テーマ:「オホーツク街道」の旅

「オホーツク街道」の旅 その35 「謎の歴史大陸 オホーツク探検」完了!!

 網走での宿舎「旅館みゆき」にいる。  僕の「オホーツク街道の旅」のブログはこれが最後である。  「旅館みゆき」はそうとう古い建物で、歩くと床の沈む箇所が随所にあり、ここの夕食も総見栄えのしない普通の家庭料理で、小樽の北運河「かもめ屋」の食事を思い出した。この日でオホーツク人を求めての半分考古学者のような旅が終了となり、随分安心したせ…
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「オホーツク街道」の旅 その34 網走市立郷土博物館を訪ねて(この旅の主役に会う)

 オホーツク文化とオホーツク人を追い求めての「オホーツク街道の旅」も、網走市立郷土博物館の見学が最後となった。  この旅で一番見たかったモヨロ貝塚とモヨロ貝塚館については、インターネットからの資料で紹介ということになる。  ではまず、網走市立郷土博物館からである。  博物館は、昭和11年11月3日、当時の社団法人北見教育会が地方教育…
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「オホーツク街道」の旅 その33 北海道立北方民族博物館の見学

 次に、天都山の山麓にある北海道立北方民族博物館の見学である。  北方民族博物館は、北方地域に生活する民族の文化と歴史を研究し、あわせてひろく道民のこれら民族への理解を深めることを目的として1991(平成3)年2月10日、東部オホーツク海沿岸の網走市に開館した。  北方地域や北方民族を対象とする日本では唯一の、そして世界的にも少ない民…
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「オホーツク街道」の旅 その32 網走でオホーツク流氷館を見学

 ワッカ原生花園や常呂遺跡を見終わると、オホーツク街道の旅は終着駅の網走を残すのみとなる。 目的の旅はここで終わり、後の旅は付録となる。  網走にはアマチュアの考古学研究者米村喜男衛氏がその生涯を捧げたモヨロ貝塚とモヨロ貝塚館があるが、あいにくこの旅の間は貝塚の修復作業期間ということで、見学することが出来なかった。この旅最大の遺跡であり…
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「オホーツク街道」の旅 その31 常呂遺跡を訪ねる

 ワッカ原生花園の傍には、常呂遺跡がある。  オホーツク海をのぞむ海岸に沿って常呂川の河口からサロマ湖西岸へと続く幅約300メートル、長さ約2.7キロメートルの砂丘上に立地し、2,000基以上の竪穴住居跡および墳墓と推定される多数の小形の竪穴状遺構がある。  僕はワッカネイチャーセンターから目と鼻の先にある「ところ遺跡の森」を訪ねた…
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「オホーツク街道」の旅 その30 ワッカ原生花園にて

 6月29日(金)、今日最初の目的地はワッカ原生花園、オホーツク海とサロマ湖を隔てる砂州上に位置する。  まず、ワッカ原生花園を探勝するためのセンターハウスである、ワッカネイチャーセンターへ行った。  「ワッカ」とは、アイヌ語で「ワッカ・オ・イ(=水が・ある・ところ)」という意味で、砂州の中ほどに真水の湧く沼があったことに由来して…
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「オホーツク街道」の旅 その29  氷海展望塔オホーツクタワーの見学

 さて、いよいよ氷海展望塔オホーツクタワーの見学である。  紋別港の南東の端、紋別港第3防波堤、通称クリオネプロムナードを500mほど歩くと、海に突き出たスロープを登った先に氷海展望塔オホーツクタワーがある。  オホーツクタワーは海上38.5m、海底7.5mの世界初の氷海海中展望塔で、海上からの展望だけでなく海中からもオホーツク海を眺…
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「オホーツク街道」の旅 その28 紋別で、流氷の天使「クリオネ」と対面する。

