奈良散歩 その10 「華厳経」と「奈良の大仏(廬舎那仏)」


 盧舎那仏の後ろ側には、昔の伽藍配置の模型が作られていて、大仏殿の左右には高さ96mの七重の塔が建てられていた。




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 この二つの建物は落雷にあって焼失し、今は跡地しか残されていない。




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 ところで、今この右側の塔に再建の話が持ち上がっていて、早ければ20年後に東大寺の大仏殿の右側に、100mクラスの七重の塔が見られるということである。




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 この柱に掘られた穴は奈良の大仏(廬舎那仏)の鼻の穴と同じ大きさだそうで、大仏殿の中では修学旅行生の一番人気のスポットとなっていて、ピーク時には1時間待ちになる程の行列ができるという。

 子どもだけでなく、大人の方でも通れるサイズとなっている。





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 この仏像は、先ほど見た広目天と同じくは四天王の一人である多聞天である。
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 四天王の中でも一番力を持ち、北の守り神となっていて、あまりにも力が強いので単独でまつられることが多く、その場合は毘沙門天と名を変える。

ガイドの話はもう少し続いたが、この辺で大仏殿内部の話は終える。

  ここから、「華厳経」と「奈良の大仏(廬舎那仏)」について少しずつ記していく。

  華厳経は西暦400年前後に中央アジア(古代于闐国)で成立し、中国経由で日本へもたらされた仏教経典で、60巻本、80巻本、40巻本の3種類の漢訳本がある。

 華厳経は大乗仏教経典の一つで、正しくは大方広仏華厳経という。

簡略に説明すれば、広大な真実の世界を包含する仏が、一切の衆生・万物とともにあり、さらに一切の衆生・万物も仏を共有し得る(一切即一、一即一切)ことを、華(はな)の美しさにたとえて説いた経典である。





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  盧舎那仏はこの華厳経に説く蓮華蔵世界の中心的存在であり、世界の存在そのものを象徴する絶対的な仏である。

司馬さんの「街道をゆく 奈良散歩」の中では、中村元氏の仏教語辞典により華厳という言葉を説明している。

 華厳はサンスクリット語の漢訳で、「雑華の飾り」という意味だとのこと。
 辞典では「いろとりどりの華によって飾られたもの」と説明されていて、つまり華厳経は「いろとりどりの華によって飾られた教え」という意味になる。

「続日本紀」によれば、聖武天皇は740年に河内国大県郡(大阪府柏原市)の知識寺で盧舎那仏像を拝し、これが大仏造立のきっかけとなったという。

 同年10月、聖武の四十賀に際し、新羅で華厳教学を学んだ審祥が金鐘寺にて華厳経を講義している。
 盧舎那仏像を拝し、華厳経を信仰し、聖武天皇は大仏造立を決意されたのである。

こうして、華厳経を生み育てた古代于闐国(現在のホータン)の文化は、シルクロードを通って奈良の東大寺にたどり着いたのだが、そのことはまた別の機会に記す。






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