思い出の中の川 第17回 「出羽街道の旅」

「思い出の中の川」の山北の旅最終回は、2010年5月4日の旅した「出羽街道の旅」である。 この旅では前日の5月3日に海府の小河川を釣行し、勝木の山北ゆり花温泉・交流の館「八幡」に宿泊、翌日の5月4日に山北地区を通る出羽街道をレガシーで走った。  「出羽街道の旅」の出発点は、大毎集落にある吉祥清水である。  この吉祥清水は山…
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能登(日本道)への道 その33 真垣の里への旅 

これから、津村希一家が住んだ桶作家のある輪島市の大沢地区に向かう。  出発はレンタカーの停車している住吉神社で、目的地は真垣の里として有名な大沢地区の中ほどにある田中屋旅館である。 ところで、間垣とは長さ約4メートル程のニガ竹という細い竹隙間なく並べてつくった垣根のことで、日本海から吹き付ける冬の強い風から家屋を守る…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その10 頼朝の城鶴丘八幡宮を散策

頼朝に連れられて鶴丘八幡宮に入っていく。 目の前の橋はかながわの橋100選の一つである太鼓橋で、将軍家が参拝する際はここで輿(こし)を降りた。 かっては朱塗りだったので赤橋とも呼ばれており、現在は渡ることができない。 太鼓橋を通り越し平家池と源氏池の真ん中を貫いている表参道を歩いていく。 途中で右手の源氏池に浮かぶ島に建…
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ジュンチャンと世界を巡る 第54回はバハマ

 今回からしばらく、南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海域にある群島である西インド諸島の国々を取り上げます。  西インド諸島の名は、1492年10月12日にクリストファー・コロンブスが上陸したバハマ諸島の島(島はインディオの言葉でグアナハニ島(Guanahani)と呼ばれていた。)の住民(アラワク族系に属するルカヤン族)の肌の色を…
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「播磨と淡路のみち」 その42 慶野松原

 鳴門岬をあとにして、距離にして20km程離れた慶野松原に向かった。   午前10時40分頃、慶野松原に到着した。   慶野松原は古くは柿本人麻呂らにより「万葉集」に詠まれた風光明媚で知られた景勝地で、約5万本の淡路黒松が生い茂っていて、約2.5kmに渡って白い砂浜がのびる、瀬戸内海でも随一の白砂青松の地である。   司馬さんによ…
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東京散歩Ⅱ その1 鴬谷駅から始まる旅

「東京散歩Ⅱ」は真夏の旅立ったが、東京はまだ梅雨が明けてなくて、この日も曇り時々雨のはっきりしない天気だった。 新潟を早朝に出ると東京までは2時間程なので、午前8時42分には上野に到着した。 ほぼ当初の日程通り谷根千を歩いたが、10日程の旅の荷物を運ぶ容量35Lのリュックは上野駅の新幹線から降りたすぐのところ…
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中国編22 王府井大街散策

 北京には様々な胡同があるが、北京一の繁華街に面して金魚胡同という愉快な名称の街がある。  覗いてみたかったが、ガイドはそこへは案内してくれなかった。  これから僕らが向かうのは、北京一の繁華街「王府井大街」である。  王府井大街は新興の盛り場で、東安市場の繁盛とともに急速に発展した。  流行に敏感でオシャレで気取ったところもあ…
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近江街道をゆく その12 石積みの門前町「坂本」を散策 その4 本家鶴喜そば本店で昼食

日吉大社を見終えて午前中の日程終了ということで、楽しみにしていたそばを食べに、最澄の生まれた寺である生源寺の向かい側あたりにあるそば屋を目指して坂を下った。 大通りに面して「日吉そば」が店を出しているが、このそば屋は目的のそばやではない。 このそば屋の左手の小路を入っていく。 この格調の高そうな築130年の入母屋造…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その4 「ウリヤノフスク」にて(最後に問題あり。)

   ソビエト社会主義共和国連邦の産みの親 レーニンの像 ↑  20世紀の歴史に七十数年もの間強大な影響を与えたソビエト社会主義共和国連邦はロシア史上最大で最強の国家であった。  東はベーリング海、西はバルト海、北は北極海、南は黒海・カスピ海に臨み、その領域に住む15共和国の人民を共産主義という思想で束ね…
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村童観猿翁 (そんどうえんおうをみる) 横山大観

 東京美術学校の卒業制作で、猿廻しの翁を師の橋本雅邦に見立て、童たちは同級生の幼顔を想像して描いた。  題材とされた学生たちが「どれだ、俺の顔は」と作品の成り行きに関心を寄せていた様子を(絵を単なる鑑賞の対象として制作するのではなく、そこに一つの話題性を出し)衆目を集めさせるアイデアとしている。               …
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その3 姫川「岡倉天心」 NO1「岡倉天心への旅」

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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能登(日本道)への道 その32 みなと橋から住吉神社、鳳至上町通りへ 

朝ドラ「まれ」の街中のロケ地巡りの続きである。 ロケ地巡りは、みなと橋から住吉神社、そして黄で塗られた鳳至上町通りへと続く。  ここはみなと橋で、ここで高校時代の紺谷圭太が津村希に告白した場所である。  次に、希たちが高校時代の思い出としてキリコを出し、夏祭り「輪島大祭」を行った主会場である住吉神社に向かった。 ここ…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その9 鶴ケ岡八幡宮前まで歩く

鎌倉での宿は鶴ケ岡八幡宮前のホテルシャングリラ鶴岡である。ここで、11月5日(木)、11月6日(金)、11月8日(日)の夕方から朝までを過ごした。 このホテルは鎌倉の中心若宮大路に位置し、鶴岡八幡宮まで徒歩1分鎌倉駅からも徒歩5分ということで、観光の拠点として最適だった。部屋も広く、バス・トイレ・冷暖房完備で朝食付き7,700円の…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その19 長尾政景公墓所から雲洞庵へ

今は黄星印の坂戸城跡にいる。 これから赤字あ、赤字い、赤字う、赤字えの順に、直江兼続と上杉景勝のゆかりの地を巡ってゆく。 まず、赤字あの長尾政景公墓所を目指して車を進めた。 この年はNHK大河ドラマ天地人が放映された年で、ここ南魚沼市でも「天地人」ブームに沸き返っていた。 午前8時半頃、長尾政…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その1 「奥利根病」の地元探検家の人生を垣間見て

 奥利根には、藤原湖、ならまた湖、洞元湖、奥利根湖の4つの湖が点在しており、関東地方への電力供給のために作られたダム湖ではあるが、それぞれに美しい景観を誇っている。 その中でも藤原湖には、奥州藤原一族が落ち延びて密かにここで生活していた長い歴史が、今も藤原ダム湖となった湖底に眠っている。 その伝説の里である藤原郷の160戸が移転した史…
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「播磨と淡路のみち」 その41 鳴門岬にて 

 淡路国分寺から、予定を変更して鳴門岬を目指した。  20kmにも満たない距離なのだが、道を行きすぎたり迷ったりしている間に時間が経って、鳴門岬到達まで40分近くかかってしまった。   鳴門岬は淡路島の西南端に突き出すように位置していて、鳴門海峡を見下ろす自然の展望台となっていて、ここに伍代夏子の「鳴門海峡」の歌碑が立っていた。…
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東京散歩Ⅱ プロローグ

2014年(平成26年)に済州島を旅したが、その後東京の本郷界隈を1日散策した。 田舎都市の新潟に住んでいるので、東大という日本の最高峰の大学のあるあたりを散策し、本郷界隈で暮らした森鴎外に代表される文豪達の旧居を訪ねて散策することは大いなる喜びで、歩きすぎて少々疲れたが、今は楽しい思い出となった。 今回の「東京…
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「オホーツク街道」の旅 その19 「え、もう釣れちゃったの?」とバイブルに出ていた知来別川だが・

  6月26日(火)、今日はイトウ釣りに挑戦する一日である。 イトウ釣り以外は何もしない、真面目に極北の大魚イトウに大真面目にチャレンジすることを目的とした一日である。  イトウは体長は1mから大きいものでは1.5mに達し、記録上最大のものでは、1937年(昭和12年)に十勝川でおよそ2.1mのイトウが捕獲されたことがあるという。  こ…
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中国編21 天安門と天安門広場

天安門下の長いトンネルのような出入り口を抜けると、前には天安門広場が広がる。  振り返って見上げる天安門は壮大で、北京へ来たんだなあという感慨で胸がいっぱいになる。  肖像画で描かれている毛沢東は、この天安門で1949年10月1日、中華人民共和国の建国を宣言した。  その時彼は、天安門の楼閣から天安門広場の人民に対して、「中華人民共和…
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近江街道をゆく その11 石積みの門前町「坂本」を散策 その3 日吉大社に参拝

これから日吉大社に行く。 全国には日吉神社、日枝神社、山王神社と呼ばれる日吉大社の神様の御霊(みたま)をお分けした分霊社が約3,800社あり、これから行く日吉大社が総本宮となっている。 日吉大社は東本宮と西本宮に分かれていて、ここの400,000㎡の境内は国の史跡となっているが、西本宮の方が建物の数も多く東本宮の数倍の敷地と…
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甲州街道と佐久平みち その23  かわせみの宿 

 かわせみの宿は創業70年の、山あいに建つ緑の中の一軒宿である。  敷地内にある池にはかわせみも飛んで来るそうで、この旅館のマークはそのかわせみのマークになっていた。ここは1泊朝食付き10800円で、決して安い旅館ではない。 しかし、露天風呂から温泉街が一望できるなど、別所随一の高台からの眺望が自慢の旅館である。  こ…
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思い出の中の川 第16回 一瞬にして永遠の里山風景

釣りの楽しみは色々あるが、季節を感じる楽しみもその一つで、特に雷集落で味わう早春風景が釣り師のお気に入りである。 雷集落を流れる向川で山女を釣りあげたことは、一つも思い出の中には残っていない。 雷集落へは、春先に足早にやってきて、まるでお祭りのように賑やかに、宝石のように鮮やかに、スプリングエフェメラルや山菜達が奏でる「一瞬にし…
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能登(日本道)への道 その31 キリコ会館 

 朝ドラ「まれ」の街中のロケ地巡りの続きで、キリコ会館に行った。  ここでは能登の伝統的な夏祭りである「キリコ祭り」に実際に使われているキリコの展示や、神事の紹介をしている。 キリコとは、「切子燈籠」の略であり、「切籠」でキリコと読ます。  キリコは祭りの御神灯であり、神輿の足元を照らす照明役として、神輿とともに担ぎ出され…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その8 甘縄神明神社から由比ケ浜へ

これから赤星印の甘縄神明神社に向かう。 甘縄神明神社は710年に僧行基の草創によって、由比の長者と呼ばれた染屋時忠が神明宮と神輿山円徳寺を建立したのがその始まりとされ、鎌倉最古の神社といわれている。 前9年の役で有名な源頼義が祈願して子の八幡太郎義家を授かったと伝えられる源氏と縁の深い神社である。 神社本殿まではけっこう長…
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ジュンチャンと世界を巡る 第53回はメキシコ

