最上川と「おくのほそ道」の旅 その27 春日山林泉寺で墓巡り

春日山林泉寺は、ほぼ墓巡りだけである。


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ここで一番目に付くのが、直江兼続と妻お船の墓である。


直江兼続は40歳から20年間を米沢でお船と過ごした。

米沢は壮年からの、兼続が人生の最も充実した時期を過ごし、その足跡を最も多く残した土地である。

直江兼続は主君の命により名門直江家の婿となったが、妻となったお船は再婚でしかも三つ年上であった。

しかし兼続は美丈夫として知られ、お船の方も美人として有名で、二人の仲は生涯睦まじく、兼続は他に側室をおく事はなかった。

 お船の方が生まれ育った場所は新潟県長岡市与板にあるが、2009228日に旅したことがある。


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この場所がお船の方が住んでいた本与板の館のあったといわれている場所で、天地人の派手な旗がいくつも立っていた。

米沢に移り住んでからの兼続の生活は物静かな学者ともいうふうで、公務以外のときは書籍の収集に熱心で、さらに土木技術書もかなり読んでいたという。
 名門直江家で深い教養を身につけていたお船にとって、兼続の日常生活に深い共感を覚えていたようで、兼続の政治に口をはさむこともなくしっかり藩の最重要職にある夫を支えていた。


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そんな二人に全く相応しく、二人の墓は同じ大きさで仲睦まずく並んで建てられていた。


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次は甘糟備後守景継の墓である。


景継は槍となぎなたの名手で、上杉勢最強と言われた上田衆の一人で、その功績から「上杉将士書上」では上杉二十五将の一人としても数えられている。

甘粕は上田坂戸城主長尾政景の家臣である登坂家の出身で、景勝が上杉家の養子に迎えられたときも春日山城へ一緒に入っている。

謙信公没後の御館の乱で直江兼続と共に景勝のため奮闘、1593年、五泉城から庄内酒田城へ移り、上杉家会津米沢移封に同行した。

NHKドラマ天地人ではパパイヤ鈴木さんが甘糟備後守景継を演じていた。


次は林泉寺内の上杉家廟所である。


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ここには、上杉謙信の姉仙洞院や景勝の正妻菊姫などの墓がある。


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ここは、景勝の正妻菊姫の墓である。


菊姫は1558年武田信玄の五女として生まれ、長篠の戦いで兄の武田勝頼が織田信長に敗れて以降武田氏の勢力が衰退したので、上杉氏と同盟を結んで信長に対抗するため、甲越同盟の締結が行なわれた1579年に両家の同盟の証として上杉景勝に嫁いだ。

婚約が成立したのは景勝と上杉景虎による御館の乱の最中のことだった。

嫁いだ後は上杉家中から甲州夫人もしくは甲斐御寮人と呼ばれ、質素倹約を奨励した才色兼備の賢夫人として敬愛された。


そして上杉謙信の姉仙洞院の墓である。


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仙洞院は樺沢城で紹介しているので省略する。

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