奈良散歩 その39 金堂で唐招提寺を終える 


講堂の次に、すぐ裏にある開山堂へ行った。


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  開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立され、その後1881年に鑑真大和上の尊像を安置するため現在の位置へ移築された。

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  国宝の和上像が御影堂へ移されたのち、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した本願殿として参拝されていたが、2013年に大和上のお姿を写した「御身代わり像」がつくられ、再び開山堂として落慶した。

これから、開山堂の御身代わり像を見にいく。





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 ここから入っていく。

 開山堂の御身代わり像はしっかり見たが、写真撮影禁止となっていた。


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 ここでは、インターネットの画像で御身代わり像を紹介するにとどめる。

 開山堂を出て、唐招提寺の最後に金堂をじっくり見ることにした。


シルクロードを通して様々な西方文化が長安に流れ着いたが、その長安から奈良の都にも、それらの様々な西方文化が流れ着いたのである。


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  金堂の8本の柱は、古代ギリシャの神殿建築で用いられたエンタシスの技法を使って作られている。

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   エンタシスとは、建築において円柱下部もしくは中間部から上部にかけて徐々に細くした形状の柱のことである。

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 金堂の壇上に上がって、会津八一の気分でここを歩いてみた。

 会津八一は戦時中にもかかわらず「奈良・京都研究旅行」と称して、早稲田の学生二十数名を毎年奈良や京都に連れてきて古都を巡る旅をしていたのである。


彼の巡った寺々には、彼の作った歌が残された。


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   この間動画を撮影しながら歩いているので、なかなかこの寺で詠んだ歌が出て来なくて少々焦ったが、ようやくその歌が出てきた。

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   やはり8本のギリシャ風の柱を題材に詠んだ歌で

おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ



である。


歌の意味はここでは省略する。


金堂の中は撮影禁止となっているので、ここではネット画像を紹介する。


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   金堂内部の諸仏は向かって右より薬師如来立像、盧舎那仏坐像、千手観音立像である。

写真には写ってないが、手前に立つのは向かって右が梵天立像、左が帝釈天立像である。

  

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    会津八一の気分で歩いて、柱はあと3本を残すだけである。

  因みにこの8本の柱の間隔は、真ん中が広く、端へ行くほど狭くなっている。


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   8本の柱を歩き終え、振り返って、会津八一の歌を再度口ずさんだ。

おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ


これで、唐招提寺を終える。


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