 今回はメキシコです。  メキシコは北にアメリカ合衆国、南東にグアテマラ、ベリーズと国境を接し、西は太平洋、東は大西洋とカリブ海のメキシコ湾に面しています。  メキシコは印象の強くない国ですが、サボテン、タコス(メキシコを代表する料理のひとつで、メキシコ人の主食であるトウモロコシの生地で様々な具を包んで食べる国民食)、ソンブレ…
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「播磨と淡路のみち」 その40 淡路国分寺

旅も8日目となった。  今日は、淡路島の西海岸をレンタカーで1周する旅である。 まず、淡路国分寺を目指した。  淡路国分寺までの距離は約20km、時間にして40分程の距離である。  午前9時前に、淡路国分寺に到着した。  国分寺前にはキャベツ畑が広がっていた。 この付近には西方に淡路国府推定地が、他に大和大国魂神社(…
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東京散歩 その18  漱石と鷗外で散歩を終える

根津神社を出ると、赤線の沿って歩き、赤星の場所にある喫茶店で小休止した。 やはり思ったより足にきていて、ここで靴を脱いで足を椅子の上に置いて、じっくりと30分程休ませた。 東京散歩の旅も、残るところは赤字ア;夏目漱石旧居跡と赤字イ;森鴎外旧居跡を訪ねるのみである。まず、夏目漱石旧居跡を訪れた。 夏目漱石旧居は今はこんな…
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更に続いてロシア人とウォッカの話を少々 ロシアの小話その3

 更に続いてロシア人とウォッカの話を  少々 ロシアの小話その3 その1  工場長が不倫中の秘書に向かって言った。 「ねえ君、そろそろドアを閉めたほうがいいんじゃあないか。」 「だめです、工場長。ウォッカを飲んでいるっておもわれちゃいますから」と秘書は答えた。 その2  無人島にアメリカ人、フランス人、ロシア人…
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トルストイの短編詩から 「忘れずやマリヤの君」

忘れずやマリヤの君よ 古びたる一つの家を まどろめる池の上なる いく世へし菩提樹の木を しじまなる並木の道を ものさびて古りにし苑(その)を いと高き廊なる壁に 姿絵のかけつらねしを? 忘れずやマリヤの君よ たそがれのみ空の色を 目路の果てひろごる野もを 遥かなる村寺の鐘を? 苑のそとせせ…
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零下10度の世界への旅 中国編20 故宮探訪その8「故宮の玄関口、『午門』」へ

 皇城の最も中核となる部分は、筒子河(護城河)と呼ばれる堀に囲まれているが、四方に一つずつ門がある。    北は僕らが入ってきた神武門、東は東華門、西は西華門、そして南が故宮の玄関口となる午門である。 さて、これが午門である。  故宮最大の門であり、両脇に高いコの字型の城壁が張り出していて、門に奥行きを与えており、皇帝出御の際の玉座を備…
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近江街道をゆく その10 石積みの門前町「坂本」を散策 その2

 これから、叡山に向かって右側の街を散策する。 黄線に沿って街を歩き、大宮川に出たところで大宮川に沿って旧竹山院まで行く。 歩いてからしばらくして両側に石積みの街並みとなり、とても印象的で美しいと感じた。 このような街並みで、いつまでも初めて来たこの街を歩いていたいと思った。 2~3分歩いて、四角を左に曲がって里坊(…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その3 「カザン」にて

 いつものように最後に問題があります、答えてね・・  カザンはタタルスタン共和国の首都。人口の半分はタタール人であり、彼等はムスリム(イスラム教徒)でもある。   カザン中心部の白いクレムリン  ↑  ここはアジア人種の飛び地であるせいか、ロシアでも珍しいイスラム的な街並みが特徴、 また人々も欧…
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上村松園の序の舞など

上村松園  京都市下京区四条通御幸町の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれ、京の伝統文化に育まれた松園は、明治・大正・昭和を通して生涯、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」(松園のことば)を念願として女性を描き続けた。  日本画家の上村松篁(しょうこう…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その2 神流川 「内山節」(k)

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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能登(日本道)への道 その30 朝市通りを散策 

朝食の後は、朝ドラ「まれ」の街中のロケ地巡りということで、まず輪島川に架かる「いろは橋」を見に行った。 黄矢印で示した黄枠のなかの橋である。 この橋は、輪島高校に通う津村希の通学路シーンなどで度々登場した。次に、この橋の右詰に2016年春にオープンした「輪島ドラマ記念館」に行った。  ここにはNHKのスタジオから二…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その7 鎌倉文学館 その1

鎌倉大仏の見学を終えて、赤字Cの鎌倉文学館へ向かった。 鎌倉文学館までは黄線の道を通って、辺りの風景を楽しみながら歩いて行った。 いよいよ文学館に近くなってきたが、かなりしっかりしたアプローチ道ができていて、ただ道の両側の並木が大きく成長していてかなり薄暗く、夜はとても一人では歩けそうにないところである。 ここでようや…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その18 直江兼継生誕地への旅

松岬神社の次に上杉博物館に行った。 ここでは2009年放映のNHK大河ドラマ「天地人博」が開催されていた。 キャラクター人形のかねたんと主役の直江兼続のパネル写真が出迎えてくれた。 しかし、残念なことにここでの展示内容は一切残っていないが、ここで二冊の、直江兼続に関する資料本を購入した。 一冊は「直江兼続…
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「21世紀に生きる子供たちへ」  司馬遼太郎の伝えたかったこと

 1996年に亡くなった司馬遼太郎さんが21世紀に生きる子供たちへ向けて書いた文章です。  子供向けの文章ですが、子供たちにどうあってほしいか、どのような社会であってほしいかを、考えさせられます。 「21世紀に生きる子供たちへ」  司馬遼太郎 私は歴史小説を書いてきた。  もともと歴史が好きなのである。両親を愛するよ…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 阿賀野川源流の宿で岩魚三昧

