奈良散歩 その45 秋篠寺の創建の背景


受付の前に、秋篠寺の創建目的を確認する。


この寺の創建された時期は光仁天皇の晩年の776年から780年の間頃と推定されていて、創建目的は一般的には自らの老いの深まりの自覚と一族の繁栄を祈願しての寺院建立ということになっている。


奈良時代は天智系の血も入っているが、概ね天武天皇の血と藤原氏の頭領である藤原不比等の血を結婚させて天皇を成立させていて、これを天武系と称して称徳天皇の時代まで引き継がれてきた。


ところが皇太子不在のまま称徳天皇が崩御されたので、担ぎ出されたのが天智天皇の孫である白壁王(光仁天皇)だった。

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白壁王(光仁天皇)を推挙する藤原永手と、天武天皇の孫である文室大市王(ふんやのおおいち)を推挙する吉備真備の対立となったが、白壁王の立太子は称徳天皇の遺言だと永手は窮余の策に出たのである。


真備は引き下がったが、これにも理由があった。

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白壁王の妻が聖武天皇の娘の井上内親王(天武系)で、既に白壁王との間に生まれた他戸親王(天武系)の存在があった。


光仁天皇の即位は、天武系の血を引く他戸親王即位までのつなぎと考えられ、永手らの望んだとおり、天智系の白壁王の即位が同年10月実現し、翌11月には井上内親王が皇后に、他戸親王は皇太子となった。


光仁天皇の即位まで辿り着いたところで受付である。





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  秋篠寺に入る前に、もう一度眼前に広がる美しい苔の庭を楽しんだ。




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  ようやくこれから、秋篠寺の本堂に向かって歩いて行く。




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  ここが秋篠寺の本堂である。

本堂(国宝)は1135年に火災で焼失し、現在の建物は鎌倉時代に堂宇の遺材で再建されたものである。


この本堂の中に、秋篠寺で最も有名な伎芸天像(重要文化財)が眠っている。


そのしなやかな立ち姿は東洋のミューズ(ギリシア神話の女神ムーサの英語名)とたたえられているが、ここまで多くの美しい仏像を見てきたので、そう大きな興奮もなくここにいる。




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