茶の本 第三章 道教と禅道 その4 南天に北極星を識るの術



さて禅に注意を向けてみると、それは道教の教えを強調していることがわかるであろう。

禅は梵語の禅那(Dhyana)から出た名であってその意味は静慮である。
精進静慮することによって、自性了解の極致に達することができると禅は主張する。

静慮は悟道に入ることのできる六波羅密の一つであって、釈迦牟尼にはその後年の教えにおいてこの方法を力説し、六則をその高弟迦葉に伝えたと禅宗徒は確言している。
 

 かれらの言い伝えによれば、禅の始祖迦葉はその奥義を阿難陀に伝え、阿難陀から順次に祖師相伝えて、ついに第二十八祖菩提達磨に至った。

 菩提達磨は六世紀の前半に北シナに渡ってシナ禅宗の第一祖となった。

 これらの祖師やその教理の歴史については不確実なところが多い。

 禅を哲学的に見れば昔の禅学は一方において那伽閼剌樹那(二四)のインド否定論に似ており、また他方においては商羯羅阿闍梨の組み立てた無明観(二六)に似たところがあるように思われる。


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 今日われらの知っているとおりの禅の教理は南方禅(南方シナに勢力があったことからそういわれる)の開山シナの第六祖慧能(六三七―七一三)が始めて説いたに違いない。

慧能の後、ほどなく馬祖大師(七八八滅)これを継いで禅を中国人の生活における一活動勢力に作りあげた。

馬祖の弟子百丈(七一九―八一四)は禅宗叢林を開創し、禅林清規を制定した。

馬祖の時代以後の禅宗の問答を見ると、揚子江岸精神の影響をこうむって、昔のインド理想主義とはきわ立って違ったシナ固有の考え方を増していることがわかる。

いかほど宗派的精神の誇りが強くて、そうではないといったところで、南方禅が老子や清談家の教えに似ていることを感じないわけにはいかない。

道徳経の中にすでに精神集中の重要なことや気息を適当に調節することを述べている――これは禅定に入るに必要欠くべからざる要件である。

道徳経の良注釈の或あるものは禅学者によって書かれたものである。

禅道は道教と同じく相対を崇拝するものである。

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 ある禅師は禅を定義して、南天に北極星を識るの術といっている。

真理は反対なものを会得することによってのみ達せられる。
 さらに禅道は道教と同じく個性主義を強く唱道した。

われらみずからの精神の働きに関係しないものはいっさい実在ではない。

六祖慧能かつて二僧が風に翻る塔上の幡を見て対論するのを見た。

「一はいわく幡動くと。一はいわく風動くと。」

しかし、慧能は彼らに説明して言った、これ風の動くにあらずまた幡ばんの動くにもあらずただ彼らみずからの心中のある物の動くなりと。


 百丈が一人の弟子と森の中を歩いていると一匹の兎が彼らの近寄ったのを知って疾走し去った。

「なぜ兎はおまえから逃げ去ったのか。」と百丈が尋ねると、「私を恐れてでしょう。」と答えた。

祖師は言った、「そうではない、おまえに残忍性があるからだ。」と。


 この対話は道教の徒荘子の話を思い起させる。

ある日荘子、友と濠梁のほとりに遊んだ。


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 荘子いわく「黨魚(じょうぎょ)いで遊びて従容たり。これ魚の楽しむなり。」と。

その友彼に答えていわく「子は魚にあらず。いずくんぞ魚の楽しきを知らん。」と。

「子は我れにあらず、いずくんぞわが魚の楽しきを知らざるを知らん。」と荘子は答えた。

 ※→「荘子」から引用
 

 ある時、荘子(紀元前四世紀頃)と恵子(けいし)が川のほとりを散歩していました。

 恵子はものしりで議論の好きな人でした。

 荘子;魚が水面に出てゆうゆうと泳いでいる。あれが魚の楽しみだ。

 恵子;君は魚じゃない。魚の楽しみがわかるはずがないじゃないか。

 荘子;君は僕じゃない。僕に魚の楽しみがわからないということがどうしてわかるのか。

 恵子;僕は君でない。だからもちろん君のことはわからない。君は魚ではない。
 だから、君には魚の楽しみがわからない。僕の論法は完全無欠だろう。


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