探険家の歴史 第2部 長江の旅 その8 香格里拉(シャングリラ)にて 

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   ナシ族の分布図


 麗江、雲南省の西北部。

 正式には麗江ナシ族自治県という。標高5596メートルの玉龍雪山の麓に開けた街である。


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  向こうに見えるのは、玉龍雪山 ↑


 青海省に源を発した長江は地勢に従い北から南へ流れてくる。

 それが、石鼓で一転北へ向きを変え、玉龍雪山を過ぎると、玉龍雪山を包み込むように、再び南へ流れる。(ここ麗江では、長江は金沙江と呼ばれている。)


 街が形成されたのは宋の時代。

 茶馬街道の街として栄えてきた。

 茶馬とは、茶と馬。中国の茶をチベットへ運び、チベットの馬を中国へ運ぶ、その中継地として発展してきた。


 水路が網の目のように街中を巡り、水路に沿って石畳の道が続き、石畳の道に沿って木造の古い民家が軒を連ねる、街ぐるみ世界遺産となった美しい街である。


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   麗江の町並み  ↑


 この町を造ってきたのはナシ族。


 ナシ族の祖先は、古代中国の西北部に住んでいた遊牧民族羌族で、その中の一派が南遷し、やがて現在の麗江に住むようになったと考えられている。


 ナシ族は、かつては官吏登用試験である科挙及第者を輩出したことなどからも推察できるが、学習意欲が非常に旺盛な民族で、現在も漢語の普及率が70パーセントを超える。


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   ナシ族の娘たち ↑


 象形文字のトンパ文字を持つ民族で独特の文化、衣装、風俗を今に伝えている。

 トンパは巫師の意で、占いのために考え出されたのがトンパ文字の起源であるという説もある。


 この麗江を世界に紹介したのがジョセフィン•ロックである。


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   一番左の男性がジョセフィン•ロック ↑


 ジョセフィン•ロック(1884-1962)、アメリカ籍のオーストリア植物家、地理学者、人類学者であり、1920年代以来、彼はアメリカ「国家地理雑誌」の探険家、編集者、撮影家として、麗江に27年住んでいた。

玉龍雪山を初めて外国人に紹介した学者であり、世界遺産に登録された麗江の沢山の風景写真を撮った。


 ロックは探険隊の大本営を玉龍雪山の麓の玉湖村に建てた。

 この村に今でも、当年ロックが住んでいた部屋とたくさんの遺物が残っている。


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    ロックの旧居です。  ↑


 ロックは一組の地元のナシ人を雇って、訓練した後で助手にした。

 ロックが出掛ける度に武装したナシ族随行隊員が六、七名お供をする。

 彼は当時流行していたアヘンを吸うことを絶対に許さず、探検旅行の途中の幾多の危険を、強い規律と信頼関係により回避した。


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   ロックの雇った武装したナシ族随行隊員です。↑

           

 彼は、滇西北及び四川木里などの探検の度にたくさんの民族文化資料を採集し、ナシ族に関する専門書を十数冊出版した。

 そのなかでは、「中国西南古ナシ王国」、「ナシ語-英語百科全書」などが有名。




  

 「シャングリラ」、中国名で書くと「香格里拉」である。

 中国・雲南省の奥地、それもミャンマーとの国境に近い山地にあるという、小説の中の架空の土地であり中国民族の理想郷を意味する「桃源郷」のモデルとなった。


 英国の作家でジェームズ・ヒルトンという作家がいるが、そのヒルトンの小説『失われた地平線』(1933年)によって初めて描かれた理想郷。


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   映画「失われた地平線」から ↑


 1931年、インドの争乱を逃れて英国領事ら4人の乗客が飛行機で脱出するが、機はヒマラヤ山中に不時着し、パイロットは「ここはシャングリラだ」という謎の言葉を残して死ぬ。

