東京散歩Ⅱ その30 芥川龍之介のおもかげを訪ねて

 両国公園を後にし、隣接する両国小学校の道路脇の角地に設置されている芥川龍之介文学碑を訪れた。
1.jpg

 文学碑には「杜子春」から引用した以下の一文が刻まれている。
「お前はもう仙人になりたといふ望も持っていまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になったら好いと思ふな。」
「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
 杜子春の聲には今までにない晴れ晴れした調子が罩(こも)っていました。
 この文学碑はこの両国の地に成育し、両国小学校で学んだ近代日本を代表する作家、芥川龍之介の人生感を学ぶとともに氏の文才を偲ぶものとして、両国小学校創立百十五周年の記念事業として1990年に建立されたものである。
3.jpg

 この後京葉道路を超えて、芥川龍之介が育った両国3丁目21番4号(当時は本所区小泉町15番地)を訪ねた。
 芥川龍之介は両国小学校から両国中(現両国高校)を出て東大に進み作家となったが、彼はこの辺りで生まれ(正確には生後7ヶ月の時から)育った生粋の両国っ子である。
 彼の生まれ育った当時の両国の町は、彼の自伝的作品によりこう書かれている。
4.jpg

 「彼の記憶に残っているものに、美しい町は一つもなかった。美しい家も一つもなかった。ことに彼の家の周りは穴蔵大工だの駄菓子屋だの古道具屋だのばかりだった。それ等の家々に面した道もぬかるみの耐えたことは一度もなかった。おまけに又その道の突き当たりはお竹蔵の大溝だった。南京藻の浮かんだ大溝はいつも悪臭を放っていた。しかし、そういうさびしい本所を彼は愛していた。愛していたというよりは憐れみに近いものだったのかもしれない・・・・」
 龍之介の目にした昔の両国をつかの間頭に思い浮かべ、次の吉良邸跡を目指して歩いて行くと、ここは相撲の町両国ということで、相撲部屋があった。
5.jpg

 ここは大横綱の双葉山が起こした時津風部屋で、部屋の玄関には現在でも双葉山相撲道場の看板が掲げられている。
6.jpg

 この部屋は力士暴行死事件や野球賭博事件などの不祥事が続き、なかなか大変なことになっていた部屋でもある。
 現役の関取、関取経験力士は豊ノ島大樹(関脇・高知)、正代直也(関脇・熊本)、双大竜亮三(前15・福島)、小柳亮太(十4・新潟)である。
 大相撲は、今場所の稀勢ノ里の奇跡の逆転優勝で大いに湧き上がって、僕もその興奮が冷めやらずにこのブログを書いているが、相撲取りには全国民の希望や夢が託されているので、これからも稀勢ノ里を手本として相撲取りの方々には日々精進してもらいたいと願っている。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント