奈良散歩 その26 興福寺国宝館Ⅲ


国宝館の最後に、阿修羅を真ん中に配置した八部衆立像を見た。


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 八部衆は仏法を守護する8神で、仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に帰依し、護法善神となったものである。

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 五部浄は、はるか天上の神々の総称である。

色界最上位の色究竟天(色界第四禅天)に浄居天と呼ばれる5人の阿那含の聖者(自在天子、普華天子、遍音天子、光髪天子、意生天子)が住んでおり、五部浄居天はこれらを合わせて一尊としたものである。


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 興福寺の五部浄は像高48.8cmで、象頭の冠をかぶり少年のような表情に造られていて、頭部と上半身の一部を残すのみで大破している。

鳩槃茶(ぐばんだ)はインド神話の中では人の精気を吸い取り、すばしこくはげしく姿を変える悪神(鳩槃荼夜叉神)とされているが、仏教に取り込まれて護法神となった。


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 興福寺の鳩槃茶は像高151.2cmで、頭髪が逆立ち目を吊り上げた怒りの表情に造られている。

乾闥婆(けんだっば)は神々に使え、女性の守り神であり音楽神であった。


香を食べるとされ、神々の酒ソーマの守り神とも言われ、インド神話におけるガンダルヴァであり、ギリシア神話におけるケンタウロスと同源であると推定される。


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 興福寺の乾闥婆は像高160.3cmの獅子冠をかぶる着甲像で、両目はほとんど閉じられている。

迦楼羅(カルラ)はインド神話に登場する炎に包まれた聖なる鳥ガルダが前身とされていて、ガルダは鳥類の王で口から火を吹き毒蛇(龍)を食べ、神様の乗り物とされていた。


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 興福寺の迦楼羅は像高149.7cmで、鳥頭人身の着甲像である。

沙羯羅(しゃがら)は猛毒を持つ竜や蛇である。


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 興福寺の沙羯羅は像高153.6cmで、頭頂から上半身にかけて蛇が巻き付き、憂いを帯びた少年のような表情に造られている。

緊那羅(きんなら)はインド土俗の音楽神で、また半身半獣の人非人ともいう。


人にも畜生にも鳥にも当てはまらないで、仏教では乾闥婆と同様に帝釈天の眷属とされていて美しい声で歌うという。


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 興福寺の緊那羅は像高149.1cmで、頭上に一角、額に縦に3つ目の目がある。

畢婆迦羅(ひばから)は緊那羅とともに帝釈天の眷属の音楽神とも廟神ともいわれ、身体は人間であるが首は蛇で、龍種に属し大蛇(ニシキヘビとも)を神格化したもの。


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 興福寺の畢婆迦羅は像高156cmで、他の像と異なりやや老相に造られ、あごひげを蓄えている。

最後に、司馬さんの大好きな阿修羅像である。


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 司馬さんは「街道をゆく 奈良散歩」にこう書いている。

「私は、奈良の仏たちの中では、興福寺の阿修羅と、東大寺戒壇院の広目天が、つねに懐かしい。阿修羅はもと古代ペルシャの神だったといわれるが、インドに入り、時が経つにつれて次第に悪神(非天)になった。


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 しかしながら、興福寺の阿修羅には、むしろ愛がたたえられている。少女とも少年ともみえる清らかな顔に、無垢の困惑ともいうべき神秘的な表情がうかべられている。・・・・・・・」

司馬さんの眼で、阿修羅に迫っていく。


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 馬さんは、こう続けていく。

 「阿修羅は、相変わらず魅惑的だった。顔も体も贅肉が無く、性が未分であるための心もたなさが腰から下のはかなさにただよっている。眉のひそめかたは、自我にくるしみつつも、聖なるものを感じてしまった心のとまどいをあらわしてる。・・・・・・元来大きな目がひそめた眉のために、上瞼が可愛くゆがんで、むしろ小さく見える。これを造仏した天平の仏師には、モデルがいたにちがいない。貴人の娘だったか、未通の采女だったか。」

司馬さんはこういう方が好きですかと問われて、「たれでも好きでしょう」と答える。

 「こういうひと、見たことがありますか」と問われて、「見た瞬間があると、たれでも」と繰り返した。
 「あるんじゃないですか。すぐれた少女なら、少女期に、瞬間ながら一度はこういう表情をするのではないでしょうか。それを見た記憶を(・・・・・・)、自分の中で聖化していくと(・・・・・・)、こうなると思います。」

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 司馬さんのなんとも言えない可愛いシーンが想像できて、改めてもう一度代表的な天平の少女の姿と顔をしっかり確認して、興福寺国宝館を後にした。

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