能登(日本道)への道 その3 山の寺寺院群のさわり部分を散策

小丸山公園を出て、七尾の街をどう歩こうか思案していたが、初日はいつもの履き慣れた靴の代わりに、主に肉体労働をする人たちのための商品を扱っている店から安くて丈夫な靴を使って歩いていたが、どうもこの日はこの靴の調子が悪くて、見学箇所を大幅に縮小することにした。
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これから山の寺寺院群に向かって歩いて行く。

山の寺寺院群は、1581年に前田利家が奥能登地域からの七尾城の防御を目的に、浄土真宗を除く各宗派の寺院を防御陣地として移転配置したもので、設置当初は29の寺院が存在したが、現存する寺院は16である。

寺院間を結ぶ山道は「瞑想の道」と呼ばれ、観光・散策コースとなっている。
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山の寺寺院群に向かって歩いていくと、長齢寺の看板が見えてきた。

現存する16の寺院を散策する気は全く起きず、ほんのさわりの寺だけを見ることにした。
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歩いたのは黄線の道で、黄矢印の方向に、長齢寺徳翁寺、龍門寺と楽しく散策した。

それではまず、長齢寺からである。
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ここが長齢寺の山門である。

長齢寺は曹洞宗総持寺派の寺院で、前田利家が能登で建てた唯一の寺院とのことである。
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山門を潜り寺の中に入ったが、そう見栄えもせず普通の民家のように見える寺で、手入れも十分にはされてないように見えた。

宝物館もあるということだが、どこにあるかわからず、前田利家の両親の墓だけをしっかり確認した。
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新緑の中で、前田利家の父母は静かに永遠の眠りについていた。



長齢寺から徳翁寺への散策路はすがすがしい道という印象で、竹林の多い散策路は当初予定していた七尾湾クルージングよりもかえって良かったかもしれないと思った。

ただ、この寺院群を繋ぐ道は、いざというときには兵士達の駆け抜ける道で、そんな事を考えていると、織田・豊臣・徳川の時代にタイムリープしているような気にもなってくる。
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たとえば、この階段の上から鎧を着た兵士が今にも飛びかかってきそうな幻想を覚えたりした。

この坂を登っていくと、2番目のお寺の徳翁寺である。
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徳翁寺は長齢寺よりずっと綺麗に保たれていて、境内の中にいるだけで気分が良かったが、森の中ではないので、夏並みに上昇した気温の中では、そう快的とも思えなかった。

 お寺をいろいろ見ていたら、妖しいものと思ったのか住職らしき方がこちらをジロッとにらんだので、急いで退散した。


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