 4人はラマ教寺院の老人に助けられたが、そこは月が青白く輝き、深い森や川や谷に囲まれた大自然の中の不老長寿の地で、時間の流れから解放された秘境だった。


 やがて、4人の中の青年が現地の中国娘と恋に墜ちる・・・そういう小説である。


 このシャングリラのモデルではないかと言われている土地が、ロックが住んでいた麗江で、「シャングリラ(香格里拉)」に類似する「香格里」村の石碑が麗江近郊で発見されている。


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    聖地、玉龍雪山の麓で踊るナシ族の娘達 ↑       


 シャングリラの舞台は麗江の他にも諸説があり、迪慶チベット族自治州の州都である中甸は、小説でのいろんな描写から自分たちの地域が酷似しているとして、世界的に知られたこの名前にあやかり、2002年5月5日、その行政地域名としての県名を「香格里拉(シャングリラ)県」に変更した。


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   中甸の風景、ここもシャングリラだね  ↑


 その他、玉龍第三国の伝説の舞台・玉龍雪山麓、 ナシ族の故郷・白水台、ロックも訪れた女人国・濾沽湖も、シャングリラではないかという説がある。(シャングリラ伝説は、ナシ族の住んでいる地域に集中している。)


  


 その数多くの、シャングリラ候補地の中から、僕は女人国・瀘沽湖を選び、モソ人の母系社会を訪ねた。

     

  
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   女人国モソ人の住む瀘沽湖畔  ↑


 瀘沽湖は雲南省と四川省の省境に位置する標高約2,700mに佇む湖。

 周りを山に囲まれ、昔は外部から孤立していた隠れ里のようなこの地に、昔ながらの母系社会を維持する幻の民と言われているモソ人が住んでいる。(人口は1万ほど)


 中国政府からの少数民族の認定は受けていず、未だ「モソ人」と呼ばれ、「女人国」を形成している。


 モソ人は系統的には雲南省の麗江地区を生活拠点としているナシ(納西)族から枝分かれした一派といわれているが、文革以前のナシ族に見られた文化や風習を、今現在も引き継いでいる。

 中でも特徴的なのが、「通い婚」という旧社会を彷彿とさせるような結婚形態だ。


 「通い婚」をモソ人は「アシャ(阿夏)婚」と言う。


 男性は妻と共に生活する義務はなく、昼間は実家で暮らし、男性が必要な時だけ妻のもとに訪れるという慣習で、夜になると妻のもとへ。

 妻と一夜を過ごしたのち、翌朝再び実家へ帰るという生活を繰り返す。(なにやら、平安時代の夜這いのようですね。)


 家事も子育ても妻任せ、モソ人は完全な女性上位の社会、社会的にも家族的にも実権はすべて女性が握っている。


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   実権のあるモソ族のおばあちゃん ↑


 中国政府の圧力にも屈せず続いてきた母系社会と通い婚。

 その社会には、日本の古代社会に似た、中国少数民族の伝統が、今も息づいていた。


 中国の長江流域からボートピープルとして日本に渡ってきた稲作漁労の民族は母系社会の弥生時代を生み、畑作牧畜民族の漢人に追われて森や山の奥深くに逃げた中国少数民族たちは、それぞれの地で、それぞれのシャングリラを築いた。 


 日本民族も、基本的には中国の少数民族と変わりはなく、ルーツは畑作牧畜民族に追われた稲作漁労民族の末裔である。


 中国人の95%を形成する漢民族は、欧米民族と同じ畑作牧畜民族。拡大と略奪の思想を中心に、今も文明を進めている。


 中国は、30年前の日本のような状況で、個人消費が進んで急速な経済成長期を迎えており、このままの成長を続ければ、2050年には世界一の経済国家となる。


 その中国社会の末端部では、数多くの少数民族が、それぞれのシャングリラで永久に変わらない生活を営んでいた。



 ここで問題です。



あなたが住みたい「理想郷(桃源郷)」とは、どんなところですか。次の3つから選択、コメント欄に回答ください。


1 物質的に豊かな欧米や日本の社会 


2 多元的な文化のある中国少数民族社会  


3 高度成長を続ける中国やインドのような社会</span>

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