今日の宿は、南会津 舘岩村 の木賊(とくさ)温泉である。 木賊温泉は発見されてから約1000年が経つといわれ、古くより「会津の隠れ湯」と呼ばれている。  温泉の名は、植物の木賊が群生していたことに由来する。  宿泊した宿は岩魚料理の福本屋で、岩魚の卸業もしていて敷地内には生簀がある。  宿の主人は芳賀盛一さんという方で、 舘岩村 のゲー…
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「播磨と淡路のみち」 その39 由良港と民宿魚春

洲本城を下って由良港に向かった。 由良港は天然の防波堤とも言うべき成ヶ島が形作るラグーンの由良湾内にあり、天然の良港となっている。  港の岸壁では、かなりの数の釣り人達が鰺などのサビキ釣りに興じていた。 天然の良港としての由良は、瀬戸内海の海上交通の重要な場所であった紀淡海峡を治める拠点として、海上の交流・交易拠点として、海人の…
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東京散歩 その17 根津神社を歩く 

朱舜水に別れを告げ、次に根津神社に向かった。この神社は東京都文京区根津にあり、古くは根津権現とも称された古社で、東京十社の一社に数えられている。 黄線の道を歩いて、黄星印の根津神社表参道口まで歩いた。表参道口の前に焼きかりんとう屋があり、そこを覗いていたら根津権現浪漫ちっくマップ(上図はその一部)なるものをくれた。そのマップを見る…
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「オホーツク街道」の旅 その18 最北端の地碑まで歩いて2分、日本最北端の民宿に宿泊 

日本最北端の民宿だ〜      来て見ろ〜!  宗谷岬でも最北端にある「最北の宿」、最北端の地碑まで歩いて2分だ~。   民宿だけど外観がいいべ~。  最北の宿は、こんな感じでインターネット上で自己紹介している旅館である。  外観はなかなか素敵で、中の作りもまあGOODである。  最北の宿は去年も泊った。去年は1階の部屋で素泊まり35…
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零下10度の世界への旅 中国編19  故宮探訪その7「太和殿」へ

 最も壮大な故宮の建物と言えば太和殿となるが、僕らはそこへこれから向かう。  ここは、太和殿横、前方には方形の中和殿、奥には保和殿が見える。  人はますます多くなってきた。   ここが太和殿正面。皇帝の即位や将軍の出征、科挙の合格者の発表など重要な儀式が行われた外朝の中心部分で、柱間が11もあり、建物の高さは27mもある。  ここが太和…
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近江街道をゆく その9 石積みの門前町「坂本」を散策 その1

叡山を降り、湖西線に乗って大津京のビジネスホテル西大津に戻った。 この日の夜はとても冷えそうで外食を食べる元気がまったくなかったので、あらかじめ駅前のコンビニで麻婆飯、サラダ、ビールなど(905円の出費)を買って、自室で夕食とした。 朝食は前日と同じくホテルの食堂で食べ、午前8時半頃にホテルを出た。 今日は一日、石積みの門前町「坂…
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甲州街道と佐久平みち その22 北向観音 

 常楽寺の次に、北向観音に行った。  北向観音は天台宗の寺院で、近隣にある同じ天台宗の常楽寺が本坊であり、その伽藍の一部として同寺が所有管理している。寺伝によれば、825年に円仁(慈覚大師)によって、常楽寺とともに開創されたとされる。  北向観音下の駐車場は午後4時半までは有料となっているが、まだ午後3時を少し過ぎた時間だっ…
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思い出の中の川 第15回 雷集落の萌黄色の里山

新潟県渓流釣り協議会編「新潟の渓流と釣り」で読んだ三沢渓風師の「雷集落風景の紹介記事」に心惹かれて、雷集落へは平成8年5月3日に初めて行った。続いて平成8年5月19日に行っている。 それから10年程は雷集落に近づかなかった。 雷集落にまた行き始めたのは、平成17年ゴールデンウィークの5月4日のことで、それからは平成18年5月4日…
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能登(日本道)への道 その29  民宿「海岸通り」に宿泊 

 時国家から、今日と明日の宿泊地となる朝ドラ「まれ」の主要な舞台でもある憧れの輪島の街に戻った。  ヨットのメモリアルの後ろに見えている建物は、一度は宿泊を考えた「ホテルルートイン輪島」で、宿泊料金が高かったので、「海岸通り」という民宿に泊まった。  ここは素泊まり3700円で泊まることができ、部屋も8畳間の広い…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その6 鎌倉大仏で有名な高徳院まで

長谷寺の見学をしている間に、午後2時に近くなってきた。 長谷通りに出て、鎌倉名物のしらす料理を扱っている適当な食堂を探してあるいていたが、ちょうどいい食堂が見つかった。 それがこの「きしめん むつ富」である。 100年ほど昔にきしめんの本場の名古屋に誕生し、50年前に東京・新宿、そして吉祥寺に移転した。そして13年前に鎌倉…
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ジュンチャンと世界を巡る 第52回はカナダ

 カナダというと、五大湖やナイアガラの滝やプリンスエドワード島、それにカナディアンロッキーなどをまず思い出します。  この国には湖や島や山などが沢山あり、自然が特に美しいという印象です。  この国でバンクーバーオリンピックが開催されたことがありますが、女子フィギアで浅田真央選手が銀メダルを獲得したこともありましたね。 …
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「播磨と淡路のみち」 その38 洲本城天守台に上がる 

これから標高133mの三熊山山頂部に築かれた洲本城本丸に上がっていく。 洲本城の縄張りを示すとこんなである。   東西約800m、南北約600m、広さ約278.5㎡の広大堅固な縄張りである。   ここは⓯の位置にある本丸大石段で、この石段を上がると本丸虎口である。   ここは⓰の位置にある本丸虎口で、敵勢の本丸への直撃を避け…
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東京散歩 その16 朱舜水と水戸藩の話 