 オムサロ遺跡から次の目的地である紋別市のオホーツクタワー近辺へは距離にして15km程度、国道238号線を20分程度走行して、そこに到着した。  紋別市は明日行く予定の網走市と並んで、冬の流氷観光の拠点となっている街である。  オホーツク海の流氷は、サハリン北東部の海で生まれ北海道まで流れてきたロシア生まれの舶来流氷と、1月下旬頃に…
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「オホーツク街道」の旅 その27 植物研究家の米原ふさ子さんに案内されてオムサロ遺跡を見学

 オムサロ原生花園の国道を挟んだ反対側に、北海道指定史跡「オムサロ台地竪穴群」の一画に整備されているオムサロ遺跡公園がある。  標高10mから15mのオムサロ台地には、縄文早期から続縄文、オホーツク文化、擦文、そしてアイヌ時代と、各時代の生活の痕跡が途切れることなく残っており、その期間は何と約1万年と考えられている。  公園内に入る坂…
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「オホーツク街道」の旅 その26 今日の昼食は、「韃靼コロッケそば」

 枝幸に別れを告げ、オホーツク国道を南東に下っていく。  海はどこまでも青く、森は深い緑の中、今は北海道の自然が黙っていても笑いかけて来るような季節である。  雄武町に入ってまもなく、幌内川を通り過ぎた。この川の上流には北見山地が広がり、明治・大正の頃は上流のほとんどの場所から砂金がとれたという。  ここから網走までは164…
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「オホーツク街道」の旅 その25  「オホーツクの物語」が学べるオホーツクミュージアムえさし

 目梨泊から枝幸町に戻り、オホーツクミュージアムえさしを目指す。  宿泊先の大崎旅館が地図真ん中右手に記載されている梅ケ枝町、目指すオホーツクミュージアムえさしは地図の真ん中左手にある。  ここでは町内の遺跡から発掘された住居跡や出土品を基に、復元したオホーツク期の原寸大の竪穴式住居を中心に、オホーツク海と流氷、オホーツクに生きる動物…
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「オホーツク街道」の旅 その24 目梨泊遺跡を訪ねる!!

 6月28日(木)の朝となった。  今日から釣師の顔は捨て、考古学者の顔でオホーツク街道を歩くことになる。 大崎旅館でしっかりと朝飯を食べ、午前8時には旅館を出て、今日の最初の目的地となる目梨泊遺跡に向かった。  旅館から目梨泊までは15kmほどの距離、車で20分も行けば十分つけると考えていたが、神威岬の直前まで行っても、どこにも目梨泊…
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「オホーツク街道」の旅 その23 毛がにの漁獲高日本一の町でちょっぴり贅沢な夕食

 3時頃にこの近くのコンビニで、306円でカレーパンとハムを買い、クッチャロ湖畔の白鳥の舎前でコーヒーを沸かし、遅い昼食とした。  湖は逆光の時間となっていて、太陽光が薄いレンブラント光線のようにクッチャロ湖に注いでいた。  今日はイトウ釣りの日としたので、明治中期に金の採掘で賑わったことがあるウソタンナイ砂金採掘公園とかこのあたり…
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「オホーツク街道」の旅 その18 最北端の地碑まで歩いて2分、日本最北端の民宿に宿泊 

日本最北端の民宿だ〜      来て見ろ〜!  宗谷岬でも最北端にある「最北の宿」、最北端の地碑まで歩いて2分だ~。   民宿だけど外観がいいべ~。  最北の宿は、こんな感じでインターネット上で自己紹介している旅館である。  外観はなかなか素敵で、中の作りもまあGOODである。  最北の宿は去年も泊った。去年は1階の部屋で素泊まり35…
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「オホーツク街道」の旅 その17 宗谷丘陵の風景

 オンコロマナイ遺跡の丘の右端部から宗谷丘陵に上がる。  宗谷丘陵は、宗谷岬南部に広がる標高20メートルから400メートルまでのなだらかな丘陵地帯、北から南に向かい標高が高くなり、緩やかに起伏しているが、深い谷はほとんど存在しない。  地形は、地理学者・鈴木秀夫東大名誉教授により、2万年前の氷河期に形成されたものと確認され、周氷河地形…
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「オホーツク街道」の旅 その16  オンコロマナイ遺跡の前で草取りをして社会に貢献!!

