能登(日本道)への道 その19  弥生時代末期頃の朝鮮半島南部との交流

 渤海のことを取上げたちょうど良い資料がNHKスペシャルで放映された「日本と朝鮮半島2000年」である。
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 その第5回のテーマが、「日本海の道~幻の王国・渤海との交流~」である。
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 古代の朝鮮半島との交流は、玄界灘から瀬戸内海を通る青線の「瀬戸内海ルート」が主流だったが、直接日本海を渡る赤線の「日本海ルート」での交流も行われていた。
 この両ルートは、日本民族成立のルートでもある。
 日本人の血は、狩猟採取で生活していた縄文人と、大陸から農耕技術を持ってやって来た弥生人の混血で、この両ルートでやって来た大陸からの弥生人のもたらした血と技術によって、現日本人が誕生するのである。
 農耕技術者渡来以降も朝鮮半島からの弥生人の大きな渡来は二度に渡ってあった。
 一度目は青銅器を持った人々で、主に日本海ルートを通って日本海側を中心に日本列島に入植し、一つの文明を築いた。
 この人々が「出雲族」で、彼らは銅剣や銅鐸を入植した地で製作し、それを神として「出雲王国」を起こし、越や筑紫などと日本海文化圏を作った。
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 荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡に残された大量の銅剣や銅鐸は、華やかな文明の残滓である。
 二度目は鉄器を持った人々で、主に瀬戸内海ルートを通って大和盆地に入って縄文時代程度の暮らしをしている人々を征服して王朝を作った。
 この人々が「大和族」で、大和王権を樹立しライバルとなる地方王国を制圧して、やがて日本国を成立させていくのである。

 話が飛躍したので、元に戻す。
 朝鮮半島から遥かに離れた東日本で、弥生時代末期の頃に日本海ルートを通じて朝鮮半島との交流があったことを示す遺物が発掘された。
 長野県木島平の根塚遺跡(弥生時代の古墳)から出土した鉄剣で、この時代の物としては全国最大級で78cmもある。
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 この鉄剣は、当時の朝鮮では身分の高い人の墓に埋葬されているもので、日本では二例しかなく、非常に珍しいものだという。
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 この長野県木島平は日本海から直線距離にして30kmくらいで、弥生時代末期にはここまでの日本海ルートがあったことを示す証拠となった。
 鉄製品は、山陰などの日本海側で多く見つかっている。
 この頃、朝鮮半島南部と日本海側はバーター貿易(物々交換の形で行う貿易方式)をしていたようで、朝鮮半島南部からは鉄製品がもたらされ、日本からは糸魚川産の翡翠が朝鮮半島南部にもたらされた。
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 翡翠は朝鮮半島南部では全く採れなく、当時は王がその権力を示すために豪族達に配っていた。
 いずれにしても壮大な話で、渤海の話の、これが前座話である。

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