 次に東大農学部校内にある朱舜水記念碑を見学である。  本郷の東京大学校内は加賀藩屋敷跡であったが、東大農学部校内は江戸時代は水戸藩の中屋敷があった場所である。 水戸藩上屋敷は、現在は後楽園スタジアムとその隣にある小石川後楽園(江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の大名庭園であり、現在は都立庭…
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青銅の騎手──ペテルブルグの物語── プーシキン

 序  言  この物語に書かれた事件は事実によっている。洪水の詳細は当時の記録からとられたものである。好事家はヴェ・エヌ・ベルフの編纂になる記事によってただすことができる。   序  詩 荒寥とした水の岸辺に、 彼はたっていた、偉大な思いにみちて、 そして遠くを眺めていた。彼の前には広々と 川…
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続いてロシア人とウォッカの話を少々 ロシアの小話その2

ロシアの小話その2 その1  世の中にブスはいない。ウォッカが足りないだけだ。   その2  このウォッカは南京虫の臭いがするという人をペシミストという。  この南京虫はウォッカの臭いがするという人をオプティミストという。 その3   「父ちゃん、酔っ払うってどういうことなの」…
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零下10度の世界への旅 中国編18 故宮探訪その6「保和殿」へ

 坤寧宮、交泰殿、乾清宮の後三宮は時間の都合で見学カットとなった。   一番北の坤寧宮は、皇后の寝室。   交泰殿は皇后が賀を受ける場所。   乾清宮は皇帝の寝殿である。  外庭の一番後ろに位置する保和殿裏から、皇帝の私的な生活空間である内庭を遠望する。  手前に見える門が乾清門、一番奥には景山公園が 控えている。  これは…
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近江街道をゆく その8 根本中堂を中心に東塔を歩く

 戒壇院の次に、これから比叡山延暦寺の総本堂である根本中堂(東塔区域の中心的建築物であり、比叡山延暦寺の中心であることからこう言われている)に行く。 中堂という呼称の詳細な由来は、最澄創建の三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置することから、薬師堂を中堂と呼ぶようになり、最終的にこの三堂は一つの伽藍にまとめられて、中堂という名前…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その1 「ボルガ源流地」から

 ボルガ川上流部地図、大きくして見てね。 ↑(いつものように最後に問題あり、答えてね。)  ボルガ川は、モスクワとサンクトペテルブルク(旧レニングラード)の中間に位置するロシア西部のバルタイ丘陵に、その源を発する。  源流の村は、ボルゴベルホーベ村、白樺の林やトウヒらしい松の巨木、モミの木やドロの…
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杉山 寧 野ほか

 杉山 寧(すぎやま やすし、1909年10月20日 - 1993年10月20日)は、日本画家、日本芸術院会員、文化勲章受章者。  長女・瑤子が三島由紀夫と結婚。三島は瑤子を選んだ理由について「芸術家の娘だから、芸術家に対して何ら幻想を抱いていないこと」を挙げた。              「野(の)」大学の卒業習作で、首席…
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日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その1 信濃川 「島崎藤村」

 2002年から2011年までの10年の期間をかけて、「日本の最長10河川の源流から河口までの旅」を走破した。 この源流から河口までの旅の中で、「日本の国が誇る傑出した人物」と十数名出会ったが、魅力あふれる人物ばかりなので、このブログを借りて紹介する。  2002年の信濃川の旅では島崎藤村と、同じ2002年の神流川の旅では内山節と、2…
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能登(日本道)への道 その28 「時国家」と「上時国家」を見学  

 「塩の駅」から5~6分走って、「時国家」に到着した。  この江戸時代には加賀藩に属していた「時国家」と、そのあと訪問する幕府と関りがあった土方家に属していた「上時国家」(後に天領となる)は、平家の最高重鎮で平清盛の義弟であった平大納言時忠の末裔の家である。  「時国家」の建物は江戸中期もしくは末期のものといわれ、古い鎌倉時…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その5 阿弥陀如来坐像を見学

次に隣の阿弥陀堂の阿弥陀如来坐像を見学した。 この阿弥陀堂に安置されている2.8mの阿弥陀如来座像は、源頼朝が42歳の厄除けのために建立したという伝承から厄除阿弥陀と呼ばれており、鎌倉六阿弥陀の一つでもある。 この阿弥陀如来像は、もとは廃寺となった誓願寺の本尊だったという。 ここで阿弥陀如来というものの簡略な説明をする。阿…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その17 なせばなるの上杉鷹山のこと 

平成21年はNHKの大河ドラマである「天地人」が放映された年で、直江兼続の名が世間一般に知られ有名になったが、上杉家の中で一番有名な上杉謙信を除けば、その次に有名なのは上杉鷹山であろう。 その上杉鷹山公之像のある赤丸6の地点にいる。 上杉鷹山は、J・F・ケネディ元アメリカ大統領やビル・クリントン元大統領に「もっとも尊敬す…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 阿賀野川源流地到着

南会津街は2006年(平成18年)3月20日の合併で出来た町で、それまでは田島町、舘岩村、伊南村、南郷村を名乗っていた。 阿賀野川の旅の源流の町は南会津町、ここが源流の旅の目的の町となる。 それでは本格的な午後のスタートである。 まず車で阿賀野川源流地を目指すが、その場所は福島県南会津郡南会津町と栃木県日光市の境界に位置する標高1…
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「播磨と淡路のみち」 その37 二つの洲本城

