津軽街道をゆく(2013年の旅) その70 太宰治小説「津軽」散策の旅の始まり

弘前での旅も、いよいよ核心部分に入ってきた。




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これから弘前逍遥倶楽部にガイドをお願いしての、赤枠で囲った太宰治小説「津軽」散策の旅となる。




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ガイドしていただくのは、弘前逍遥倶楽部の一條敦子さんという素敵なおねえさん、案内していただくのは、小説「津軽」にみる弘前の懐古と浪漫コースである。

弘前逍遥倶楽部とは、弘前で生まれ育った女性スタッフが、弘前の素敵・楽しさ・面白さをそのままお伝えしたい、と結成したグループで、訪れてくださった弘前を楽しい想い出にしていただくために、お客様のご希望をたずねながら街を案内するという。





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午後1時半にこの太宰治まなびの家で一條敦子さんとお会いし、それから午後4時頃まで案内していただいた。

まず、太宰治まなびの家に入った。



 「太宰治まなびの家」(旧藤田家住宅)は、太宰治が官立弘前高校へ通うため下宿していた家である。

太宰治は官立弘前高等学校に在学した3年間を弘前で過ごしたが、彼の小説「津軽」の中には、弘前での生活や街角での出来事が活き活きと描かれている。



太宰治まなびの家には別のガイドが僕のために呼ばれていて、その方の案内でまなびの家の一階と二階をすべて案内していただいた。




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この二階の六畳間に太宰が寝起きして、窓際の机で勉強し、右上の制服で三年の間官立弘前高等学校に通っていたのである。




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その頃義太夫に凝っていたことなどが「津軽」には書かれているが、そのうち喫茶店へ入ったり、更には割烹店へのこのこ入って、芸者と一緒にごはんを食べることまで覚えた。

少年太宰はそれを別段悪いこととも思わず、粋なヤクザな振る舞いは常に最も高尚な趣味であると信じていた。




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ここは太宰に部屋を貸していた藤田家の人々が住んでいた一階である。

二階の少年太宰がヤクザな思いにふけってヤクザな行動をしていた時、階下の藤田家の人々は何をしていたのだろうか。




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