最上川と「おくのほそ道」の旅 その16 上杉謙信祠堂跡などを見学

それでは、旧米沢城本丸(松岬公園)にはいっていく。


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これは旧米沢城本丸の現在の見取図であるが、この図を参考にして旧本丸を歩いていく。

赤丸1は正面参道、赤丸2は上杉謙信祠堂跡、赤丸3は謙信公の像、赤丸5は伊達正宗生誕之地標柱、赤丸6は上杉鷹山公之像である。


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内堀に架かる橋を渡り参道を歩いていくと、赤丸1の辺りで、昆と龍の旗が出迎えてくれる。

昆は上杉謙信の象徴で、戦場では本陣に立てられ、龍は総攻撃の合図として用いられた。


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ここは赤丸2の上杉謙信祠堂跡で、1601年米沢城に入城した上杉景勝公は、直江兼続に上杉謙信祠堂の創建を命じた。
 1578年3月13日、越後春日山城で亡くなられた上杉謙信の遺骸は、甲冑姿で甕に納められ周りを漆でしっかりと固められていた。

会津移封により越後の地を離れ、その後米沢減封により米沢へと移された。

明治9年までここに上杉謙信の遺骸が置かれていて、現在は歴代藩主が眠る上杉家御廟所に安置されている。


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これは赤丸3の謙信公の像である。
上杉謙信の存在はその死後も家臣団の精神的な支えで、減封による苦悩下において家臣団の心を一つにする象徴だった。


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 ここは赤丸5の伊達正宗生誕之地標柱が立っている場所である。

 米沢城は別名松岬城・舞鶴城とも言い、1238年、大江時広が城館を築いたのが始まりで、その後伊達氏が城を支配した。

米沢が奥羽を押さえる要衝の地だったため、1548年に伊達晴宗が当城に居城を移す。以後、輝宗・政宗と三代50年間に渡って伊達氏の居城となった。

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