東京散歩Ⅱ その24 北斎通りを散策

 都営大江戸線両国駅を超え、北斎通りを歩いている。
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 北斎とは、江戸時代後期に富嶽三十六景や北斎漫画を描いた世界的に著名な浮世絵師の、あの葛飾北斎のことである。
 北斎生誕の地がここにあるので、北斎通りと命名されているらしい。
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 この通りには北斎生誕の地以外にも、大相撲春場所のご当地である両国国技館のある街に相応しく野見宿禰神社や八角部屋、錦戸部屋などの大相撲に関連した施設が沢山ある。
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 ここは現在緑町公園となっているが、江戸時代はここに津軽家上屋敷があった。
 また、明暦の大火以後に本所深川の本格的な開発に乗り出した幕府の手により、北十間川などの運河と堀割が整備され、このあたりには雨水を集めて川へ導くために開削された南割下水があった。
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 ここは、緑町公園に隣接する野見宿禰神社である。
 日本書紀によれば、今から約二千年前の垂仁7年7月7日、奈良県桜井市穴師のカタヤケシに於いて、野見宿禰と当麻蹴速による初の天覧相撲が執り行われたとある。
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 当麻蹴速は大和国の当麻邑(たいまのむら、現奈良県葛城市當麻)に住み、強力を誇って生死を問わない勝負をする者を欲していた。
 これを聞いた第11代垂仁天皇【初期大和王朝(三輪王朝)の祖とされる第10代崇神天皇の子】が、出雲国から勇士と評判の野見宿禰を召し寄せ対戦させたところ、互いに蹴り合った後に当麻蹴速は腰を踏み折られて死に、勝者の野見宿禰は葛城市當麻の蹴速の土地を与えられた。
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 この神社には歴代横綱の名が刻まれ石碑となったメモリアルがあり、七十二代横綱となった稀勢の里も、鶴竜の次の横綱としてここに名を残すことになる。
 もう済ませたと思うが、野見宿禰神社は新しく横綱が誕生した際に土俵入りが行われる場所として知られている。
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 通りを渡って反対側をしばらく歩くと、お菓子屋の横に紹介看板が立てかけられていて、どうやらこの店のある場所が葛飾北斎生誕の地のようである。
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 このあたりは江戸時代、武蔵国葛飾郡本所割下水という地名で、北斎はこの地の貧しい百姓の子として生を受けた

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