午後一番に、洲本城に行った。 洲本城は二つあり、一つは豊臣期に築かれた山城であり、もう一つは江戸期に山城のふもとの築かれた平城である。 まず、平城跡の方に行った。   この淡路文化史料館は、江戸時代のはじめに築かれた平城跡にある。ここには、淡路島の自然、文化財、地場産業などの情報を楽しく概観できるようカラーディスプレイで紹介ガ…
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東京散歩 その15 東大散策を終え、追分へ 

昼食後は並木道の中を、東大校内の雰囲気を楽しみながら正門へ向かって歩いた。 正門付近で歩いて来た道を振り返った。安田講堂は遥か向こうにあり、それとともに東大も少しずつ僕の中から離れていく。 門をくぐって東大を出たが、今くぐり抜けた門が、東大総長時代の浜尾新が造らせた東大正門である。 赤門から入って、黄色線のように東…
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「オホーツク街道」の旅 その17 宗谷丘陵の風景

 オンコロマナイ遺跡の丘の右端部から宗谷丘陵に上がる。  宗谷丘陵は、宗谷岬南部に広がる標高20メートルから400メートルまでのなだらかな丘陵地帯、北から南に向かい標高が高くなり、緩やかに起伏しているが、深い谷はほとんど存在しない。  地形は、地理学者・鈴木秀夫東大名誉教授により、2万年前の氷河期に形成されたものと確認され、周氷河地形…
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零下10度の世界への旅 中国編17 故宮探訪その5「清韻堂」にて

 寧寿宮の一角に、「清韻堂」という骨董品のコピー商品を売る店がある。    ツアー客一行はそこに入った。 ここの売りは「溥儀の甥」や「中国の国宝級」の書家が「ボランティア」で書の実演販売を行うことであるが、今日は、人間国宝?の方が書を書いて、それを即売していた。  この書は寿の文字だが、1枚1万円で売っていた。掛軸付きで、2万円。 …
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近江街道をゆく その7  西塔から東塔へ

にない堂の次に、転法輪堂に行った。 この階段を降りると、その前が転法輪堂である。 転法輪堂は現在の西塔の中心をなす大堂で、ご本尊釈迦如来を祀ることから、釈迦堂の名で親しまれている。 延暦寺に現存する最古のお堂で、元は大津の園城寺(三井寺)の金堂であったものを、豊臣秀吉の命により1596年に山上に移築したもので、造営年代は園…
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甲州街道と佐久平みち その21 常楽寺にて 

次に常楽寺に行った。 常楽寺は天台宗の寺院で、北向観音の本坊にあたる。 寺伝によれば、平安時代初期の825年に七久里の里と呼ばれていた別所温泉に観音菩薩が出現し、菩薩を安置するために円仁が開創したとされる。  常楽寺では蝉しぐれが出迎えてくれた。「寺域は緑に包まれ、あたり一面に蝉しぐれが振り続けて、もうそれだけで十分で…
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名言集|皮肉にも思えるユーモア 

■雨は一人だけに降り注ぐわけではない。  by ロングフェロー ■人生は道路のようなものだ。一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。  by フランシス・ベーコン ■死んだ後忘れられたくなかったら読まれるにたる物を書くか、  書かれるにたる事をしろ。  by ベンジャミン・フランクリン ■運命は我々の行為の半分を支…
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思い出の中の川 第13回 小俣宿 その2

引き続き、小俣宿を歩いて行く。  ここを歩いて行くと、山口百恵の「いい日旅立ち」をつい口ずさみたくなる。 雪解け間近の 北の空に向い 過ぎ去りし日々の夢を 叫ぶとき 帰らぬ人たち 熱い胸をよぎる せめて今日から一人きり 旅に出る ああ 日本のどこかに 私を待ってる 人がいる いい日旅立ち 夕焼を探しに 母の背中で聞い…
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能登(日本道)への道 その27 揚げ浜式塩田 

 揚げ浜式塩田は、白米千枚田から車で7~8分程の、黄矢印地点の三ツ子浜海岸にあった。  この塩田が始まるあたりから、国道249号線は塩街道や塩の道と呼ばれて、街道沿いには揚げ浜式の塩田が何か所か点在している。  ここの塩田は、塩の道の始まる起点として「塩の駅」と名付けられている。  さっそく体験塩田を覗いてみた。 …
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その4 長谷寺の十一面観音を拝観

極楽寺駅から江ノ電に乗り、再び長谷駅で下車した。 ところで、極楽寺駅と長谷駅の間には、極楽寺坂切通しの下を通っている江ノ電唯一のトンネルがある。 2013年製作の日本映画で江ノ島プリズムというのがある。福士蒼汰、野村周平、本田翼の三人が主人公の青春ドラマである。 この映画については、江ノ電に乗って湘南海岸と江ノ島を散策したこの…
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ジュンチャンと世界を巡る 第51回はアメリカ

 ヨーロッパを終え、今回からアメリカ大陸、最初の国はアメリカです。  ニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコ、フロリダ、カリフォルニア、メジャーリーグ、ベースボール、ハリウッド、自由の女神、ジャズ、ハンバーガー、オバマ大統領、トランプ大統領など、この国を思い浮かべると沢山の言葉が頭に浮かびます。  このアメリカの先住…
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「播磨と淡路のみち」 その36 淡路島を1周するの旅の始まり 

これから1泊2日で淡路島をほぼ1周するレンタカーでの旅が始まるが、その前に淡路島の大きさをまず確認する。   北東から南西へかけて細長く伸びる淡路島は、南北約53km、東西約22km、周囲約203kmの島である。日本国内では主要4島、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬についで第11位の面積を持っていて、人口では主…
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その14 東京大学の核心部を見学その2