 オンコロマナイ遺跡は実は去年行く予定にしていたのだが、例の台風15号の進路が気になって、早々に宗谷を逃げるように退散した心残りの場所である。  今年の旅は台風を避けての旅であり、ここまでは非常な好天に恵まれている。  インターネットでオンコロマナイ遺跡の情報をあらかじめ仕入れていたのだが、それでもすぐにはこの場所に着けなかった。  恩…
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「オホーツク街道」の旅 その15  泉靖一のオンコロマナイを目指す!!

 オホーツク街道の旅は、稚内北方記念館に別れを告げこれから宗谷岬へ向かう。  去年のオホーツク街道序章の旅では、司馬遼太郎のオホーツク街道を真似て抜海岬、野寒布岬、声問岬、宗谷岬の4箇所の岬を巡り、更に間宮林蔵渡樺の地にも立ち寄った。  今年のオホーツク街道の旅は去年立ち寄れなかったオンコロマナイ遺跡と宗谷丘陵に行こうと考えている。 …
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「オホーツク街道」の旅 その13 ギリヤクの揺藍について

4・ギリヤクにおける結婚と性関係の規準   省略 5.ギリヤクの婚資について   省略 6.ギリヤクの「理髪」について   省略 7.ギリヤクの揺藍について ギリヤクの女性は出産の時が近づくと,住居のそばにつくられた産小屋に移って子どもを産む。生まれた後は,両親は子どもの息災を願ってさまざまな儀礼を行なうが、とくに重要なものは火…
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「オホーツク街道」の旅 その12  間宮林蔵の見たギリヤクの性生活

3.性 生 活  林蔵はギリヤクの性生活が自由であり,女性が色気たっぷりであることを指摘している。たとえば,ギリヤクの女性は「其情蝦夷島女夷と大に異にして,相識ラさる人といへ共能馴泥し,言語通ぜざれば其云処瞭然ならずといへ共,時気寒暖の応接などなし,いかにも娩情妖態多ク,男子に接するのさま親意殊に深しと云」。この引用文の末尾に「と云」と…
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「オホーツク街道」の旅 その10 間宮林蔵の樺太や沿海州の旅のこと その1スメレンクルとは

 北方記念館には、間宮林蔵の樺太から沿海州への旅の記録が展示されていた。  彼の見た樺太は、村上貞助によって、「北夷分界余話」「東韃地方紀行」(3巻あり、林蔵の口述を貞助が編纂して挿図を入れたもの)としてまとめられ、1811年(文化8年)に幕府に提出された。  前者には樺太の地名や地勢、民俗が、後者には清国の仮府(一時的な役所)が置かれ…
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「オホーツク街道」の旅 その9 稚内市開基100年記念塔から稚内市を眺望する。

 明治12年7月1日、現宗谷に宗谷村を開村したのが稚内市の開基となる。  昭和24年に北海道で14番目の市政がひかれ、昭和53年7月1日をもって開基100年・市政施行30年を迎えた。  稚内公園の海抜170mの丘に、80mの開基100年記念塔を建設し、その1・2階を北方記念館として開館。  その100年記念塔に向かった。  80m(海…
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「オホーツク街道」の旅 その8 稚内の北防波堤ドーム(きたぼうはていドーム)

 稚内では最初に、北防波堤ドーム(きたぼうはていドーム)に行った。  北防波堤ドーム(きたぼうはていドーム)は、北海道稚内市の稚内港にある大型の防波堤である。  高さ約14メートル、長さ427メートル、古代ギリシア建築を彷彿とさせる70本のエンタシス状の柱列群が斬新な印象である。  北海道大学を卒業して3年の26歳で、稚内築港事務所に…
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「オホーツク街道」の旅 その7 イトウ釣りの初日

