テーマ:津軽街道をゆく

津軽街道をゆく(2013年の旅) その25 亀ケ岡遺跡

亀ヶ岡遺跡は、青森県つがる市にある縄文時代晩期の集落遺跡。 例の遮光器土偶(シャコチャン)が出土した遺跡として知られ、1944年(昭和19年)6月26日に国の史跡に指定されている。  田小屋遺跡との位置関係は隣同士で、赤字1の位置から亀ケ岡遺跡が出土した。 これからの日程は、赤字1の亀ケ岡遺跡を見て、それから赤字2の縄文館(木…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その24  田小屋野貝塚まで

平成25年9月29日(日)、津軽街道の旅4日目の日程は、もう少し手を抜けば良かったと思える程の過密スケジュールである。  赤○印の金木町を発つと、赤1の亀ケ岡遺跡に向かった。 以下、番号順に下記のように見学した。 1亀ケ岡遺跡-2縄文館-3十三港(安東氏遺跡見学)-4小泊(太宰治とたけの思い出の場所散策)-5龍飛岬(階…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その23 太宰治疎開の家を見学 

太宰治の生まれ育った金木町の旅も最後となる。   津軽三味線の音が耳に残っている中で、黄星印の津軽三味線会館から、金木町での太宰治の最後のゆかりの場所である赤星印の旧津島家新座敷(太宰治疎開の家)まで、赤矢印の道を通って歩いた。 ここは、大正11年(1922年)に太宰の兄文治夫婦の新居として建てられた津島家の離れで、現在地…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その22 津軽三味線を体験 

芦野公園を後に、1時半からの津軽三味線の生演奏に間に合うように、少し急ぎ足で津軽三味線会館(斜陽館前)に向かった。  ここで、午後1時半から2時までの30分間、津軽三味線の生演奏を聞いた。  演奏者は津軽三味線まんじ流家元の「工藤まんじ」氏である。 「工藤まんじ」氏は津軽三味線の世界では有名な方らしく、その活動歴ではエレキ…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その21 芦野公園で太宰と遭遇

激馬かなぎカレーの昼食の後は、1時半からの津軽三味線会館(斜陽館前)での生演奏までの時間、芦野公園を散策することにした。  津軽鉄道の踏切を越え、道なりに芦野公園の中を散策して行く。 黄色で囲った津軽三味線発祥の地碑、太宰治像、太宰治文学碑の順に見学した。 まず、津軽三味線発祥の地碑である。 津軽三味線創始者の神…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その20 喫茶店「駅舎」で昼食タイム

芦野公園駅に到着である。 太宰治の小説『津軽』の中で、金木町の町長が上野駅で芦野公園駅までの連絡乗車券を購入しようとした所、出札係員に「そんな駅はない」と言われ激昂し、押し問答の末とうとう発券させたというエピソードが紹介されている田舎の小さな無人駅である。  小説「津軽」の中ではこんな名場面が登場する。 「窓から首を出してその…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その19  「太宰治思ひ出広場」や「明治高等小学校跡」を歩く

斜陽館の見学後は、黄色いだ円で囲んだ「太宰治思ひ出広場」や「明治高等小学校跡」や芦野公園駅に立ち寄りながら、昼食場所となる「喫茶店駅舎」に向かった。 赤線の道をのんびり歩きながら辿っていく。 最初は「太宰治思ひ出広場」である。 金木小学校に通学する子供たちのかよう道、通称「学校通り」の一角に平成10年3月に造られた。 左…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その18 太宰治の生家「斜陽館」を見学

それではこれから、太宰治の生まれ育った五所川原市金木町へ向かう。  木造から金木町の斜陽館(黒字Aの場所)までは約20km程、時間にして40分位かかった。 金木斜陽館前には10時半に着いた。 ここでの日程だが、まず斜陽館を見学、それから芦野公園近隣を散策、昼食は旧芦野公園驛を使って営業している喫茶店「驛舎」で激馬カレーをいただ…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その17 木造駅で「張り付きシャコちゃん」に出会う  

