テーマ:津軽街道をゆく

津軽街道をゆく(2013年の旅) その49 「ねぶたの家 ワ・ラッセ」を見学 

続いて、赤字Ⅱの青森市の文化観光の拠点である「ねぶたの家 ワ・ラッセ」を見学する。 ねぶたの家ワ・ラッセは、青森市の文化観光交流施設で、青森ねぶた祭りの保存伝承を主な目的とする観光施設。 祭りは毎年8月2〜7日に開催される。 奈良時代に中国から伝来した七夕祭りと、津軽伝統の精霊流しが融合して誕生したとされ、巨大なねぶた(歴史的な物…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その48 八甲田丸を見学 

棟方志功の展示作品も常設されていたが、棟方志功については後ほど見学する記念館で紹介することとして、一先ず青森県立美術館を離れて、青森市内中心部に向かった。 これから、赤字Ⅰの青函連絡船80年の歴史を展示する八甲田丸と、赤字Ⅱの青森市の文化観光の拠点である「ねぶたの家 ワ・ラッセ」を見学、その後赤字Ⅲの棟方志功記念館に入る予定である…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その47 縄文時遊館で昼食、その後青森県立美術館に 

ボランティアガイドの案内がすべて終わった。 僕は今、六本柱の建物から20m程離れた場所にいて、司馬遼太郎の「北のまほろば」を思い出しながら、六本柱の建物に見とれている。 司馬はこの六本柱の建物(高楼)を現場で見てこう想像する。 人々は、丸木舟に乗って、海で漁をする。おえると、この高楼をめざして帰ってきたのにちがいない。 夜、…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その46 三内丸山遺跡のシンボルを見学

三内丸山遺跡の見学も残すところ僅か、大型掘立柱建物跡→大型掘立柱建物(復元)→復元大型住居と見て回ると終わりである。 僕らは小学生の後について、大型掘立柱建物(復元)を見ながら、大型掘立柱建物跡に向かう。 大型掘立柱建物跡は建家の中にあり、直径が約2m、深さ約2mの柱穴が3個ずつ2列に配置されていた。 穴の中には直径約1m…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その45 三内丸山遺跡の子供の墓まで 

南盛土の次は復元住居である。 縄文時代の住居は地面を掘り込んで床を造った竪穴住居で中央には炉がある。 三内丸山遺跡では縄文の家を県民の手で復元する取り込みが行われている。 縄文の家づくり体験と銘打って、今年は平成25年6月18日から11月9日まで復元作業が行われている。 説明者の話では、夏休みの小学生が復元作業に参加すること…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その44 三内丸山遺跡の南盛土まで 

ボランティアガイドの案内コースである。 【時遊トンネル → 環状配石墓 → 南盛土 → 復元住居 → 復元掘立柱建物 → 大人の墓 → 北の谷 → 北盛土 → 子どもの墓 → 大型掘立柱建物跡 → 大型掘立柱建物(復元) → 復元大型住居】のようにまわる。 案内コースに出る前に、縄文時遊館で今から約5500年前~4000…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その43 三内丸山遺跡に到着  

津軽街道の旅も後半戦に入っていく。 6日目となった旅の日程である。 午前7時半にむつグリーンホテルを出発した。 これから青森の三内丸山遺跡を目指して、下北半島の陸奥湾に面した菜の花ロードを走っていく。 黄星印がむつグリーンホテル、三内丸山遺跡は写真左下の黄矢印の地点である。 100km程の道のり…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その42  斗南開発の館「徳玄寺に」て(k)

田名部の街は静かに雨が降り続いていた。 写真撮影などもするので、傘をさして街を歩くことは旅行当初から考えていず、この旅行で最初で最後となった、オレンジ色のポンチョを頭から被っての田名部見学となった。 さすが斗南藩庁が置かれただけのことはあって、円通寺の敷地は広大で、本堂も立派だった。 円通寺の次に、隣に位置している徳玄寺を…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その41 斗南藩ゆかりの田名部に直行 

大間を出発したのは午後2時頃で、行き先は尻屋崎である。  尻屋崎は赤字1の場所、そこに尻屋崎灯台もある。 この灯台は尻屋崎の突端に立つ白亜の灯台で、日本の灯台50選にも選ばれていて、周辺には寒立馬(かんだちめ)と呼ばれる馬が放牧されているという。 しかし、下風呂温泉を過ぎたあたりから雨が降りだし、そこから10kmも行かない間に…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その40 大間崎を歩く 

大間崎は青森県下北郡大間町にある本州最北端の岬である。 北緯41度33分、東経140度54分、対岸に位置する北海道の汐首岬との間は僅か18kmで、本州・北海道間の最短地点。 「まぐろだけ丼」を完食すると、さっそく大間岬に繰り出した。  大間崎にも龍飛岬よりは狭い範囲だが、龍飛同様に様々なモニュメントや石碑が建っていた。  写…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その39 大間で「まぐろだけ丼」の昼食

下北半島2番目の目的地は、大間岬である。  大間で民宿兼食堂を営んでいる海峡荘で、噂の「まぐろだけ丼」を昼食に食べるのが目的である。  黄矢印の道をたどり、トイレ休憩くらいを途中でとりながら、ひたすら赤字2の大間を目指して車を走らせる。  途中工事中の箇所や一部舗装されてない箇所があったが、ほぼ順調に車を進めて行く。 …
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その38  松前氏の先祖が住んでいた蠣崎に行く

脇野沢港に上陸するとまず、蠣崎を目指した。 司馬遼太郎の「北のまほろば」に、蠣崎のことが書いてあった。 北海道における唯一の藩である松前藩の松前氏が、もとはここ(蠣崎)に居て、蠣崎と称したり、武田と称したりしていた。 安東氏の十三湊と同じ程度に、松前氏の先祖が住んでいた蠣崎に行ってみたかった。  今日は下北半島のほぼ外周を廻…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その37 フェリー「かもしか」で下北半島へ 

フェリー「かもしか」は蟹田と脇野沢の間を1時間で航行する。 2013年の時刻表を見てみる。  9月30日(月)のことなので、赤四角で囲った第1便が僕の搭乗する便で、料金は9,530円となっていた。  それでは津軽半島の蟹田に別れを告げ、下北半島の脇野沢へ向かって1時間の船旅の始まりである。 蟹田は風の街の名に相応しく、か…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その36 太宰の先導で、蟹田の町を歩く 

小説「津軽」の第2章は蟹田だが、その中で観瀾山からの風景はこう書かれている。 その山は、蟹田の町はづれにあつて、高さが百メートルも無いほどの小山なのである。けれども、この山からの見はらしは、悪くなかつた。 その日は、まぶしいくらゐの上天気で、風は少しも無く、青森湾の向うに夏泊岬が見え、また、平館海峡をへだてて下北半島が、すぐ真近…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その35  蟹田の最初は問題の碑文のある観瀾山に行く 

蟹田到着は午前8時前だった。  今日は旅の5日目、日程はこうなっている。 津軽半島に別れを告げ、フェリーで陸奥湾を横断、脇野沢に到着、今日の旅の大半は下北半島となる。 脇野沢行のフェリー「かもしか」は、午前9時20分に蟹田港を出港する。 フェリー乗り場で乗船手続きを早めに済ませたので、集合時間まで小説「津軽」で太宰治と同…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その34 もう一つの松前街道を蟹田まで

午後3時20分に、今夜の宿である青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩中浜にある龍飛旅館に到着した。  明日、津軽半島の外ヶ浜町字蟹田から陸奥湾を横断するフェリーに乗り、下北半島のむつ市脇野沢に渡る計画を立てているので、そのフェリーに乗るための用意周到な準備をしたかった。 宿の主人やお客さんに明日の日程を説明し、アドバイスをいただき、ベス…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その33  龍飛崎を見学

9月29日(日)、赤字1から赤字4と旅を続け、竜泊ラインを進み、津軽街道の旅4日目の最後の目的地である赤字5の龍飛崎にようやく到着した。  午後2時頃のことである。 龍飛崎(たっぴざき、竜飛岬とも表記)は、青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜にある、津軽半島の最北端、津軽海峡に突き出た岬である。  龍飛崎は見所が山ほどの観光場所…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その32  眺瞰台展望台で竜飛岬を遠望

 小泊を離れて、龍飛岬へ向かって車を北上させているが、道の駅「こどまり」で昼食タイムとした。   何を食べるかいろいろ迷ったが、夕食は旅館でご馳走となるので、昼は軽めにすまそうと、600円のカレーを食べた。  カレーを食べ終えるとすぐに出発、道は海岸から山道となり、右に左にハンドルを切る作業が忙しくなってくる。  この道は竜泊…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その31 「太宰とたけ再開の道」 を歩く

越野タケと太宰治が再会した小泊の街を少し歩きたかった。 タケの婚家の越野金物店跡や太宰が越野家のことを聞きに行った”筋向ひの煙草屋”さんを探して行ってみたかった。 だが時間的な制約もあり、二人が再開を果たした運動会が行われていた運動場と、タケに誘われて行った竜神様だけにした。 小説『津軽』の像記念館」のすぐ下に、再会した小泊小学校…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その30 小泊で小説「津軽」の像記念館を見学

