能登(日本道)への道 その6 七尾城跡前で 

近くにいた人に聞いたら車で10分ほどでいけるという七尾城跡や城山展望台だが、レンタカーを完全に把握してないこともあり、理性が慎重に行動することを要求したので、今回は城跡へ行くのはやめて、懐古館や七尾城史資料館を見るにとどめた。
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懐古館は旧飯田家の建物である。
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200年前に建てられた茅葺き民家で、戸を取り払うと大広間になる間取りも能登の民家の特徴で、この造りは冠婚葬祭などの行事に役に立っていた。
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太い松の梁や欅の柱は、深い雪を支えるだけでなく、その威勢をも示している。
七尾城史資料館にも入ったが、資料館のことは省略とする。
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資料館の前には、高橋掬太郎作詞で三橋美智也が歌った古城の詩碑が建っていた。
 
松風騒ぐ 丘の上
 
古城よ独り 何偲ぶ
 
栄華の夢を 胸に追い
 
ああ 仰げば佗びし 天守閣
 
この有名な歌の碑がなんでここにあるのか、後日ネットで調べてみた。
古城のモデルについては「作詞者の高橋掬太郎は、特定の城を歌ったものではないと述べている」という意味の記載があり、古城は七尾城を歌ったものではないとのこと。
ただ七尾城史資料館の落成当時この古城が流行っていたこともあり、歌詞が七尾城をほうふつさせるものだったので、資料館建設関係者が作詞者の高橋掬太郎氏の許可を得て、ここに建設したとのことであった。
その七尾城には前期の事情で行けなかったので、これもネットから情報を拝借して、七尾城跡城山展望台からの絶景を紹介する。
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これは七尾城跡に立つ石碑である。
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こっちは、城山展望台からの七尾城下の絶景である。
七尾城は、畠山氏の初代当主で能登国守護の畠山満慶が正長年間(1428年~1429)頃にこの地に築いたと思われる。
その後次第に拡張増強され、以後約150年間にわたって領国支配の本拠となり、五代当主畠山慶致の頃には守護所も府中(七尾城山の麓)から七尾城へと移され、畠山義続・畠山義綱の頃に戦乱に備えるため増築され最大の縄張りとなった。
この頃は山麓に城下町千門万戸が一里余りも連なり、山頂にそびえる七尾城の威容は天宮とまで称されたと記録に残っている。
陸の風景は変わってはいるが、海岸線や海の風景はその頃といくらも変わらないのだろう。

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