釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第4回 台湾(中華民国)

 台湾と聞くと、まずバナナ、マンゴー、王貞治、ジュディオング、台湾人と結婚した福原愛ちゃんなどを思い浮かべます。

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 コロナ対策の優等生として注目されている台湾ですが、その歴史は日本人には意外に知られてません。

 僕ら日本人は全く自覚も無く記憶も薄れてしまっていますが、台湾という九州程度の大きさの美しい島は、1895年から1945年までの50年間、日本の国に属していました。

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 そこに住む人々は、その当時は日本国民で、日本人としての教育を受け、日本人として生活していたのです。

 その治政が良かったせいか、台湾人は非常に日本人びいきで、最近でも台湾人の好きな外国人の1位か2位には日本人が入っています。

 一般的な常識として日本人が知っているのは蒋介石以後の台湾の歴史で、明治時代まで中国は清という国でしたが、孫文の指導による革命が起き、1912年に『中華民国』という国が誕生しました。

 しかし第二次大戦後、中国内部で孫文の流れをくむ国民党(蒋介石)と共産党(毛沢東)の争いが表面化し、共産党が国民党を圧倒し、とうとう共産党は、国民党を大陸から台湾に追い出し、共産党は1949年に『中華人民共和国』の建国を宣言し、このときから、大陸は『中華人民共和国』となりました。

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 しかし、台湾に逃れた国民党政府は、負けを認めず、中国王朝の正統はわれわれであると主張し、それからずっと『中華民国』として頑張っています。

まったく知らないのがオランダの植民統治以前の時代で、台湾本島は近域を航行する船舶の一時的な寄港地、あるいは倭寇の根拠地としての位置づけで、この状態が明代まで続き、台湾には台湾の先住民族である台湾原住民が住んでいて、日本でいえば縄文・弥生のような生活をしていました。

 台湾本島が正式に中国版図に組み入れられたのは、清時代になってからです。

 清朝編入後、台湾へは対岸に位置する中国大陸の福建省、広東省から相次いで多くの漢民族が移住し開発地を拡大していき、台南付近から始まった台湾島の開発のフロンティア前線は約2世紀をかけて徐々に北上し、19世紀に入ると台北付近が本格的に開発されるまでになりました。

 清朝が漢民族女性の渡航を禁止したため、漢民族男性の伴侶は必然的に台湾原住民女性となり、漢民族と平地に住む原住民との混血が急速に進んだのです。


 以上が日本統治時代以後とそれ以前の台湾の歴史の概要で、台湾にアメリカのインディアンのような先住民族が住んでいたのは、今の日本人には意外に知られていません。

 その先住民族最大の人口を誇るアミ族のショーを、台湾東部の花蓮で見たことがあります。

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 具体的な内容は、戦いの踊り、バンブーダンス、結婚式の踊り、豊穣を祈る踊り等で、初めにアミ族の8人の若い男が会場に隊列を組んで走って入場、続いてアミ族の7人の若そうな女が並んで走って入場し、輪になって様々に繋がりながら踊ります。

 この15人が今宵の踊り子さん(ダンサー)たちで、ツアーガイドがバスの中で話していましたが、男のダンサーは現役のアミ族出身の体育大学生がアルバイトで踊っていますが、女のダンサーについては若い娘もいるが相当な年増女(おばちゃん)も踊っているとのことでした。

 華やかな民族衣装に見とれて、おばちゃんの踊りでもうっとりしてしまいました。

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 一方、現役体育大学生は全員若くエネルギッシュで、激しいリズムの中を飛んだり跳ねたり逆立ちしたり、迫力のあるダンサーぶりでした。

とても楽しいショーでした。

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 皆さんは台湾と聞いて、何を思い、何処を旅してみたいですか。

 もちろんコロナの終息した後になりますが、自由にお書きください。

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