福島城址を出たのは午前11時半頃、国道339号(青森県弘前市から東津軽郡外ヶ浜町に至る一般国道)を小泊に向かって北上する。  地図上では赤字3が十三湖、赤字4が目指す小泊である。 現時点で、1亀ケ岡遺跡-2縄文館-3十三港(安東氏遺跡見学)と見学完了し、午後からは4小泊(太宰治とたけの思い出の場所散策)と5龍飛岬(階段国道、津軽…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その29  幻の中世都市十三湊 その3 福島城跡の見学

最後に赤字4の福島城跡の見学である。 福島城跡は十三湖の北岸に面する標高約20メートルの台地上にある。 面積は約62万5000平方メートルで、外郭とその中にある内郭で構成される。 外郭は一辺が約1キロメートルの三角形をしており、土塁と外堀が残っている。  平安時代後期の10世紀後半に築かれたとみられる。 外郭は擦文文化人が…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その28  幻の中世都市十三湊 その2 湊神社と唐川城 

続いて、赤字2の湊神社(この近くに安東氏時代の船の出入口である水戸口があった。)の見学である。  車を前潟沿いに走らせ、湊神社前に停車した。 古い神社だが、しっかりと鳥居も立っていた。 鳥居の右側に案内看板が設置されていたので、近くに寄ってみる。   浜の明神遺跡という看板が設置されていて、浜の明神(湊明神宮)が中世の安…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その27  幻の中世都市十三湊 その1

十三湊(とさみなと)と聞くだけで、心トキめくところがある。 十三湊(とさみなと)は日本の中世から近世にかけて、青森県五所川原市の十三湖の辺りにあった湊で、近世以降、「じゅうさんみなと」と呼ばれるようになった。 天然の良港のため、鎌倉時代後期には豪族安東氏の本拠地として北海道のアイヌと和人との間の重要交易拠点となった。 また、『…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その25 亀ケ岡遺跡

亀ヶ岡遺跡は、青森県つがる市にある縄文時代晩期の集落遺跡。 例の遮光器土偶(シャコチャン)が出土した遺跡として知られ、1944年(昭和19年)6月26日に国の史跡に指定されている。  田小屋遺跡との位置関係は隣同士で、赤字1の位置から亀ケ岡遺跡が出土した。 これからの日程は、赤字1の亀ケ岡遺跡を見て、それから赤字2の縄文館(木…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その24  田小屋野貝塚まで

平成25年9月29日(日)、津軽街道の旅4日目の日程は、もう少し手を抜けば良かったと思える程の過密スケジュールである。  赤○印の金木町を発つと、赤1の亀ケ岡遺跡に向かった。 以下、番号順に下記のように見学した。 1亀ケ岡遺跡-2縄文館-3十三港(安東氏遺跡見学)-4小泊(太宰治とたけの思い出の場所散策)-5龍飛岬(階…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その23 太宰治疎開の家を見学 

太宰治の生まれ育った金木町の旅も最後となる。   津軽三味線の音が耳に残っている中で、黄星印の津軽三味線会館から、金木町での太宰治の最後のゆかりの場所である赤星印の旧津島家新座敷(太宰治疎開の家)まで、赤矢印の道を通って歩いた。 ここは、大正11年(1922年)に太宰の兄文治夫婦の新居として建てられた津島家の離れで、現在地…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その22 津軽三味線を体験 

芦野公園を後に、1時半からの津軽三味線の生演奏に間に合うように、少し急ぎ足で津軽三味線会館(斜陽館前)に向かった。  ここで、午後1時半から2時までの30分間、津軽三味線の生演奏を聞いた。  演奏者は津軽三味線まんじ流家元の「工藤まんじ」氏である。 「工藤まんじ」氏は津軽三味線の世界では有名な方らしく、その活動歴ではエレキ…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その21 芦野公園で太宰と遭遇

激馬かなぎカレーの昼食の後は、1時半からの津軽三味線会館(斜陽館前)での生演奏までの時間、芦野公園を散策することにした。  津軽鉄道の踏切を越え、道なりに芦野公園の中を散策して行く。 黄色で囲った津軽三味線発祥の地碑、太宰治像、太宰治文学碑の順に見学した。 まず、津軽三味線発祥の地碑である。 津軽三味線創始者の神…
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津軽街道をゆく(2013年の旅) その20 喫茶店「駅舎」で昼食タイム

芦野公園駅に到着である。 太宰治の小説『津軽』の中で、金木町の町長が上野駅で芦野公園駅までの連絡乗車券を購入しようとした所、出札係員に「そんな駅はない」と言われ激昂し、押し問答の末とうとう発券させたというエピソードが紹介されている田舎の小さな無人駅である。  小説「津軽」の中ではこんな名場面が登場する。 「窓から首を出してその…
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