木曽川への旅(2008年の旅) その2 奈良井宿中町


奈良井宿は木曽路最大の難所の鳥居峠を控え多くの旅人で栄えた宿場町で、「奈良井千軒」といわれていた。(天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、奈良井宿の宿内家数は409軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒で宿内人口は2,155人。)

宿は江戸寄りから下町、中町、上町に分かれ、中町と上町の間に鍵の手と呼ばれるクランク形状の道があり、水場は山側に6ヶ所存在する。

現在も重要伝統的建造物群保存地区として、当時の町並みが保存されており、また、江戸時代から曲げ物、櫛、漆器などの木工業が盛んで、旅の土産物として当時も今も人気がある。
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ここでの見学だが、まず奈良井駅の駐車場に車を留め、携帯からイヤホーンで音楽を聞きながら、気軽な散歩気分で奈良井宿に入った。
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一方街の中は、いかにも江戸時代からの宿場町という重々しい景観である。

下町から中町を歩いていく。

中町にある観光案内所で「中山道-奈良井宿ご案内図」(縦18cm,横50cmの細長い案内地図)を貰った。
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 この地図をもとに奈良井宿を歩いたので、この地図で宿を紹介しながら旅を進めて行く。

上図の町は中町だが、今から地図を片手に、赤□で囲った観光案内所から中町で唯一見学に入った上問屋資料館に向かって歩いて行く。

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「問屋(といや)」は、幕府の役人や諸大名・その他の旅行者用のために、幕府の定めた一定数の伝馬(てんま・宿駅用の馬)と歩行役(人足)とを定備しておき、旅行者の需に応じていた家のこと。

この上問屋は慶長7難(1602)から明治維新に宿場制度が廃止されるまで凡そ270年間継続して奈良井宿の問屋をつとめ、天保年間からは庄屋も兼務していた。
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明治13年6月26日明治天皇が御巡幸の際御在所となった、そのお部屋は一番奥の上段の間であった今もその当時のまま保存されている。



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