大阪散歩 その28 弘川寺の西行堂まで歩く

 昼食後、西行法師終焉の地で彼の墓のある弘川寺へ向かった。

画像


 距離にして13km、時間にして30分程かかった。

画像


 ここは弘川寺本堂である。

画像


 ここの目当ては何といっても西行の墓であるが、この矢印の方角に進むと西行墳(墓)、西行堂、似雲墳などに辿り着くので、矢印の示している山道を登っていく。

画像


 似雲墳にも行くことになるので、ここで似雲という僧を簡略に紹介する。
 似雲(1673年2月18日~1753年8月6日)は、江戸時代中期の浄土真宗の僧で歌人である。
 彼は西行に憧れ西行のような人生を歩きたいと願って、西行が息を引き取ったとされるこの弘川寺に庵を構え、西行のような生活を生涯行った。

画像


 同時に似雲はこの弘川寺のどこかに西行の墓があるのではないかと推測し、一生懸命探してとうとう西行の墓を発見し、その後は西行墳の墓守をして人生を過ごし、死後は彼の墓も西行の墓の近くに建てられた。

画像


 似雲のことを考えているうちに、似雲の建立した西行堂に到着した。
 今度は西行のことであるが、彼は平安末期の歌人である。
 名門の出であるが西行はエリートコースを捨て、23歳の若さで出家し、日本各地を放浪した。

画像


 彼の歌の中では、「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」が一番有名である。
 この和歌の意味だが、「できるなら二月の満開の桜の下で、しかも満月の頃に死にたいものだ」というようなものである。
 ところで、2月15日はお釈迦様の命日である。
 願い通り西行は、1190年2月16日、彼の願った日よりたった一日遅れて亡くなったのである。
 急坂を登って来たので、この西行堂でしばらく休んで呼吸を整えた。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック