越前と若狭の旅 その36 越前岬と「織田一族発祥地」を見学

 越前岬は福井県丹生郡越前町血ヶ平に位置し、日本海(若狭湾東端)に面して越前海岸が緩く突出する地点にあり、ここは越前海岸一の絶景の地とのことでぜひ一度訪れたかった。

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 しかし、越前岬を探している間に、いつの間にか岬上の海抜133m地点に立つ越前岬灯台の駐車場まで来た。

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 駐車場からは白亜の越前岬灯台が見え、福井県の県花ともなっている水仙をテーマにしている越前岬水仙ランドも建っている。

 この付近では12月から3月にかけて自生の水仙が咲き誇るというが、今日は7月31日で、この近くには開花している水仙などどこにもない。

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 水仙の代わりに青い空と真っ青な海をバックに咲く名も知らない花を眺め、中央右端に見える越前岬水仙ランドで小休止してから、越前岬を後にした。

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 向かうところは黄矢印地点の劔神社、織田信長を頂点とする「織田一族発祥地」の碑文がここにある。

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 30分程走って劔神社に午前9時30分に到着した。

 織田の一族のルーツはここ越前国織田(おた)庄にある劔神社の神官を務めた忌部(いんべ)氏であるという。

 織田氏は斯波氏によって越後の守護代に任じられ,後に尾張の守護代も務めた。

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 参道を歩いて織田一族発祥地の碑文が建っている場所まで行った。

 ここの碑文にはこう書いてある。

 日本第一の大武将信長公を始めとする織田一族の発祥の地が,織田の地であることは広く世に知られている。先祖は劔神社に代々奉仕の神官忌部氏である。室町時代の越前の守護大名は斯波氏である。この斯波氏と織田氏とが主従の関係にあり,応永七年(1400)時の守護大名斯波義重が尾張の守護を兼任することになり,家臣の織田氏も尾張へ赴き,後守護代として斯波氏に代って統治する。応仁元年(1467)に応仁の乱が起り,戦国乱世へと突入する。織田氏も次第に勢力を伸ばし,ついに尾張の大名となる。戦乱の真只中に一人の傑出した武将が出現する。天下布武を標榜し,乱世の平定に立上り,天下統一を成しとげんとした織田信長である。新時代を創成し,近代日本の基礎を築いた人である。又,劔神社に対する巣敬心は篤く,織田の地を出て百七十有余年,尚一族の氏神と崇め,社領を安堵し,保護している。

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 又,一族の中で特筆すべきは,津田近江守正路なる人である。幕末,鎖国か,開国かで国論が二分する動乱の中,箱館奉行の職で,外国奉行を兼帯し,開国派として積極的に開国を推進し,明治の御代,日本が大躍進をとげる道を開いた一人である。津田家は信長公の祖父信定公の兄,織田秀敏公(津田玄番頭)を始めとす,代々津田姓を名乗る。徳川時代旗本三千有余石の祿高をうけ,先述の要職の外勘定奉行・大目付を務めた家柄である。昭和五十九年は信長公が,備後守信秀公の嫡男として生れて四百五十年に当り,之を記念し,織田一族の遺業・遺徳を称え,由縁深い劔神社境内の一角に,戦国武将・織田一族発祥地の石碑を建立し,深いつながりを永久に伝えるものである。

     昭和五十九年十月

          劔神社宮司 緒方教明識

            石碑建立寄進 津田近江守直系子孫

                 東京都中野区 津田正治

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 劔神社見学後、開館を少し早めてもらって、越前町織田文化歴史館に入館した。

 ここの常設展示は、越前二ノ宮・劔神社、戦国大名・織田信長、日本六古窯・越前焼などだが、主に織田信長について目を通してここを終えた。

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