つがるし縄文住居資料館カルコから黒字Aの五能線JR木造駅まで歩いて行くことにした。 木造駅舎には亀ケ岡遺跡から出土したシャコちゃんの巨大モニュメントが駅舎の表玄関を飾っているという。 司馬遼太郎もこの駅舎を見て度肝を抜かれたというようなことを「北のまほろば」に書いていた。  その巨大シャコちゃんに会いにいくのに簡単に車でという…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その16  「つがるし縄文住居資料館カルコ」を見学

9月28日(土)、津軽街道の旅の3日目が始まった。 今日の日程は、まず「つがるし縄文住居資料館カルコ」を見学、併せてその近くのJR木造驛舎を見学、その後太宰治の生家のある金木町へ向かい、太宰治斜陽記念館など金木町にある太宰治関連の史跡等を一日探訪。  上の写真は「つがるし縄文住居資料館カルコ」へ向かう途中で、津軽平野の一角から見…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その15 鰺ヶ沢の駅前旅館「尾野旅館」にて

尾野旅館は鰺ヶ沢駅前にあった。 ナビが役に立たず、携帯で直接尾野旅館に電話して、位置の概要を確認してようやく到着した。 到着してみれば、何のことはない、尾野旅館は古くはあるが普通の駅前旅館だった。  この尾野旅館で夕食までの間、司馬遼太郎の街道をゆく「北のまほろば」の鰺ヶ沢の章を読みながら、江戸時代の鰺ヶ沢の景色を空想…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その13  鰺ヶ沢のヒーロー「舞の海」に会う

鰺ヶ沢は人口1万程の西津軽の町である。ところでこの町のスターだが、小結まで上り詰めた170cmの小さな巨人「舞の海」と薬師丸ひろこ主演の映画わさおで有名になった鰺ヶ沢のアイドル犬「わさお」である。まず、小さな巨人「舞の海」に会いに、「海の駅わんど」という道の駅の類似施設に向かった。   ここの1階は、鮮魚や水産加工品、農産物、土産…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その12 いか焼き村、千畳敷そして鰺ヶ沢へ

深浦を過ぎ、五能線沿いを道なりに、国道101号線を北上していく。しばらく行くと、道の駅ふかうら「風合瀬(かそせ)いか焼き村」という名称の道の駅があったので、そこで小休止した。  ここは東北でちょうど100番目に誕生した道の駅で、名物の生干しイカや新鮮な魚、さざえ、地元で取れた新鮮野菜や浜の「かっちゃ」が作る海産物加工品などを販売し…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その11 太宰の宿「ふかうら文学館」にて

深浦町の散策の次の目的地は秋田屋旅館である。秋田屋旅館は、今はふかうら文学館として一般公開されている。 文学館へ向かって、太宰が「何かあきらめた、底落ち着きに落ち着いている」とその印象を書いていた深浦町の1本路を歩いていく。落ち着いてはいるが、前に歩いたことがあるような懐かしさを感じさせてくれる静かな北のまほろばの湊街であ…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その10 円覚寺薬師堂を訪れる

それでは、深浦町の散策である。   赤地に白文字で表記された箇所が、深浦で太宰治が訪れた場所である。円覚寺、料亭二葉、秋田屋旅館、元郵便局、海辺、元灯台である。 まず、円覚寺である。太宰は円覚寺訪問をこう書いている。駅から真っ直ぐに一本道をとおって、町のはずれに、円覚寺の仁王門がある。この寺の薬師堂は、国宝に指定されているという…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その9 深浦の かまど屋でそばを食う

深浦には昼頃に到着した。まず、飯を食べ、それから深浦の街を歩こうと考えた。真言宗のお寺である円覚寺(えんがくじ)の前の広いスペースに車を停めた。 適当な食堂を探したが見当たらなかったので、車を停めた円覚寺前に戻って来た。円覚寺前には「かまど屋」というそば屋があった。 最初目に付いた食堂で、結局昼食となった。無…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その8 深浦まで

黄金崎不老不死温泉の次は深浦である。五能線の「18ウェスパ椿山駅」から車で5分のところにある温泉から深浦までは、五能線で「19艫作駅(へなしえき)」、「20横磯駅(よこいそえき)」、「21深浦駅(ふかうらえき)」となり、三つ目の駅となる。 ここからは、津軽人「太宰治」が、僕の旅に加わることになる。太宰治はあまりに有名な小説家なので、彼…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その7 黄金崎不老不死温泉に行く その2

