大阪散歩 その2 司馬遼太郎記念館で

 書斎の中には入れないので、書斎の前から窓越しに執筆当時のままにしてある書斎を覗き見た。

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 暖かそうな毛皮で覆われたゆったりした椅子が、とても印象に残った。

 この椅子に日がな一日座りながら、司馬さんは多くの小説や「街道をゆく」の構想を練っていたと思うと、椅子自体が日本の知識人を代表する司馬さん自身のように思えてきた。

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 この椅子の後ろに回り込んで、シルエットになった椅子と、その向こうに広がる本棚をしばらく眺めた。

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 それからこの大きな回廊を通って、安藤忠雄設計のコンクリート打ちっ放しの記念館に入った。

 入り口を入ってまず圧倒されるのは、楽しみにしていた地下から2階まで吹き抜けになった書架である。

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 ここには、司馬さんが残した約2万冊の書物(蔵書は4万冊)が、高さ11メートル3層吹き抜けの大書架に分類整理されて詰められている。

 この書架をじっくり楽しむのは後にして、まず記念館ではビデオを2本見た。

 2本目の「日本という国(こういうタイトルだったと記憶している)」が面白かった。  

 司馬さんが小説を書くきっかけになった話である。

 司馬さんの小説は22歳の頃の自分(戦争に敗れ、栃木県の佐野に戻っていた頃)にあてた手紙のようなものだったという。

 日本人は何故こんなことをしたのか、日本人はいつからこんなに馬鹿になったのかと考えたことが、のちに小説を書く発端となったという。

 司馬さんの小説「龍馬がゆく」も「坂の上の雲」も「菜の花の沖」も、そういう小説だという。

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 ビデオ視聴後、大書架をゆっくり歩き、ゆっくり書架の中身を見て回った。

 台風22号の影響による豪雨を避けて、記念館で1時間余りを過ごせたが、ここで一番良かったことはやはり彼の自慢の2万冊の蔵書を、じっくり堪能できたことだった。

 辞書類や各県や各市発刊の県・市町村史が棚の多くを占めていたが、兎に角ありとあらゆる種類の歴史書が、大書架に並べられていた。

 その中には僕の蔵書となっている岡倉天心全集もあり、その近くに、哲学者九鬼周造の全集もあった。

 九鬼周造の母の九鬼波津子は周造を妊娠中に岡倉天心と恋におち(周造の父の隆一は岡倉の上司であった)、隆一と別居してのち離縁という事態となった。

 そんなことを思い出しながら、このあたりの書架を見ていた。

 とにかく、司馬さんは1冊の本を書くために、そのテーマに関するすべての本を古本屋から買い漁り、古本屋からは関係書が一切無くなったという伝説があるほど大量の資料書を参考にして仕事をするというスタイルだったので、いつの間にかこのような蔵書の山となったのだろう。

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 記念館に地下から地上2階までうず高く造られている大書架は、さながら「歴史の海」のようで、司馬さんの魂が今もこの歴史の海を休むことなく永遠に泳いでいるように感じた。

 ここのテーブルの一つの椅子に座って、しばらく司馬さんと、とりとめの無い会話を楽しんだ。

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