恋  Bertie

 昔々のその昔、ホム友だったBertieの著書です。幼稚園の初恋時代の頃の顔も出てる。↑  その彼の初恋の物語の始まりだよ。  僕は中学卒業と同時に一人暮らしを始めた。  一人暮らしで、高校生とくれば、いろんな人が面白がってやってくる。  その中でKちゃんという幼なじみの女の子がいた。  彼女の…
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ジュンチャンと世界を巡る 第57回はハイチ

 西インド諸島の旅は続いていますが、今回は大アンティル諸島の国々(キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国)の中から「ハイチ」を紹介します。  ハイチは中央アメリカの西インド諸島に含まれる大アンティル諸島のイスパニョーラ島西部を領土とする共和制国家で、東にドミニカ共和国と国境を接し、カリブ海のウィンドワード海峡を隔てて北西に…
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木曽川への旅(2008年の旅) その2 奈良井宿中町

奈良井宿は木曽路最大の難所の鳥居峠を控え多くの旅人で栄えた宿場町で、「奈良井千軒」といわれていた。(天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、奈良井宿の宿内家数は409軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒で宿内人口は2,155人。) 宿は江戸寄りから下町、中町、上町に分かれ、中町と上町の間に鍵の手と呼ばれるクランク…
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東京散歩Ⅱ その7 「赤塚ベッ甲店」から「古井戸」まで

引き続き「谷根千」を歩いている。 ここは「赤塚ベッ甲店」で、昭和41年の創業以来高級なべっ甲の眼鏡フレームなどを作っている店舗兼工房。 ここで制作体験もできるとのこと。 手前の「愛玉子」という店はスイーツの店で、愛玉子はオーギョーチと読む。 愛玉子は台湾でしか採れない果実で、これを寒天状に固めてシロップで固めて作る。 …
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その1 往路は 能代まで381.8km

 津軽街道の旅は、当初思っていた以上に見所の多い旅となった。 11泊12日の旅の間に撮影した写真は1000枚を軽く超え、デジカメに収録したビデオカメラ撮影時間も45分程度となった。  津軽街道の旅は青森県に入ってからということで、新潟から山形そして秋田の能代までの往路は簡単な記録と数枚の写真で記載することとする。 2013年9月26…
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近江街道をゆく その18 彦主人王墓を訪ねる

これから、赤字Bの彦主人王墓及びその関連史跡を訪れる。 彦主人王は応神天皇の四世孫で、第26代継体天皇の父である。 第26代継体天皇は、日本の古墳時代に皇統の断続があり複数の王朝の交替があったとする王朝交替説の中で、その最後に登場する近江王朝の祖である。 継体天皇は応神天皇5代の末裔とされているが、これが事実かどうかは判断…
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探険家の歴史 第2部最終章 ナイル河の旅 序章

探検家リビングストンが発見したビクトリアの滝 (ジンバブエのザンベジ河畔の町、リビングストンにある) ↑  ナイル河、「5大陸最長河川の旅」最後の河であり、世界最長の川である。  その長さは6695km、アフリカ大陸の東側を、赤道直下から悠々と北上して流れ、地中海に注ぐ。  ナイル河の源流につ…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その4 阿賀野川 NO1「野口英世青春通り」

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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能登(日本道)への道 その38  最果ての禄剛埼灯台にたどりつく

 ほぼ2時間かかって、禄剛埼灯台にたどり着いた。  「さいはてにて」のロケ地などを色々見てくればもう1時間はかかっただろうが、夕方までに七尾の宿泊ホテルに着くには、今のペースが適当である。  このシーンは、350m程の禄剛埼までの登り道を振り返って見たところだが、勾配がきつくて息が切れ、何度も立ち止まって休んだ。  丘…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その15 浄妙寺から報国寺へ

 青砥藤綱旧邸跡を発ち、金沢街道を浄妙寺そして報国寺と歩いた。  まず浄妙寺である。  浄妙寺は鎌倉市にある臨済宗建長寺派の仏教寺院で、山号は稲荷山(とうかさん)、本尊は釈迦如来、開基は足利義兼、鎌倉五山の第五位の寺格である。  ところで五山制度とは我が国の禅宗のうち臨済宗寺院の格付制度で、幕府が任命した住持(住職)を順次…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その22 上杉景勝公生誕の地樺沢城跡へ 

雲洞庵を出てこれから樺沢城跡へ向かうが、朝食がまだだったので、途中のおにぎり屋で遅い朝食をとった。 朝食は魚沼産コシヒカリを使ったおにぎりと豚汁で済ませた。 おにぎりとはいえ、地元魚沼産のコシヒカリを使ったおにぎりは全国レベルの食べ物となる。 新潟県が誇る全国レベルの超一級ブランドで作ったおにぎりは、かなりの空腹感の中…
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佐藤哲三 みぞれなど

 佐藤哲三(さとう てつぞう、1910年1月26日 - 1954年6月25日)は、日本の洋画家。新潟県長岡市生まれ。同県新発田市で生涯を過ごす。蒲原平野や農民などをモチーフに、郷土に根ざした作品を制作し続けた。1954年、白血病で死去。  みぞれ                 帰路 柿を持つ女
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木曽川への旅(2008年の旅)その1 奈良井宿まで

