「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その24 長寿禅寺に立ち寄り「亀ヶ谷坂切通し」を歩く  

 明月院の次に、予定になかった長寿禅寺に立ち寄った。

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 この寺は臨済宗建長寺塔頭寺院で、いただいたパンフレットによると、1336年に足利尊氏邸跡に創建され、諸山第一位の列に定められた。

 尊氏没後、初代鎌倉公方足利基氏が父尊氏の菩提を弔うために七堂伽藍を備えた堂宇を建立した。

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 足利尊氏ゆかりの寺ということで、庭も建物もなかなかのものである。

 尊氏の法名は京都では等持院殿、関東に於いては長寿寺殿と称した。

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 尊氏は1358年4月29日に、京都にて54歳で亡くなったが、境内の裏山には尊氏の遺髪を埋葬した墓があった。

 次に、長寿禅寺の門を過ぎてすぐのところにある亀ヶ谷坂切通しを歩いてみた。

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 亀ヶ谷坂の別名は亀返坂(急坂のため亀も引き返した、ひっくり返った)で、江戸時代初期の玉舟和尚鎌倉記では亀ヶ井坂となっている。

 この切通しの頂上までは200m程あるが、この頂上まで歩いてそこからデジカメでビデオ撮影しながらゆっくり坂を降りて来た。

 その画像をここで紹介する。

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 ここが亀ヶ谷坂切通しの頂上付近である。

 鎌倉市史(考古学編)には亀ヶ谷坂切通しはこう紹介されている。

 山ノ内に入った敵軍は、長寿寺手前から長寿寺の脇を経て亀ケ谷坂に侵入する事が出来るが、この尾根を切り通したものが亀ケ谷切通である。

 現在のものは後世深く且つ広く改修したもので、当時は現在の切通の上の方を狭い切通し路が通っていた。

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 地元の中学生に鎌倉の切通しが幾つあるかと質問したら、しっかり七つあると答えてくれた。

 七つの切通しの中でここが一番本物っぽいねと言ったら、この切通しは軍事的にも優れていて、狭くて敵が攻めにくかったそうですよと応じてくれた。

 実際は今の切通しの上に昔の切通しがあって、その狭い道に陣を敷いて待ち構えているのだから、どんな敵でも簡単にここを通る事は出来なかったろう。

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 坂を降りながら後ろを振り返ると、右手の岸壁がむき出しでそびえ立っている。

 改修以前の切通しがどんな状態で道となっていたかが想像できる。

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 またしばらく下っていくと、目の前に赤い進入禁止の三角柱が建っていて、ここから下までは車の進入が可能となっている。

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 車の侵入が可能な場所の左方には大きなお屋敷が建っていて、その前方には車庫が、切通し壁面を刳り貫いて作ってあった。

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 そしてここが切通しの入口であり終着点、左手は長寿禅寺の境内となっている。

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