越前と若狭の旅 その18 僧堂と承陽殿を見学

 傘松閣を出てこれから、僧堂、仏殿、承陽殿、法堂と見学していく。

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 永平寺の伽藍を上から見ると、こういうふうになっている。

 建物一つ一つは実に重厚で、中庭の樹々も大きく育っている。

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 これらの建物を繋ぐ廊下もしっかりした造りである。

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 山門の前から仏殿の方角を眺めた景色であるが、なかなかのものである。

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 坐禅修行のための建物である僧堂の横の廊下から仏殿を見た景色である。

 この辺も品格が感じられて実にいい眺めである。

 仏殿は1902年の建築で、本尊の久遠実成の釈迦・方便の釈迦・無量寿の釈迦(阿弥陀如来)の三世仏(過去・現在・未来を表す)や禅宗初祖の達磨像、道元の師である如浄禅師像などを安置している。

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 中を覗いて見たが、少し暗くて良くは見えなかった。

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 これからこの急な階段を上り、承陽殿に向かう。

 承陽殿は1881年に建築された開山者である道元の廟で、道元以下第5世までの住職の像を安置している。

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 承陽殿の入口や看板は相当長期に渡って風雨にさらされたような程に、枯渇した様相となっていた。

 承陽殿の中に入り、道元禅師の魂に頭を垂れた。

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 三歳の時に父を亡くし八歳の時に母を亡くし、世の無常を感じた道元は十三歳で出家して延暦寺にのぼる。

 しかしそのひどさに絶望し比叡山を下りた道元は、1217年に建仁寺に入り、栄西の直弟子である明全に師事した。

 その後師の明全と共に、真の禅宗の姿を求めて宋の国に渡った。

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 宋の国で、道元は天童山景徳寺の如浄に入門し、修行した。

 如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐」を強調したものであり、道元の禅も如浄の影響を強く受けている。

 道元は如浄の法を嗣ぐことを許され、4年あまりの滞在を終えて帰国したが、一緒に渡宋した明全は渡航2年後に現地で病に倒れ、2度と日本の地を踏むことはできなかった。

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