最上川と「おくのほそ道」の旅 その5 朝飯前に赤倉温泉街を散策

今夜の宿泊は、山形県最上町の赤倉温泉である。

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宿は、赤星印の位置にある田代館である。

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この田代館は1泊2食で6,000(消費税なし)、夕食はビールを飲んだので、入湯税や消費税を含めて7,080円となった。
どんな料理が出たのかは記録にも記憶にも残っていない。
朝も早かったし釣行もしたので、この夜は布団に入るなりバタンキューで、すぐに眠りに入って朝まで直行便だった。
よく日は朝5時には服を着替えていて、外が明るくなるのを待って赤湯温泉の街に出た。

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「おくのほそ道 芭蕉の道」の看板が出ていて、それによると芭蕉と曽良はしばしの間この温泉場を眺め休息をとり、旅の疲れを癒したという。
 
赤倉温泉開湯伝説は慈覚大師円仁(794年―864年)が関係している。
かれが貞観5年(863年)に奥羽地方巡の折に今の赤倉温泉にあたる地域を訪れ、その際地元の村人が小国川の水で傷を負った馬を癒している姿を見て、円仁が手にした「錫杖」で川底を突くと石の間から薬湯が湧き出たという伝説である。


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赤倉温泉には朝市がたっていて、お揃いの赤いジャケットのオバちゃんたちが威勢良く自家製の野菜や漬物やみやげ物を売っていた。

芭蕉1

 

オバちゃんたちの勢いにつられ、ここでみやげ物を買ったようであるが、何を買ったのかは例によって記憶の外である。

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朝市のすぐそばに無料の足湯があったので、ここで小休止した。
 
赤倉温泉の名の謂われについては、宮城県境付近にそびえる信仰の山である翁山に源流を発する小国川を、行者達は聖なる川とあがめ、円仁ゆかりのいで湯で身を清めた後、川の水を仏に供えて翁山へ向う習わしがあった。
そこで、仏事に用いる水を意味する仏教語の「閼伽(あか)」が地名にも反映し、後に「赤」の一文字に替えたという。
 
赤倉温泉の歴史をたどりながら、更に温泉街を歩く。

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ここにも無料の足湯が設置されていたので、ここでも小休止。
 
ところで語尾の「倉」だが、地名辞典によると「蔵」と同意語とされ、元の意味は危険な岩場を指すと載る。
ここは古くは険しい河岸段丘の地形で、いつからか「赤倉」の地名が定着したとのこと。
 
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赤倉温泉街散策の最後に、清流小国川に架かるこの町の象徴でもある「虹の橋」の上で、この街の思い出を全身に抱きしめながら記念写真を撮った。

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