探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その5 「スターリングラード」にて最後のクリスマスの話

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  ママエフの丘の母なる祖国の像(スターリングラード大攻防戦の記念碑の一つ。) 
 

 ヴォルゴグラードは、ヴォルガ川沿いに開けた海運要衝の街で、ヴォルゴグラード州の州都である。人口はおよそ110万人。

 北緯48度42分、東経44度31分に位置する。(日本最北端稚内は北緯45度31分14秒。北緯50度だと、樺太の真ん中あたりです。)

 1589年にタタールの襲撃に備えて築かれた要塞から発展した町で、ツァリーツィンの名は「女帝のもの」を意味している。

 ロシア革命後の内戦で反革命勢力に対する勝利に貢献したため、また旧帝国に関する名称を廃止する方針のため、1925年にヨシフ・スターリンにちなんでスターリングラードと命名された。

 この街を有名にしたのは、第2次世界大戦中の1942年夏から1943年冬にかけての半年以上にわたるこの地での独ソ戦で、後に史上最大の地上戦と言われたスターリングラード(現ボルゴグラード)の大攻防戦である。

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      進軍するドイツ兵

 ロシア(ソ連)は広大な国で、近代でロシアの奥座敷まで進軍した軍隊は、フランスの英雄「ナポレオン・ボナパルト」の軍隊、もう一つは、ドイツの「アドルフ・ヒトラー」のナチス軍である。
 しかし、その両方の戦いとも、ロシア(ソ連)の大地の守り神ともいうべき冬将軍の前に徹底的にダメージを受けて、その後の国の崩壊のきっかけとなるのである。

 1812年6月12日、ナポレオンは同盟諸国から徴兵した60万という大軍でロシアに侵入した。

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 しかし、ナポレオン軍は、ロシア軍の広大な国土を活用した徹底した焦土戦術によって苦しめられ、冬将軍に壊滅的な打撃を受け、飢えと寒さのため総退却となった。

 数十万のフランス兵がロシアの大地に散り、無事に帰還したものはわずか5千であったという。

 ドイツのナチス軍の戦いも同様である。

 ナポレオンがロシアに攻め入ってから129年後の1941年6月12日、ドイツは警告なしに対ソ戦に突入した。(ナポレオンのロシア開戦と同じ日に、ヒトラーはソ連に攻め込んだ。)

 ドイツ軍の全兵力の約9割、総勢420万の大軍を率いて、ソ連に攻め込んだ。

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  ナチスヒトラー総統

 不意をつかれソ連軍は、レニングラードを包囲され、モスクワへも進軍されたが、ソ連軍は、ここでも最大の援軍である冬の到来とともに逆襲に転じ、各地の戦線で勝利を収め攻勢をかけた。

 1942年、ヒトラーは、ソ連の独裁者スターリンの名を付けたヴォルガ河の水運の要衝工業都市「スターリングラード」を手に入れるため、ドイツ第6軍の将兵30万を送り込む。

 これに対して、スターリンは後の首相であるフルシチョフを派遣し、スターリングラードを死守する作戦に出た。

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ソ連第2代最高指導者 スターリン

 この戦いでは、独ソ双方とも膨大な被害者が出た。

 ドイツ軍兵士30万のうち、戦後故郷に生きて帰ったものは僅か5000名程だったいう。(20万は戦死や飢えと寒さによる凍傷などで死亡、捕虜になりシベリヤに送られた9万の兵士のうち、生きて帰れたのは5000名程だったのだ。)

 ソ連市民やソ連軍の犠牲はもっと多く、この悲惨な戦いの犠牲となったのは100万といわれている。

 


 ヴァシリ・グレゴリーヴィチ・ザイツェフ(ヴァシーリイ・グリゴーリエヴィチ・ザーイツェフ;Васи́лий Григо́рьевич За́йцев、1915年3月23日 - 1991年12月15日)は、第二次世界大戦中活躍したソビエト連邦の狙撃兵。

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  ヴァシリ・グレゴリーヴィチ・ザイツェフ

 1943年1月に目を負傷するまでスターリングラード攻防戦で活躍、257人の敵兵を殺害した人殺しのプロである。

 戦争は人殺しを英雄にする。(彼を主人公にした映画が2000年に作られ評判となった。)

 彼は、ソ連政権下でソ連邦英雄、ヴォルゴグラード名誉市民などの称号を得、その後も工場の管理者などを歴任し76歳まで生きた。

 戦争相手のヒトラーは、ポーランドに建設した強制収容所「アウシュビッツ」で、毎日数千人のユダヤ人をガス室で虐殺し、その総計は延べ150万人を数えた。

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  シャワー室に見せかけたガス室。一度に数百人が殺された。

 この収容所では、毒ガスによって殺戮した死体から出た脂で石鹸を、骨からは肥料を、そして髪の毛からは布地を作っていたという。
 20世紀は戦争の世紀といわれ、世界大戦を2度も経験した世紀である。戦争、革命、内戦等での死亡者は1億7千万とも言われている。
 ロシアやブラジルの総人口に匹敵する人が、20世紀に戦争などの暴力で無くなった。



 昨日はクリスマスだったが、30万のドイツ軍兵士達のスターリングラードでの最後のクリスマスの話が伝わっている。

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   激戦の跡として有名な製粉工場「パブロフの家」

 ヒトラーからの脱出の許可は無く、最後の援軍の救出作戦が失敗し、30万に及ぶ包囲された将兵の運命が決まった日、それは1942年12月24日のことだった。
 
 ドイツ軍最高指揮官パウルス将軍は天を仰ぎこう言った。「アッレス・カヴート(もう、何もかも終わりだ…)」
 
 スターリングラードのドイツ兵達は、ほとんどが穴を掘ってその中で生活していた。彼らには兵舎すらなく、もちろん暖房などなかった。外気はしばしば零下50度を記録した。

 彼等の中に、防空壕の野戦病院に勤務するクルト・ロイバーという神学と絵の才能に恵まれた36歳の軍医がいた。

 彼の友人はアフリカにて、その名をアルベルト・シュヴァイツアーと言った。

 彼は希望もないままクリスマスを迎えようとしている兵士達のために、大きな紙を探し、 押収したロシアの地図の裏に、聖母マリアと聖書の言葉を書いた。

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 これが後に「スターリングラードの聖母」と言われるようになった肖像画。(原題は「塹壕の聖母」と言われている。)

 絵の傍らの言葉はヨハネ伝よりの引用。「光・命・愛」とある

 戦場の彼等は、小さなパンのかけらを分け合い、雪を溶かした水を暖めて飲み、小さなろうそくを灯し、かすれた声で賛美歌を歌い、彼等の神と束の間の時間を過ごした。

 この日、この街でクリスマスを祝った彼等のほとんどは生きてかえることはなかった。



 ここで、問題です。

 明日死ぬ運命としたら、やりたいことは?

その他の場合、具体的に書いてね。

1 恋人と会う 

2 思い切りお金を使う 

3 美味しいものを腹いっぱい食べる 

4その他

  

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