奈良散歩 その57 新薬師寺 


 般若寺を出て、次に新薬師寺に向かった。





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 新薬師寺まで、距離にして15km弱、時間にして15分程度である。

 途中のコンビニで昼食用に、サンドイッチとおにぎりを買った。





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 新薬師寺の境内付近には柿木があり、木にいっぱい実を付けていていたので、それをおかずに加えて、レンタカーの中で昼食を食べた。



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 昼食を食べ終えると既に午後1時をまわっていたが、南門から新薬師寺境内に入った。

新薬師寺は、747年に聖武天皇の病気平癒を祈願して光明皇后が創建したと伝わる古刹で、当初は現在よりはるかに広大な敷地に伽藍や塔が建ち並ぶ、大きな寺であった。





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 南門を抜けると境内の正面に、この本堂が建っている。

 現在の本堂は奈良時代に建てられたもので、度重なる災害にただ一つ残った国宝のお堂である。


この建物の中に、目指す本尊の薬師如来坐像や本尊を護衛する十二神将立像が配置されているので、最初に本堂に入った。


もちろん本堂内は撮影禁止なので、ネット画像を借用して紹介する。





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 写真の中央が本尊の薬師如来坐像で、本尊を取り巻くように十二神将立像が配置されている。

やはり、十二神将立像は良かった。





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 十二神将像は、薬師如来が修行中に発願されたという「十二の大願」に応じて十二の時や方角を守護し、薬師如来を護衛する神々とされており、十二支に対応する形となっている。

一躯あたり7000人の護衛を率いるとも言われるそれぞれの神将は、怒りの表情に満ちていることが特徴である。


会津八一は、この十二神将像を見て、こんな歌を詠んでいる。


 もえ さかる ごま の ひかり に めぐり たつ 


        十二 の やしや の かげ をどる みゆ 


意味は、「私の病気の良くなることを祈って、はるかに奈良の古寺(新薬師寺)で炊いてくれるという護摩の火が見えてくるようだ。」となる。


昭和1811月、八一は早稲田の学生を引率して奈良・京都に研究旅行したが、その旅行中に風邪をひき、中耳炎も併発して、全快するまでに数か月を要した。


日本が戦時中の大変な時でも、ひたすら学問のために生きていた会津八一の姿と高潔な魂が、この場にいると見えてくるようである。


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