 今日の旅、6月26日(火)の旅の日程は以下のとおり。  去年の9月にも稚内に来たのだが、その時は台風15号に追われてのまことに不遇な旅だったので、見落とした場所が沢山出来た。  今年の旅はそれを補いながらの「オホーツク街道」の旅となる。  今日からの旅が事実上のスタートとなる旅で、昨日の鰊(ニシン)街道の旅は前座の旅。  去年も泊っ…
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「オホーツク街道」の旅 その6 天塩町到着、川口遺跡を見る!!

 苫前を過ぎてからはそう見所も無く、羽幌、初山別、遠別を通過し、今日の目的地である天塩町に、午後3時過ぎに到着した。  天塩町は去年の天塩川の旅で散策しているので特に見たいと思うところも無かったが、天塩川と併行して南北に細長く伸びる砂丘上に立地する川口遺跡だけは見てみたかったので、そこへ直行した。  遺跡は天塩市街から1.5㎞の天塩川河…
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「オホーツク街道」の旅 その5 世界最悪の獣害の町苫前にて昼食タイム!!

 昼食は手軽なコンビニ弁当を買って其の辺で食べようと考えた。  苫前まで来ていた。  苫前は世界最悪の獣害と言われた三毛別羆害事件のあったところである。  この事件は1915年(大正4年)12月9日~14日に、苫前町三毛別(さんけべつ、現在の地名は三渓)でヒグマが民家を襲撃した事件。 羆(ヒグマ)が数度にわたり民家を襲い、当時の開拓民7…
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「オホーツク街道」の旅 その4 小平町にて旧花田家番屋、三船遭難慰霊之碑を見る!!

 鰊漁で賑わった増毛町(ましけちょう)を通過する。  増毛は北海道北西部、留萌管内南部にある町で、町内には北海道遺産に選定されたレトロな建物が立ち並ぶ。 ボタンエビの漁獲高が日本一で、アマエビやたこなどの水揚げも多い。町名の由来はアイヌ語の「マシュキニ」「マシュケ」(カモメの多いところ)から。  留萌市(るもいし)を通過する。  留萌市…
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「オホーツク街道」の旅 その3 暑寒別川にて

天塩町まで走破後に分かることなのだが、ここから留萌までが鰊街道の一番の難所で、トンネルも多く、気の抜けない道となっていた。  カムイエト岬を過ぎたあたりで、レストランがあったので本格的な朝食(ラーメンですが、即席やカップのラーメンではない。)を食べた。  わかめがたっぷりと入っていて、チャーシュウの大きさも半端でなかった。 僕的には…
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「オホーツク街道」の旅 その2 「北海道三大秘岬」の雄冬岬へ

 翌6月25日(月)、新日本海フェリーの小樽港着岸後1時間ほど小樽フェリーターミナルで再度鰊街道経路を確認したりトイレに行ったり両替をしたりして過ごして、午前6時丁度に小樽フェリーターミナルを出発、鰊街道の旅が始まった。   今日の宿泊先は、鰊街道沿いの街で天塩川の河口部に位置する天塩町である。  僕の旅の中で、平成21年に石狩…
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「オホーツク街道」の旅 その1 カーフェリでのビッグプレゼント

 「司馬遼太郎とゆく10年の旅」、その最初の旅である「オホーツク街道」の旅は始まった。 6月24日の午前10時半に新潟港で新日本海フェリーに乗り、船中泊して翌日の午前4時半に小樽港に到着する。 6月25日は鯡街道を北上して、その日は天塩川の河口に開けた天塩町に宿泊する。 カーフェリーの旅は去年と一昨年に続いて今回は5回目となり、船内生活…
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