 次はCの安田講堂である。安田講堂は、東京大学本郷キャンパスにある講堂で、正式には東京大学大講堂といい、  1968年の東大紛争では、全学共闘会議によって占拠され、その後長期にわたり大講堂は荒廃状態のまま閉鎖されていた。1990年の大改修により、1991年より卒業式・学位記授与式が再び安田講堂で行われるようになった。 また、東大の届…
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ロシア人とウォッカの話を少々

飲食という観点でロシア人の第1印象を一言で言えば、「ウォッカとキャビアとボルシチ」となる。   ウォッカ「アルタイ山」;シベリアの酒、ピリピリとした辛口  そのウォッカはロシア人の魂とも言える酒で、これ無くしてはロシア人はロシア人でありえないというくらいのものらしい。  そのウォッカとロシアにまつわる小話を…
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ロシア人が遠く旅行したくなるプーシキン

 あるロシア文学者がプーシキンについてこう語っている。 「プーシキンを読めば、ロシア人は遠く旅行をし、多くの本を読んだような気分になれる。」 ロシアではすべての人がプーシキンを知っている。 プーシキンの名前を聞くとロシア人の心は喜びと軽やかさと感謝でいっぱいになるという。プーシキンと同時代の作家ゴーゴリは「プーシキンは並外れた人で、ロシ…
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零下10度の世界への旅 中国編16 故宮探訪その4 楽寿堂へ

 珍宝館を出て、養性殿、楽寿堂、頣和軒と見て回る。  この3棟の中では、楽寿堂が充実していた。  (既に見て回った頣和園にも西太后の日常の住まいとして楽寿堂が建設されていた。)  楽寿堂は1776年に乾隆帝が建設したが、後には西太后が60歳を過ぎてから居住した。  楽寿堂の中には、自らも書家が出来るほどの腕前である乾隆帝の数々…
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近江街道をゆく その6  昼食、そして西塔へ

横川を出てこれから西塔に向かうが、その前に峰道レストラン前でバスを降りて、峰道レストランで昼食とした。 11月1日の近江路は平地ではまだまだ秋で夏服にジャンパーを羽織れば十分過ごせるが、比叡山では気温もぐっと下がって、バスから降りると寒さに震えるほどで、急いで暖房やストーブであったかくなっているレストラン内に入った。 ここで…
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探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 序章

 ロシア8連邦管区区分図、緑と黄色の一部がボルガ河の河川流域です。 ↑(いつものように最後に問題あり、答えてね。)  ロシアは最近まで、ソビエト社会主義連邦共和国として、ミシシッピのアメリカ合衆国と東西に別れて冷戦世界を築いてきた。   初代ソ連最高指導者「レーニン」、レーニンは「レナ川の人」…
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岡倉天心 茶の本 第七章  茶の宗匠(最終章)

 宗教においては未来がわれらの背後にある。 芸術においては現在が永遠である。 茶の宗匠の考えによれば芸術を真に鑑賞することは、ただ芸術から生きた力を生み出す人々にのみ可能である。 ゆえに彼らは茶室において得た風流の高い軌範によって彼らの日常生活を律しようと努めた。 すべての場合に心の平静を保たねばならぬ、そして談話は周囲の調和を決して乱…
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能登(日本道)への道 その26  白米千枚田にて

 白米の千枚田は能登半島随一の人気スポットで、輪島市の中心部から国道249号線を約15分ほど走って、黄矢印の千枚田に到着した。 なぜ白米千枚田と呼ばれているのかだが、通説は数が多いということでこう呼ばれているということで、「狭い田」からの転という説もある。最も小さい田の面積は、0.2平方メートル程度という。2006年5月に…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その3 極楽寺坂切通しを歩く

鎌倉権五郎神社の見学を終え、江ノ電の踏切を渡って極楽寺坂切通しに向かった。 この力餅家の角の左手方向が極楽寺坂切通しである。力餅家であるが、創業は元禄時代にさかのぼるという300年以上の伝統を誇る老舗で、柔らかい餅をこしあんでくるんだ力餅で知られる店である。力餅は右目を射られながらも戦ったと伝わる鎌倉権五郎景政の怪力にちなんだ鎌倉…
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最上川と「おくのほそ道」の旅 その16 上杉謙信祠堂跡などを見学

それでは、旧米沢城本丸(松岬公園)にはいっていく。 これは旧米沢城本丸の現在の見取図であるが、この図を参考にして旧本丸を歩いていく。 赤丸1は正面参道、赤丸2は上杉謙信祠堂跡、赤丸3は謙信公の像、赤丸5は伊達正宗生誕之地標柱、赤丸6は上杉鷹山公之像である。 内堀に架かる橋を渡り参道を歩いていくと、赤丸1の辺…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 奴奈川姫の川「姫川」の源流で釣る その2

 荒神社の社を後ろから道なりに左廻りし、森を下っていくと姫川源流はそこにあった。  まさに案内書のとおり、源流は荒神社の境内の下から湧き出ていた。  今は渇水期なのだろうかそう水の勢いはなかったが、それでも湿地に生息する植物類の間から噴出すように流れ出ていた。  境内の上から若い女性グループが感嘆して、さかんにカメラのシャッタ…
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「播磨と淡路のみち」 その35 明石大橋を渡って淡路島へ

明石大橋を渡る前に、柿本神社に行った。 この神社の境内からは、瀬戸内海と淡路島、明石海峡大橋が望めるという。   林崎漁港からここまでは約5km、20分ほどで到着した。   柿本神社は明石市人丸町にある神社で、人丸山の頂上に鎮座し、旧くは人丸神社と称していた。   境内の展望場所から、これから渡る明石大橋を展望して、…
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東京散歩 その13 東京大学の核心部を見学 その1

これから東京大学の核心部を見学する。 Aの三四郎池、Bの浜尾新像、Cの安田講堂の順で見学し、赤星印の大講堂下の中央食堂で昼食である。 まず、Aの三四郎池からである。 1615年の大坂夏の陣の後、加賀藩前田家は幕府から現在の東京大学(本郷キャンパスの一部)およびその周辺地を賜った。 1629年4月、前田家3代藩主利…
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「オホーツク街道」の旅 その16  オンコロマナイ遺跡の前で草取りをして社会に貢献!!

