テーマ:「オホーツク街道」の旅

「オホーツク街道」の旅 その18 最北端の地碑まで歩いて2分、日本最北端の民宿に宿泊 

日本最北端の民宿だ〜      来て見ろ〜!  宗谷岬でも最北端にある「最北の宿」、最北端の地碑まで歩いて2分だ~。   民宿だけど外観がいいべ~。  最北の宿は、こんな感じでインターネット上で自己紹介している旅館である。  外観はなかなか素敵で、中の作りもまあGOODである。  最北の宿は去年も泊った。去年は1階の部屋で素泊まり35…
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「オホーツク街道」の旅 その17 宗谷丘陵の風景

 オンコロマナイ遺跡の丘の右端部から宗谷丘陵に上がる。  宗谷丘陵は、宗谷岬南部に広がる標高20メートルから400メートルまでのなだらかな丘陵地帯、北から南に向かい標高が高くなり、緩やかに起伏しているが、深い谷はほとんど存在しない。  地形は、地理学者・鈴木秀夫東大名誉教授により、2万年前の氷河期に形成されたものと確認され、周氷河地形…
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「オホーツク街道」の旅 その16  オンコロマナイ遺跡の前で草取りをして社会に貢献!!

 オンコロマナイ遺跡は実は去年行く予定にしていたのだが、例の台風15号の進路が気になって、早々に宗谷を逃げるように退散した心残りの場所である。  今年の旅は台風を避けての旅であり、ここまでは非常な好天に恵まれている。  インターネットでオンコロマナイ遺跡の情報をあらかじめ仕入れていたのだが、それでもすぐにはこの場所に着けなかった。  恩…
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「オホーツク街道」の旅 その15  泉靖一のオンコロマナイを目指す!!

 オホーツク街道の旅は、稚内北方記念館に別れを告げこれから宗谷岬へ向かう。  去年のオホーツク街道序章の旅では、司馬遼太郎のオホーツク街道を真似て抜海岬、野寒布岬、声問岬、宗谷岬の4箇所の岬を巡り、更に間宮林蔵渡樺の地にも立ち寄った。  今年のオホーツク街道の旅は去年立ち寄れなかったオンコロマナイ遺跡と宗谷丘陵に行こうと考えている。 …
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「オホーツク街道」の旅 その13 ギリヤクの揺藍について

4・ギリヤクにおける結婚と性関係の規準   省略 5.ギリヤクの婚資について   省略 6.ギリヤクの「理髪」について   省略 7.ギリヤクの揺藍について ギリヤクの女性は出産の時が近づくと,住居のそばにつくられた産小屋に移って子どもを産む。生まれた後は,両親は子どもの息災を願ってさまざまな儀礼を行なうが、とくに重要なものは火…
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「オホーツク街道」の旅 その12  間宮林蔵の見たギリヤクの性生活

3.性 生 活  林蔵はギリヤクの性生活が自由であり,女性が色気たっぷりであることを指摘している。たとえば,ギリヤクの女性は「其情蝦夷島女夷と大に異にして,相識ラさる人といへ共能馴泥し,言語通ぜざれば其云処瞭然ならずといへ共,時気寒暖の応接などなし,いかにも娩情妖態多ク,男子に接するのさま親意殊に深しと云」。この引用文の末尾に「と云」と…
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「オホーツク街道」の旅 その10 間宮林蔵の樺太や沿海州の旅のこと その1スメレンクルとは

 北方記念館には、間宮林蔵の樺太から沿海州への旅の記録が展示されていた。  彼の見た樺太は、村上貞助によって、「北夷分界余話」「東韃地方紀行」(3巻あり、林蔵の口述を貞助が編纂して挿図を入れたもの)としてまとめられ、1811年(文化8年)に幕府に提出された。  前者には樺太の地名や地勢、民俗が、後者には清国の仮府(一時的な役所)が置かれ…
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「オホーツク街道」の旅 その9 稚内市開基100年記念塔から稚内市を眺望する。

 明治12年7月1日、現宗谷に宗谷村を開村したのが稚内市の開基となる。  昭和24年に北海道で14番目の市政がひかれ、昭和53年7月1日をもって開基100年・市政施行30年を迎えた。  稚内公園の海抜170mの丘に、80mの開基100年記念塔を建設し、その1・2階を北方記念館として開館。  その100年記念塔に向かった。  80m(海…
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「オホーツク街道」の旅 その8 稚内の北防波堤ドーム(きたぼうはていドーム)

 稚内では最初に、北防波堤ドーム(きたぼうはていドーム)に行った。  北防波堤ドーム(きたぼうはていドーム)は、北海道稚内市の稚内港にある大型の防波堤である。  高さ約14メートル、長さ427メートル、古代ギリシア建築を彷彿とさせる70本のエンタシス状の柱列群が斬新な印象である。  北海道大学を卒業して3年の26歳で、稚内築港事務所に…
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「オホーツク街道」の旅 その7 イトウ釣りの初日

 今日の旅、6月26日(火)の旅の日程は以下のとおり。  去年の9月にも稚内に来たのだが、その時は台風15号に追われてのまことに不遇な旅だったので、見落とした場所が沢山出来た。  今年の旅はそれを補いながらの「オホーツク街道」の旅となる。  今日からの旅が事実上のスタートとなる旅で、昨日の鰊(ニシン)街道の旅は前座の旅。  去年も泊っ…
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「オホーツク街道」の旅 その6 天塩町到着、川口遺跡を見る!!

 苫前を過ぎてからはそう見所も無く、羽幌、初山別、遠別を通過し、今日の目的地である天塩町に、午後3時過ぎに到着した。  天塩町は去年の天塩川の旅で散策しているので特に見たいと思うところも無かったが、天塩川と併行して南北に細長く伸びる砂丘上に立地する川口遺跡だけは見てみたかったので、そこへ直行した。  遺跡は天塩市街から1.5㎞の天塩川河…
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「オホーツク街道」の旅 その5 世界最悪の獣害の町苫前にて昼食タイム!!

 昼食は手軽なコンビニ弁当を買って其の辺で食べようと考えた。  苫前まで来ていた。  苫前は世界最悪の獣害と言われた三毛別羆害事件のあったところである。  この事件は1915年(大正4年)12月9日~14日に、苫前町三毛別(さんけべつ、現在の地名は三渓)でヒグマが民家を襲撃した事件。 羆(ヒグマ)が数度にわたり民家を襲い、当時の開拓民7…
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「オホーツク街道」の旅 その4 小平町にて旧花田家番屋、三船遭難慰霊之碑を見る!!

 鰊漁で賑わった増毛町(ましけちょう)を通過する。  増毛は北海道北西部、留萌管内南部にある町で、町内には北海道遺産に選定されたレトロな建物が立ち並ぶ。 ボタンエビの漁獲高が日本一で、アマエビやたこなどの水揚げも多い。町名の由来はアイヌ語の「マシュキニ」「マシュケ」(カモメの多いところ)から。  留萌市(るもいし)を通過する。  留萌市…
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「オホーツク街道」の旅 その3 暑寒別川にて

天塩町まで走破後に分かることなのだが、ここから留萌までが鰊街道の一番の難所で、トンネルも多く、気の抜けない道となっていた。  カムイエト岬を過ぎたあたりで、レストランがあったので本格的な朝食(ラーメンですが、即席やカップのラーメンではない。)を食べた。  わかめがたっぷりと入っていて、チャーシュウの大きさも半端でなかった。 僕的には…
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「オホーツク街道」の旅 その2 「北海道三大秘岬」の雄冬岬へ

 翌6月25日(月)、新日本海フェリーの小樽港着岸後1時間ほど小樽フェリーターミナルで再度鰊街道経路を確認したりトイレに行ったり両替をしたりして過ごして、午前6時丁度に小樽フェリーターミナルを出発、鰊街道の旅が始まった。   今日の宿泊先は、鰊街道沿いの街で天塩川の河口部に位置する天塩町である。  僕の旅の中で、平成21年に石狩…
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「オホーツク街道」の旅 その1 カーフェリでのビッグプレゼント

 「司馬遼太郎とゆく10年の旅」、その最初の旅である「オホーツク街道」の旅は始まった。 6月24日の午前10時半に新潟港で新日本海フェリーに乗り、船中泊して翌日の午前4時半に小樽港に到着する。 6月25日は鯡街道を北上して、その日は天塩川の河口に開けた天塩町に宿泊する。 カーフェリーの旅は去年と一昨年に続いて今回は5回目となり、船内生活…
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