越前と若狭の旅 その46 若狭歴史博物館と若狭国分寺跡を見学

 熊川宿から小浜を目指して鯖街道を引き続き走り、その途中で明通寺の国宝である三重塔と本堂を見学したが、ここは省略する。

 その代わり、福井県立若狭歴史博物館と若狭国分寺跡を見学したので紹介する。

 若狭歴史博物館は若狭地方の歴史・民俗など、豊かな文化遺産を調査研究、保存・公開するための施設として、昭和57年10月に若狭歴史民俗資料館として開設された。

 その後、平成26年7月にリニューアルされ、若狭の歴史、若狭の祭りと芸能、若狭のみほとけの三つをテーマに、若狭歴史博物館として新たに開館した。

画像


 この歴史博物館で平成27年8月8日〜9月23日まで「御食国とサバ街道」というタイトルで記念展が開かれるということで、そのパンフレットを手にとって見てみた。

 そのパンフレットにはこう書かれていた。

画像


 簡単に言えば、「若狭と都を結ぶ街道に関する史跡や関連文化財」が日本遺産に認定されたのである。

 若狭の歴史は、「若狭のなりたち」、「若狭から都への道」、「若狭への海の道」の三つにまとめられているので順番に見ていった。

 「若狭のなりたち」では、氷河期の終わり頃の人々の生活を伝える三方五湖近くの鳥浜貝塚の紹介や、水田稲作が定着した弥生時代の若狭の府中石田遺跡の紹介など、また土器製塩の技術による塩の生産が始まり各地で小規模な前方後円墳が造られた古墳時代の遺物が紹介されていた。

 「若狭から都への道」では、平城宮跡や平城京跡で見つかる調塩木簡が奈良時代に若狭国が塩の大生産地であったことが紹介され、さらに平城京の長屋王邸宅跡から「角鹿塩(つるが塩)」と読める木簡が出土し、敦賀でも盛んに塩生産が行われていたことが説明されていた。

画像


 また多くの贄木簡から、若狭国が大量の御贄(天皇に供する食料品で,魚貝・鳥獣・果実などの生鮮・ 加工品が中心)を収めていたことが判明し、実質的に「御食国」であったことも説明されていた。

 「若狭への海の道」では、越前国敦賀と若狭国敦賀が若狭湾の二大港で東日本と西日本をつなぐ日本海側の中継地点でもあり、ここから船で下ろされた荷が陸路もしくは琵琶湖経由で京都へ運ばれたことなどが説明されていた。

画像


 この歴史博物館で若狭国分寺跡なる展示パネルがあり、今まで越後、越中、越前で国府跡やそこに近接されているとされる国分寺跡を探して旅して来たので、ここ若狭でも同じように辿り付きたいと考えて、今まで来た道を5分ほど戻って若狭国分寺跡に向かった。

画像


 ここが若狭国分寺跡である。

画像


 若狭国分寺跡の説明看板があったので、それをしっかり読んでから史跡内を歩いてみた。

画像


 これが伽藍配置で、8世紀初頭の興福寺式の配置のようである。

画像


 ここが現釈迦堂で、この下に国分寺時代は金堂が建っていた。

 このお堂は、現在釈迦如来坐像を安置している。

 若狭国府跡については、後日のこととする。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック