東京散歩Ⅱ その40 聖橋から湯島聖堂へ

 聖橋の上から秋葉原の方角を眺めているが、橋の下を流れている川が神田川である。
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 神田川は東京都を流れる一級河川で荒川水系の支流である。
 この川を有名にしたのは、フォークグループかぐや姫の曲である神田川で、僕もこの川を眺めているとこの歌を口ずさみたくなる。
 神田川の元の名前は平川といい、現在の日本橋川の分流点付近から南流し日比谷入江に注ぎ込む川で、当時はこの平川が豊嶋郡と荏原郡の境界となっていた。
 徳川家康は江戸の飲料水を確保するために平川を改修し、井の頭池と善福寺池、妙正寺池を水源とする神田上水を整備した。
 この改修により、神田川の上流部分は現在の姿となり、神田上水は本流から目白で分流して小石川、本郷に水を供給したという。
 徳川家康の時代とかぐや姫の時代とは400年程の隔たりがあるが、形を変えているにせよ川の流れそのものは普遍であり、東京湾を目指して流れ下り太平洋へ注ぎ込む訳である。
 しばし聖橋の上で、悠久の時の流れを思って感慨にふけった。
 聖橋を歩き終えると、すぐに大きなのぼり旗が見えてきた。
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 湯島聖堂と書かれている。
 午前中の最初の見学場所である。
 湯島聖堂は江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の昌平坂学問所となった。
 聖堂は、もとは1690年に林羅山が上野忍ケ岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に建てた忍岡聖堂(先聖殿)で、将軍綱吉がこれを「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆、林家の学問所も当地に移転した。
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 大成殿の開門は午前10時ということで、正門の方に下っていって、正門から入って聖堂の大成殿以外の施設を見て回った。
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 現在地と案内図に赤字表記されている場所に、湯島聖堂に関係することが記載された表示看板が設置してあったので、それを読んで聖堂の概略を把握した。
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 そこには儒学に傾倒した徳川綱吉がこの地に湯島聖堂を創建し、孔子を祀る大成殿や学舎を建て、自ら論語の講釈を行うなど学問を奨励したこと。
 江戸幕府が1797年に孔子の生まれた地名をとって昌平坂学問所を開き、学問所は明治維新に至るまでの70年間、官立の大学として江戸時代の文教センターの役割を果たしたこと。
 明治維新により聖堂は新政府の所管となり文部が置かれ、国立博物館、師範学校、女子師範学校などが置かれ、近代教育発祥の地となったことなどが書かれていた。

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