「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その40  佐原十郎義連ゆかりの「満願寺」を見学

 久里浜駅から久里浜のペリー記念館に行く予定にしていたが、バスの連絡の都合で佐原十郎義連の墓所である「満願寺」を先に訪ねることにした。

画像


 久里浜駅から京急線で一駅前の北久里浜駅まで行った。

画像


 そこから京急バスで黄星印の「満願寺」まで行った。

画像


 近くに佐原城跡もあるのだが、昨日は衣笠城跡まで行くのに大変だったので、今日は佐原十郎義連の墓を見るに留めた。

画像


 バス停から5分程歩いて、「満願寺」には午前10時27分に到着した。

 僕が以前旅行で福島県の熱塩加納村に行ったとき、そこにある満願寺という寺にも1192年に没した義連の墓(五輪塔)が現存していた。

 そこで宿泊した「ますや旅館」の若旦那は、自分の母方は佐原義連の末裔なんだと得意げに話していた。

 源頼朝が奥州平泉の藤原氏を攻め滅ぼしたとき、これに従軍して戦功をあげた佐原十郎義連は1189年に頼朝から会津四郡を与えられ、義連が実際に会津に来たかどうか確かな資料はないが、会津武士の祖となったという。

画像


 横須賀の「満願寺」で、佐原十郎義連の墓と伝えられている五輪塔に参拝し、この寺の住職の好意により、国の重要文化財となっている寺の秘仏である「地蔵菩薩像」と「観音菩薩像」を見せていただいた。

画像


 仏殿には仏像が4体置かれていて、真ん中の2体のうち右に地蔵菩薩像、左に観音菩薩像が置かれていた。

 住職の話では佐原義連が頼朝から貰った物とかで、作者は運慶と伝えられているとのことだった。

 なお、義連は昨日訪れた衣笠城主三浦大介義明の七男であり、頼朝に従い数々の功を成した勇者で、最も有名なエピソードは義経とともに戦った一ノ谷の合戦「鵯越(ひよどりごえ)」での一番乗りの伝説である。

画像


 「満願寺」を出て、ゲンジボタルで有名らしい岩戸川をちょっと眺めてから、京急バスに乗り北久里浜駅に行き、そこから京急線で久里浜駅まで戻った。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック