テーマ:松前街道をゆく(2014年の旅)

松前街道をゆく(2014年の旅) その60 積丹半島一周の旅

渡島半島一周の旅は今日6月30日(月)に、積丹半島一周の旅となる。 積丹半島では半島で最も魅力的な場所である、星印地点の神威岬と、積丹岬近くにある同じく星印地点の島武意海岸を目指した。 まず、神威岬である。 この半島のように細長く海に伸びている場所が神威岬で、その先端部分からは左端に半分だけ見えている神威岩が見える。 神…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その59 渡島半島一周の旅 岩内まで

松前街道の旅は2014年6月29日(日)に江差で終了したが、この旅は渡島半島一周の旅も兼ねていた。 黄色い実線部分がこれまで旅した渡島半島部分で、赤い実線部分と緑の実線部分がこれから旅する渡島半島部分である。 ではさっそく、6月30日(月)に旅した江差から岩内までの部分をたどってゆく。 江差を出て最初の目的地は今金、この町の開…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その58 江差追分会館 で松前街道を終了

旧関川家(別荘)の見学を終えると、う;江差追分会館に向かった。 追分会館の前には、生涯の大半を旅人として過ごした江戸後期の国学者で紀行家でもあり民俗学の祖とも言われた菅江真澄の歌が標柱になっていた。 すくも焚く 煙りの末も 治まれる 風にしたがふ 浦の夕なぎ 意味はこうである。 1789年の初夏、この年もまた鰊は不漁のうちに…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その57 旧檜山爾志郡役所と旧関川家(別荘)を見学

黄四角で囲った横山家と旧中村家の見学を終え、あ;旧檜山爾志郡役所、い;旧関川家(別荘)、う;追分会館の順にこれから見学する。 江差の街は見所満載だが、限られた時間での旅なので、あとはこの3箇所を訪ねて「松前街道の旅」を終えることとする。 それでは、あ;旧檜山爾志(ひやまにし)郡役所からである。 旧檜山爾志郡役所は、北海道庁…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その56 「旧中村家住宅」を見学

横山家と並び江差の代表的な建物で国の重文となっている「旧中村家住宅」をこれから見学する。 中歌町に残されている旧中村家住宅は、江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛が建てたもの。 大正初期に大橋家から中村米吉が譲り受け、昭和46年に重要文化財となり、昭和49年に中村家より町に寄贈、昭和…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その55  ニシン御殿の横山家を見学

蝦夷における商業・文化の中心地として発展した江差町には歴史的な建物がいっぱいあるが、漁業や回船問屋を営んでいた横山家と海産物問屋を営んでいた旧中村家住宅が代表的な建物。 これから、「江差の五月は江戸にもない」と言われていた頃に建てられたこの二家を見て歩いていく。 ます横山家であるが、このように建物の入口のあるいにしえ街道から表通…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その54 かもめ島を散策する

かもめ島歩きマップに沿って、島内を歩いて行く。 まず、④のテカエシ台場跡である。 江戸時代の後期諸外国の船が日本近海に現れ始め、幕府や諸藩は海岸線に台場(大砲を備える場所)を設けた。 鴎島には、北にこのテカエシ台場が、南にキネツカ台場が設けられた。 鴎島の北側は風や波により岩盤が削られて平らになったが、もっとも広く平にな…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その53 江差に到着、開陽丸見学後かもめ島へ

上ノ国では、松前街道の旅の目的だった松前氏や松前藩の謎がほぼ解明でき、その上天の川支流桂岡川で北海道初チャレンジの渓流釣りでほぼ入れ食いというボーナスまで貰い、大満足の2日間を過ごすことができた。 お世話になった若旦那の「よ志栄旅館」の朝飯を午前7時半に食べ、午前8時半には旅館を出発し隣町の江差に向かっ…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その52 夷王山神社にて

これから標高159mの夷王山山頂を目指して登っていく。 山頂には永禄元年に創立されたといわれている神社が建てられていて、医王山神社・医王山薬師寺といわれていたが、明治26年に第14代(最後)の藩主である子爵松前修広が許可を得て、社名を「夷王山神社」、祭神を松前氏の祖である武田信広とした。  かなりの急坂で風も強く吹いていたが、若…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その51 勝山館内の旧跡を歩く

勝山館をさらに進み、再度振り返った。 眼下に広がる上ノ国の湊は風の穏やかな場所で、ここに立ち寄った船舶は無いかりでこの湊に碇泊していたという。 こんなに地の利がよくて天然の良港に恵まれている上ノ国から何故松前(大館)に蛎崎氏は遷ったのかという素朴な僕の疑問に、若旦那はあくまでも私見だがと言いながら明快に答えてくれた。 1 …
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松前街道をゆく(2014年の旅) その50 勝山館に到着

一歩ずつ歩くたびに、勝山館に近づいていく。 立派な石ダタミの参道が続いているが、この道は殿様の通り道で、一般の民百姓の通る脇道はこの参道のすぐ右側に普通の山道として存在している。 この参道を家来に雪掻きをさせながら、松前の殿様は元旦に夷王山神社に参拝したのだが、当時の家来たちがどんなに大変だったか想像出来た。 そしてようや…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その49 植物を見ながら、勝山館を目指して歩く

再び植物観察をしながら勝山館を目指して登っていく。 最初にマムシ草の話を若旦那はしてくれたが、知らないで食べるとヒリヒリして激痛が伴うが、アイヌはマムシ草の毒を処理する方法を知っていて、マムシ草を食料にしていたという。 次に若旦那はしゃがんで葉を左手で挟み、これは延命草だと言って説明に入った。 しそ科ヤマハッカ属に属する植物で…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その48 トリカブトを見ながら第四の見張り場へ 

ガイドの若旦那は歴史の話をしながらも、植物の話にも余念がない。 彼はこのあたりいっぱいに自生しているトリカブトを発見し、手で触り指で指し示した。 トリカブトはキンポウゲ科の植物で、この上ノ国のあたりで山菜として良く食べるニリンソウにそっくりで、特に出たての頃は全く区別がつかず、トリカブトを食べて亡くなる方もいると話していた。 …
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松前街道をゆく(2014年の旅) その47 「蛇登らず」を見ながら勝山館へ 

夷王山頂上にある夷王山神社を最終目的地として、夷王山への散策路を歩いている。 経路は上図の黒線となる。 この道を、散策路に自生している植物の説明をガイドから聞いたり、山麓から見える上ノ国の絶景を楽しんだり、蝦夷地の和人の軍事・政治・北方交易の拠点となった勝山館の当時の出来事などを詳細にガイドから聞いたりしながら歩いている。 ガ…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その46 上ノ国八幡宮本殿と上国寺本堂を見学 

旅館の若旦那が仕事のやり繰りがついたので、これから上ノ国を案内してくれるという電話だった。 5分もかからないうちに若旦那はやって来て、午前11時頃から午後2時頃まで3時間程に渡ってC地点を案内してくれた。 旅を終えてみれば、この若旦那と過ごした3時間程がこの松前街道の旅の中で最も重要で盛り上がった時間だということがわかった。 これ…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その45 洲崎館跡から旧笹浪家住宅へ 

次に向かったBの洲崎館跡に、午前9時半頃に到着いた。 ここが洲崎館跡である。 説明看板を読むと、1457年のコシャマインの戦いで功をあげた武田信廣が上之国守護蠣崎季繁の養女である安藤政季の娘を妻とし、同年築いた館であると書かれている。 信廣はこの時「建国の大礼」を行い、その後信廣は夷王山の麓に勝山館を築き、松前藩300年の基を作っ…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その43 初渓流釣りを終え、民宿弁天で夕食 

桂岡川で午後2時頃までたっぷりと初渓流釣りを楽しんだが、昼食はかつらおか橋の下のフィールドでとった。 今日の昼食は持参したレトルトドライカレーとUCCコーヒーでアウトドアマン風な食事となった。 食事のあいだ中、大型のアリが地面をあちこちと動き回って、僕の体に登り着いてくるのではと気になって、落ち着いて食べることが出来なかったが、…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その42 熊にも会わず、入れ食いの初渓流釣りに大満足

 続いて2匹目が、すぐ釣れた。 小石を置いて、後で何匹目か区別がつくようにして撮影し、すぐリリースした。 夢中になって釣っている間に、いよいよ森は深くなっていく。 熊の影に怯えながら、減水気味の川の中ではまだ水深のあるポイントに到達した。 そのポイントが、この小さな淵となっている地点である。 何か釣れるだろうと半分位は確信…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その41 天の川の支流桂岡川で渓流釣りに挑戦

散歩を終え出発の準備をした後、午前7時頃に朝食となった。 旅館みうらの朝食は、いかにも朝食らしい朝食で、オカズは全部食べきった。 松前町を午前7時半過ぎに出発した。 愛車レガシーに乗って松前街道を快調に北上、目指すは上ノ国町である。 北海道の川は熊が怖いので、渓流釣りは過去にしたことがない。 比較的平場で熊の危険もそう…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その40  旅館みうらで明日の釣行を考えながら夕食

松前藩屋敷の見学を終え、午後2時には今夜の宿である旅館みうらに入った。 部屋の窓からは松前の町並みの一部が見えるが、今日の午後は部屋で過ごしながら、明日の渓流釣りの準備と休養に充てた。 北海道での釣りは、平成21年の石狩川支流での渓流釣り、平成22年のサロベツ原野でのイトウ釣り、平成23年の道北猿払村でのイトウ釣りに続いて4度目…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その38 松前城下町通りを散策 

観光客の姿がほとんど見えずスカスカ状態の松前城址と寺町を歩いた後、城下町通りの一角にある「松前漬の老舗土産屋龍野屋」横の駐車スペースに車を停めた。 これから城下町通りを散策、その後昼食である。 右端の赤四角部が駐車した地点で、他の道路より赤っぽく見えるのが城下町通り、ここをブラブラと、半分は昼食場所を探しながら気ままに歩…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その37 松前家の墓所と阿吽寺を歩く 

法幢寺境内の北東隅に松前家の墓所があるが、墓所の開設は七代藩主公広の時代と言われている。 墓所の入口のケヤキの巨木は墓所の開設時に菩提樹として植えられたものと推定され、樹高は24m、樹齢も二つの看板に記されていたが、40年ほど差があるのであてにはならないが、七代藩主公広の時代が17世紀前半なので、370〜380年ほどというとこ…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その36 龍雲院と法幢寺を見学 

法源寺の次は向かいの位置に建っている井の龍雲院である。 龍雲院は松前家7世公広の奥方桂子が、亡くなった長男兼広の冥福と二子氏弘(松前家8世)の創建を祈念して、1625年(寛永2年)に創建した曹洞宗の寺院である。 龍雲院は龍神堂以外は戊辰戦争の戦火をほぼまぬがれ、現在松前にあるお寺の中で本堂建築などは一番古いものである。 これは…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その35 松前の寺町を散策 

城内を散策しているうちに、松前氏の先祖と松前氏の歴代当主を記した掲示物があったので、じっくりと読んでみた。 これは、松前氏をたどると平安末期に陸奥で起こった前九年の役や後三年の役を平定した源頼義や新羅三郎義光(源義光)まで遡っていくという系図である。 松前氏の初代である武田信広は若狭国の守護大名・武田信賢の子とされていて、生…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その34 松前城内散策

松前の町に入って最初に向かうのは松前城であるが、ここで松前城のことを簡略に紹介する。 松前には大館という、津軽から蝦夷地へ渡って来た安東氏によって築かれた館があった。 その大館は上ノ国を支配していた武田信広の子である蠣崎光広とアイヌ人に攻められて落城、その後は蠣崎氏の城となり、大館という名称は徳山館と改められた。 現在、徳山館があ…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その33 北海道最南端の白神岬まで 

翌朝午前5時には眼が覚め、午前6時頃から福島川に沿って、福島の街を散策した。 橋の欄干には、力士と手形のレリーフがあり、川の上流方向には松前半島の山並みが幾重にも連なっている。 さらに15分程福島川を遡ると、文明のひとかけらも見えない、北海道の天然の自然が見えてきた。 おいしい空気と自然の豊かな福島の町を、爽快に歩いて朝食…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その32 横綱記念館見学後、今夜の宿やん衆番屋へ 

次に、横綱記念館に行った。 福島町は第41代横綱千代の山と第58代横綱千代の富士の出生の里である。 ここには太鼓櫓があり、ふれ太鼓や相撲甚句が流れている。 横綱記念館の前では、右の千代の山と左の千代の富士が、土俵入りの姿で大歓迎してくれた。 展示パネルを見ながら、廊下状の道を歩いて、館内に入っていった。 ここは横綱…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その31 福島町で青函トンネル記念館を見学 

道の駅知内を出て松前街道(国道228号)を、江戸時代にゴールドラッシュで賑わった大千軒岳の山麓を通って、午後2時半過ぎに福島町に到着した。 福島町は青函トンネル工事の北海道側の基地、そして二大横綱(千代の山と千代の富士)出生の里として有名で、青函トンネル記念館と横綱記念館が建てられている。 まず、青函トンネル記念館に行ってみ…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その30 道の駅知内で餃子定食での昼食 

司馬遼太郎は「街道をゆく 北海道の諸道」の中では、トラピスト修道院は車内から見るだけで素通りしていたが、「20年前に修道院で出されたクッキーの旨かったこと」を、このあたりで書いていた。 そんなトラピスト修道院をあとに、すぐ近くにある男爵資料館に車で向かった。 予定では男爵資料館を見学後、隣にあるレストラン「龍杉創」で、じゃがいもスー…
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松前街道をゆく(2014年の旅) その28 函館の最後は、喫茶ひし伊でお茶

 青柳町の赤字エの場所に亀井勝一郎の文学碑があったので訪ねてみた。   文学碑周辺は小さな公園のようになっていて、きちんと手入れがされていた。  文学碑に近づいて見ると、こう書いてあった。  この文学碑は政財界の有志が呼び掛け、1969年に建立、日高産の名石に勝一郎の自筆である。 「人生邂逅し開眼し瞑目す」 人生は多くの出…
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