ネクラーソフ「赤鼻の酷寒(マロース)」から抜粋 その2

さもあらばあれ 農奴の妻のものがたりを
われらはおもいついた 話そうために
すばらしいスラヴ女の型というものが
今もなお みつけ出せるということを。

ロシヤの農村(むら)には女がいる
しとやかできりりとした顔かたち
たおやかで 力づよいものごし
歩きぶりも 眼ざしも 女王のような!

盲なら気づきもすまい
眼あきならみないうだろう
《そば行けば──まるで陽がてるよう!
見つめられたら──銭(ぜに)貰うよう!》

かの女らは行く 同じこのみち
人みなの歩くこのみち
ああしかし みじめな四囲(はた)のけがれもかの女にはまるで まといつかぬよう。花ひらく

うるわしの女 かいわいのおどろきのまと
ほおあかく すがたよく たけたかく
何着てもみめよく
何しても 手ぎわよく。

餓えにも 寒さにも たえ
がまん強く いつも こころ平らかに……
わたしは知っている 草かりぶりを──
一ふりの鎌に──築く たちまちに 草の山!

頭巾(プラトーク)がずり落ちる 耳のはた
今にも下げ髪がすべり落ちそう。
若い衆が 抜け目なく その
髪の毛を なげ上げる 道化もの!

ふさふさとした亜麻色の下げ髪は
浅黒い胸の辺(へ)に落ち
むき出しの脚をかくして
眼をふさぐ。

女は髪をかきあげて
腹立たし気に若い衆をみる。
絵のように りっぱな顔は
当惑と忿怒(いかり)にもえて……

常の日は 無益を好まない。
その代り まるで別人のよう
あかるいほお笑みが苦労のあとを
その面(おもて)から消し去る時には。

このような心(しん)からの笑い
このうた このおどり
銭(かね)では買えぬ。《法楽!》──
百姓はいつもいってる。

鬼ごとでは、馬で追っても つかまらず
災難にあって──めげず──他人(ひと)を救ける──
放れ馬も取り押さえ
燃える家にも飛び入って!
きれいなならびよい歯
大粒の真珠のような
けれど 紅い唇は しっかりとまもって
美しさを 人眼にはさらさない──

かの女はめったにほお笑まず……
無駄話するひまもなく
隣人もためらう かの女のところへ
火斗(じゅうのう)や土鍋 借りに行くのを。

みじめな乞食も憐むに足りない──
はたらきもせず ぶらついてるとは 何たる気まま!
きびしいはたらきと内なる力のしるしが
その顔にあらわれている。

かの女はさとっている、しっかりと はっきりと
人の救いはすべてはたらくことにあるのを。
はたらきは報いをもたらし──
家族は餓えに苦しまず

いつも彼らにはある あたたかい小屋
よく焼けたパン 味のよいクワス
子らは食い足りてすこやかに
物日(ものび)には 余分の ごちそうもある。

かの女は弥撒(ミサ)に行く
家族みなひきつれ
二歳(ふたつ)の児は椅子にもたれるよう
その懐に抱かれ

おめかしした母親は
六歳(むつ)の児の手をひいて行く……

これこそは ロシヤの民衆を愛するすべての人の
願いどおりの光景である!

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