 オンコロマナイ遺跡は実は去年行く予定にしていたのだが、例の台風15号の進路が気になって、早々に宗谷を逃げるように退散した心残りの場所である。  今年の旅は台風を避けての旅であり、ここまでは非常な好天に恵まれている。  インターネットでオンコロマナイ遺跡の情報をあらかじめ仕入れていたのだが、それでもすぐにはこの場所に着けなかった。  恩…
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零下10度の世界への旅 中国編15 故宮探訪その3(珍宝館にて)

 紫禁城は明(漢民族)の三代皇帝である永楽帝が建造し明から清(女真族)に受け継がれた皇帝の居城。 この女真族は、もともと中国東北部と朝鮮半島の北部が元居住地。 ツングース系{歴史では女真(金、清)、扶余、高句麗、渤海などの国を造り、狩猟・漁労、牧畜などを生業としていた。現在は、満州族、シボ族、オロチョン族、エベンキ族、ナナイ族【黒澤明監…
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近江街道をゆく その5  元三大師のこと

慈覚大師円仁を終え、今度は比叡山延暦寺の中興の祖として横川に20年居られたという、第18代天台座主良源への道を歩いていく。 良源(912年- 985年)は平安時代の天台宗の僧で、一般には命日が正月の3日であることから元三大師の名で知られており、角大師や豆大師という別称もあり、中世以降は民間の中で厄除け大師として独特の信仰を集め…
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甲州街道と佐久平みち その20 別所温泉安楽寺

信濃国国分寺から別所温泉までは、距離にして13km程、30分程で到着の予定である。  別所温泉はネット情報では夕飯時に営業している店がほとんどないとうことだったので、別所温泉に探していく道中で今夜の晩飯を調達するためにコンビニを探し回っていて、結局見つけられなかった。  仕方なく、別所温泉駅構内にある観光案内所に立ち寄ったが…
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思い出の中の川 第12回 小俣宿 その1

 これから小俣宿を散策していくが、その前に小俣宿が登山口の一つとなっている「日本国」という山の名の由来を紹介する。 新潟県と山形県の県境に位置する標高555mのこの山の名前の由来には諸説あるようだが、三つ紹介する。  一つ目だが、蜂子皇子(崇峻天皇の第三皇子、出羽三山開山)が父親である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺された事で、そ…
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能登(日本道)への道 その25 總持寺祖院散策

 これから總持寺祖院に向かう。  かつては曹洞宗の大本山「總持寺」として末寺1万6千余りを数えていたが、明治31年に火災にあい、それを機に本山の機能が横浜市へ移転、移転先が「大本山總持寺」となり、能登の「總持寺」は「總持寺祖院」と改称され別院扱いとなった。  目の前の橋は白字橋で、その奥には山門が建ってるが、2007年3…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その2 御霊神社に参拝

コミック「鎌倉ものがたり」は1980年代の鎌倉が舞台で、江ノ電やJR横須賀線はもちろん、「鳩サブレー」の豊後屋や、「梅花はんぺん」の井上蒲鉾店、「あがり羊羹」の北鎌倉・松花堂、小町通の喫茶店「門」など鎌倉でおなじみの店名が多数登場している。 一色正和の住まいは長谷1丁目となっているので、そこがどんな場所であるか気になったのでヤフーで検…
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ジュンチャンと世界を巡る 第50回はアイルランド

 アイルランドは「ケルト文化とカトリック信仰」という独自の文化が発達した国で、イギリス(イングランド、スコットランド、ウェールズ)とは異なる歴史を有していて、支配国であったイギリスが光であれば、この国は長い間イギリスに支配され、百戦百敗の影の国です。  ヴァイキングの侵攻やイギリスからの移住者により、人種・文化の混合が進みましたが…
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旅人かへらず 西脇順三郎

旅人は待てよ このかすかな泉に 舌を濡らす前に 考へよ人生の旅人 汝もまた岩間からしみ出た 水霊にすぎない この考へる水も永劫には流れない 永劫の或時にひからびる ああかけすが鳴いてやかましい 時々この水の中から 花をかざした幻影の人が出る 永遠の生命を求めるは夢 流れ去る生命のせせらぎに 思ひを捨て遂に 永…
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「播磨と淡路のみち」 その34 林崎漁港 

 夕食はホテルの前のコンビニで買ったけっこう高級な寿司(1000円ほど)と缶ビールで済ませた。  この部屋は前日宿泊したホテルの部屋に比べて格段に居心地がよく、気分よく過ごせて、気分よく眠れた。  翌朝の明石キャッスルホテルの朝食であるが、このホテルも大部分のビジネスホテルと同じくバイキング形式の朝食よなっていたので、パン食を選…
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東京散歩 その12 東大という怪物その3

最後に文芸部門である。 あ行阿川弘之(小説家・評論家、文学部国文科、文化勲章受章者)芥川龍之介(小説家、文学部英文科)浅倉卓弥(小説家、文学部)阿部昭(小説家、文学部仏文科)安部公房(小説家・劇作家、医学部、芥川賞受賞者)阿部次郎(作家、文学部哲学)阿部知二(小説家・英文学者、文学部仏文科)荒正人(文芸評論家、文学部英文科)いいだもも…
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