東京散歩 その9 東大散歩で理学部2号館まで

東京大学東洋文化研究所(略称は東文研)は東洋の文化の総合的研究を目的として設置された研究所である。

主に人文・社会科学の研究者が所属し、アジア地域の文学、歴史、社会、政治、経済などの研究・教育を行っている。

また、附属施設に東洋学研究情報センターを置き、アジア研究に関する情報の発信を行うなど、日本のアジア地域研究の研究・情報センターを目指している。

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昭和初期の国策による東洋研究推進の流れに乗り、1941年に当時の東京帝国大学に設置され、設立当初は哲学・文学・史学部門、法律・政治部門、経済・商業部門の3部門、戦後1948年に廃止された東方文化学院を吸収し1949年には部門の細分化が行われ、哲学・宗教部門、文学・言語部門、歴史部門、美術史・考古学部門、法律・政治部門、経済・商業部門の6部門となった。

1951年には再度部門の改正が行われ、地域別の部門構成を導入して汎アジア経済部門、汎アジア人文地理学部門、汎アジア文化人類学部門、東アジア政治・法律部門、東アジア歴史部門、東アジア美術史・考古学部門、東アジア哲学・宗教部門、東アジア文学部門の8部門に再編、以後、東アジア以外の地域の研究者の増加とともに南アジア、東北アジア、西アジア、東南アジアなどの研究を扱う部門が増設され、1978年までに13部門に拡充された。

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1980年代に入るとアジア地域が世界情勢に占める重要性が増し、アジア地域研究に対する社会的な要請が大きくなったことから研究所の充実と拡大を目指して大規模な組織の再編成が行われ、1981年に13部門を地域別に再編して汎アジア部門、東アジア部門、南アジア部門、西アジア部門の4部門体制とした。


東京大学東洋文化研究所に関係した人物を関係名簿で見たが、僕の知っている研究者はほとんどいない。

知っている人間を名簿の中からピックアップしてみた。


まず、泉靖一氏(191563日-19701115日)。

彼は日本の文化人類学者であり東京大学東洋文化研究所元教授でもあった。

ペルーの古代文明について興味を持ち、後に東京大学にアンデス考古学の講座を開設した。

その後泉は第2次東大アンデス地帯学術調査団団長として、アンデス文明の期限に迫るコトシュ遺跡調査で、歴史的に残る「交差した手の神殿」を発見した。

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また、宗谷岬近辺のオンコロマナイ川河口左岸で、彼の息子も手伝わせてオホーツク文化の祖型であるオンコロマナイ遺跡を発掘した。

泉靖一氏については、僕は彼の熱烈なファンでもあるのでブログのいろんな場所で取り上げているので、ここではこのくらいに留める。


そして、中根千枝氏(19261130日-)。

彼女は日本の社会人類学者で専門はインド・チベット・日本の社会組織で、女性初の東大教授でもある。

1959年『未開の顔・文明の顔』で毎日出版文化賞受賞。

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1967年に出版した著書『タテ社会の人間関係』は代表的な日本人論として100万部を超えるベスト&ロングセラーとなり、世界13カ国語に翻訳された。


この名簿の中では残念ながら、この二人しかピックアップできなかった。

僕の知識が足らないこともあるが、研究者というものは井の中の蛙のようなもので、自分の研究の世界でだけ超有名なのかもしれない。

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次に赤く塗られた理学部2号館を見学した。

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ここであるが、何か工事でもしているのかハシゴが掛かっている。

理学部2号館は赤門から右手に入っていった先にあり、東隣にもそっくりな建物があるが、それは医学部一号館である。

どちらも内田祥三による設計で、関東大震災後ほぼ同時期に建てられた。

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地上4階・地下1階からなる理学部2号館には、大学院理学系研究科生物科学専攻と理学部生物学科が入っている。(この青の看板には理学系研究科生物科学専攻と書いてある。)

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