越前と若狭の旅 その44 海津散策後、鯖街道へ

 海津は西近江路と湖上交通の要衝として栄えた宿場町であり、同時に港町でもある。

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 この通りをこのまま進んで行くと、琵琶湖湖岸側に風や波から家を守るために造られた石積みが目に入って来た。

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 これが「海津浜の石積」と呼ばれているものである。

 1701年に甲府藩領高島郡の代官として赴任した西与一左衛門は、風波のたびに宅地の被害が著しいのを哀れんで、海津東浜の代官金丸又衛門と協議し幕府の許可を得て1703年に湖岸波除石垣を東浜に668m、西浜に495mに渡って築いた。

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 この石垣を普請した人々は、高島町の石垣村や打下の石屋などであったと言われている。

 「海津浜の石積」が出来たことにより、水害がなくなったという。

 西与一左衛門はこの他にも、無高地の名目を挙げて荒地の田租(年貢)を免じたり、知内川の魚税(川役)を減ずるなどの仁政を行ったという。

 近くには、村人たちが彼の業績を称えた碑があった。

 海津は漁村でもあり、琵琶湖や知内川でのビワマスやアユ漁の拠点となっている。

 また海津が属するこの辺りの地域は、全国で5番目に重要文化的景観に選定されている。

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 この町でやたら目に付いたのがこの海津漁業協同組合旧倉庫であるが、重要文化的景観の要素として知内川漁業者組合旧倉庫や江戸時代に建造された町家5軒とともに定められている。

 海津は街も浜も素晴らしく、その向こうに琵琶湖が大きく穏やかに広がっていた。

 ここに1時間程いて、街の中の旧跡などを写真に収めてから今津方向に走り、それから国道303号線(若狭街道)に入って若狭国小浜へと向かった。

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 海津を出て30分程で滋賀県と福井県の県境に達したが、その街道沿いの大看板に書かれていた鯖街道という単語が目に留まった。

 鯖街道は、若狭国などの小浜藩領内(おおむね現在の嶺南に該当)と京都を結ぶ街道の総称で、主に魚介類を京都へ運搬するための物流ルートであったが、その中でも特に鯖が多かったことから、近年になって鯖街道と呼ばれるようになった。

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 狭義では上図の小浜市から若狭町三宅を経由して京都市左京区に至る若狭街道を指しており、おおむね国道27号や国道367号に相当する。

 鉄道や自動車が普及する以前の時代には、若狭湾で取れたサバは行商人に担がれて徒歩で京都に運ばれた。

 冷凍技術のなかった当時は生サバを塩でしめて陸送する方法が取られ、京都まで輸送するのに丸1日を要したが、京都に着く頃にはちょうど良い塩加減になり、京都の庶民を中心に重宝されたといわれている。

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