「オホーツク街道」の旅 その27 植物研究家の米原ふさ子さんに案内されてオムサロ遺跡を見学

 オムサロ原生花園の国道を挟んだ反対側に、北海道指定史跡「オムサロ台地竪穴群」の一画に整備されているオムサロ遺跡公園がある。

 標高10mから15mのオムサロ台地には、縄文早期から続縄文、オホーツク文化、擦文、そしてアイヌ時代と、各時代の生活の痕跡が途切れることなく残っており、その期間は何と約1万年と考えられている。

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 公園内に入る坂道では、大柄なおばさんがエンジン付きの草刈機を使って草取りに精を出していた。

 後で知ったのだが、このおばさんが紋別市の委託を受けて公園を管理している、植物研究家の米原ふさ子さん。

 彼女と1対1で30〜40分、公園内をじっくり案内してもらった。

 公園内には竪穴住居のくぼみ跡や、擦文時代の再現された竪穴住居3軒、骨組みの状態のものが1軒、そしてプーと呼ばれるアイヌの人々が使用した高床式の食糧倉庫擦文時代の4角形のタイプの住居などがあった。

 彼女との会話の中から印象に残った話をメモしてあったので、それを見ながら話の核心部分だけをここで紹介する。

 オホーツク人の話が中心となったが、気候の寒冷化により樺太に住んでいたオホーツク人が、彼らの獲物(アザラシなどの海獣たち)を追って、オホーツク海岸にまで南下して来た。

 オホーツク人は和人とは違う。人種的にはアイヌ人の血の重要な構成要素となった人々である。

 日本人は縄文人(狩猟採取文化の人々)+弥生人(稲作文化の人々)だが アイヌ人は縄文人(狩猟採取文化の人々)が8割+オホーツク人が2割という血の混合で構成された人々。

 弥生人(稲作文化の人々)は本州以南と北海道以北を区別する重要な指標で、明治時代になるまで北海道には入って来なかった。

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 オホーツク人は食糧となる鮭を求めてオムサロに定住したのだが、アイヌ人は平地を求めて山からオムサロにやって来た。

 オムサロは海の幸、川の幸、森の幸、山の幸に一年中恵まれた、住むには最高の場所。

 気候の変化は、文化を造ったり壊したりして行く。寒冷化により人々は南下し、温暖化により人々は北へ向かう。

 気候の変化は人種の体質まで変える。

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 気候の寒冷化により寒冷地仕様のモンゴロイドが誕生、彼らは南米の最南端まで旅をしたビッグハンター達の祖先となった。

 今回の旅も、けっこう熊に怯える旅となったので、ここにも熊は出るのかと聞くと、熊は朝方に出没するとのこと。

 道路を横切って海へ塩を舐めに行くとのこと。
 熊は北海道では密度の差はあるがどこでもいるとのこと。

 鹿は熊と違ってアニミズムの対象とならず、アイヌ人は「それ」くらいにいい、鮭と同じ扱いの完全な彼らの食糧である。

 お互いに似たようなテーマに興味があったので、こんな話をしながら時間も忘れて公園内を歩いた。

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 彼女の本来の専門分野は植物なので、其の辺の話もかなりしていたが、あいにく僕の方はあまり興味が無かったのでほとんど記憶に残っていない。

 ただ、彼女の大切にしていたエゾスカシユリが鹿に5日位前に食べられてしまったのを非常に残念がっていた。

 絶滅危惧種の植物も3〜4種植えているとのこと、彼女は植物学者なので、話し出すとキリが無くなる感じで、ニリンソウの話から自生しているトリカブトの話までしていた。

 オムサロ遺跡は外からは見えず、鬱蒼とした森の中に隠れている。

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  海の幸、川の幸、森の幸、山の幸に一年中恵まれた、住むには最高の場所であるオムサロ遺跡を、帰る時にもう一度振り返った。

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