鉄さび色の内風呂を上がり、シャワーを使ってたっぷり鉄分に浸かった全身の皮膚を良く洗い流し、タオルでしっかり水分を拭き取り、下着から上着まで順に衣類を着る。 そして、ようやく目的の露天風呂に向かって歩き出した。  海辺の露天風呂まで、真っ直ぐな道が続いている。 ここの露天風呂は風呂に浸かりながら海に沈む夕陽が眺められるの…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その7 黄金崎不老不死温泉に行く その1

十二湖の次は赤字1の黄金崎不老不死温泉、その次に赤字2の太宰治の待つ深浦である。まず、黄金崎不老不死温泉を目指した。 黄金崎不老不死温泉(こがねさきふろうふしおんせん)は、青森県西津軽郡深浦町舮作にある温泉。日本経済新聞で連載されて選定された日本百名湯の中には入っていない。ここに選ばれているのはそうそうたる温泉ばかりで、青森県…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その6 十二湖「青池」への道その2

キョロロでアイスを買い、それを食べながら⑨鶏頭場の池の脇の道を進んだ。青池はこの池の奥の、森の中にあった。青池を見学するため、手すり付きの木製の遊歩道が設置されており、遊歩道をいくらも歩かないで、青池の看板が設置されている見学地点に到着した。 青池は十二湖の中でも最も奥にあり、そこは十二湖駅から5.3km離れた森の中。 …
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その5 十二湖「青池」への道その1

日本キャニオン制覇の次は十二湖の「青池」制覇を目指す。 八景の池からスタートし、②二つ目の池、③王池西湖、④王池東湖、⑤越口の池、⑥中の池、⑦落口の池、⑧がま池、⑨鶏頭場の池、そして最終目的地となる⑩青池へ到達。 十二湖を構成するこれらの湖は、1704年の能代地震による崩山(くずれやま、標高939.9m)の崩壊で塞き止め…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その4 日本キャニオンを探検

 今日の旅、それは2013年9月27日(金)の旅のことだが、「五能線沿線の旅」となる。 最初の目的地は12湖である。 五能線沿いの国道101号線を午前9時半頃には十二湖(じゅうにこ)の入口に到着した。十二湖(じゅうにこ)は青森県西津軽郡深浦町にある複数の湖の総称で、白神山地の一角にあり、そこは津軽国定公園内となる。 この案…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その3 「北のまほろば」をゆく前に3冊の参考書紹介

 「津軽街道をゆく旅」は去年の「オホーツク街道をゆく旅」と同じで、引き続き司馬遼太郎の名著「街道をゆく」を参考書としての旅となる。  司馬遼太郎の街道をゆくシリーズで、津軽街道というネーミングの旅は無いが、青森県を旅した紀行書は「北のまほろば」というネーミングとなっている。  司馬は青森県を津軽藩と南部藩に分類して、それ…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その2 能代から五能線沿線へ

 能代のホテルニューグリーンは快適なビジネスホテルだった。 1泊朝食付きで4,900円のシングルルームで頼んだのだが、部屋には邪魔にならない配置でベッドが3個も入っているトリプルルームで、どのベッドで寝ようか困った。  結局真ん中のベッドで寝たのだが、寝心地も良かった。 夕食は頼んでなかったが、外に出て食べる気も全…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その1 往路は 能代まで381.8km

 津軽街道の旅は、当初思っていた以上に見所の多い旅となった。 11泊12日の旅の間に撮影した写真は1000枚を軽く超え、デジカメに収録したビデオカメラ撮影時間も45分程度となった。  津軽街道の旅は青森県に入ってからということで、新潟から山形そして秋田の能代までの往路は簡単な記録と数枚の写真で記載することとする。 2013年9月26…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) プロローグ

司馬遼太郎の「街道をゆく」は、司馬遼太郎自身が「もし自分の仕事の中で後世にまで読み続けられるものがあるとすれば、それは街道をゆくになるのだろう」と語っていたという程のもので、唯の旅行記ではない。「街道・みち」に視点を傾けることで日本そして世界の歴史を展望、最終的には「日本とは何か、日本人とは何者か」という司馬遼太郎の永遠のテーマを自らの…
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