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 平成20年の旅は、7番目の川である木曽川ということになった。ここには川に並行して走る木曽路(旧五街道の一つである中山道の庶民的呼称)が走っているが、木曽路の代表的な宿場だった妻籠宿が以前から気になっていた。妻籠宿の風景はコマー…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その4 先祖代々大切にしてきた山里の暮らしを集めた郷土資料館で 

俺の仕事は俺一代という本の中に、大坪さんは「山里のロマン」という、18ページほどの挿絵つきの文章を書いている。こんな書き出した。 「俺が広い世界があるということを知ったのは、4歳の時だった。藤原の冬は寒くて長い。12月になればもう外では遊べない。子どもたちは家の中に閉じこもり、囲炉裏でジャガイモを焼いたり、焼き餅を食ったりして春を待つ。…
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東京散歩Ⅱ その6 谷根千散歩スタート、観音寺の築地塀まで

これから谷根千を歩くが、当初は岡倉天心旧宅を中心に岡倉天心に関係する旧跡を巡る旅を考えていた。 岡倉天心は明治時代を卓越した識見と天才としての歩みで駆け抜けた巨星で、その活動は美術分野に留まらず、僅か51年の人生の中で後世に残る大きな業績を沢山を残し、彼の偉大な精神遺産はその後も多くの日本人の中に受け継がれている。 この岡倉天心の旧…
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「オホーツク街道」の旅 その22  気分だけは最高潮のまま、今回のイトウ釣りの全日程を終える

 猿払川のセカンドステージは新猿払橋の下(2の場所)である。  この川を熟知していて年間50匹以上のイトウを釣り上げる地元釣り師とは違って、僕はこの川を何も知らないのである。  今日初めてこの川に会って、今日初めてキャストするのである。  ただ、出会い頭の偶然ということも世の中には有りうる事で、石狩川で58cmの虹鱒に出会った時のこ…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) プロローグ

司馬遼太郎の「街道をゆく」は、司馬遼太郎自身が「もし自分の仕事の中で後世にまで読み続けられるものがあるとすれば、それは街道をゆくになるのだろう」と語っていたという程のもので、唯の旅行記ではない。「街道・みち」に視点を傾けることで日本そして世界の歴史を展望、最終的には「日本とは何か、日本人とは何者か」という司馬遼太郎の永遠のテーマを自らの…
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近江街道をゆく その17  中江藤樹の藤樹書院に行く

これから日本陽明学の祖で、故郷の近江高島で書院を開き近江聖人と呼ばれた中江藤樹の藤樹書院に行く。 江戸時代人の知的基盤は儒学であり、これを発展させ封建社会の教学となっていたのが朱子学(11世紀に宋の朱熹が大成した教えで、身分秩序や格物致知、理気二元論といった考え方を重視し、特に身分秩序に関しては、自然や万物に上下関係・尊卑があるように…
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甲州街道と佐久平みち その26 八幡宿を散策 

 望月宿からは、旧中山道の佐久平にある宿をたどって歩くことにした。  具体的には上図の黄枠に囲った八幡宿、塩名田宿、岩村田宿、追分宿である。まず八幡宿に向かったが、八幡宿では最初に本陣跡に行った。 この本陣(小松家)では皇女和宮も宿泊している。  ここには当時のままの本陣門が残されており、中山道八幡宿本陣跡と刻まれた石…
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続 思い出の中の川 第19回 天の川支流桂岡川 その2 桂岡川で渓流釣りに挑戦

散歩を終え出発の準備をした後、午前7時頃に朝食となった。 旅館みうらの朝食は、いかにも朝食らしい朝食で、オカズは全部食べきった。松前町を午前7時半過ぎに出発した。 愛車レガシーに乗って松前街道を快調に北上、目指すは上ノ国町である。北海道の川は熊が怖いので、渓流釣りは過去にしたことがない。比較的平場で熊の危険もそうない…
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能登(日本道)への道 その37 奥能登絶景街道をゆく 

 今日は能登半島の最北端最果ての地である禄剛埼灯台を目指し、それから能登半島の東海岸を南下して七尾に向かい、そこで泊まる計画である。  まず、新橋旅館から47km時間にして1時間ほどかかる、最北端最果ての地である禄剛埼灯台に向けて出発である。  この道は奥能登絶景街道と呼ばれていて、運転する者にとっては誘惑の多い魅力的な道で…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その14 足利公方と青砥藤綱

帰りは朝比奈峠から十二所までバスに乗り、そこから金沢街道を鎌倉駅の方向へ向かって歩き始めた。 金沢街道沿いには鎌倉幕府高官の旧居が立ち並んでいたが、その中から赤字ア;足利公方邸旧蹟と赤字イ;青砥藤綱旧居跡を選んで立ち寄った。 金沢街道の明石橋を通り過ぎ、泉水橋交差点から鶴岡八幡宮方面へ向かうと、最初の目的地である赤字アの足利公方…
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