テーマ:韓のくにの旅

韓のくにの旅 韓の国の旅その47 「韓のくにの旅」の終了(目的はすべて達成した、感謝)

 「韓のくにの旅」と僕のブログで題して旅した、阪急交通社企画の『秋の観光ベストシーズンにいく「こだわりの韓国大周遊5日間」」の旅』は赤字3の南大門市場の見学で終了である。  南大門市場は東大門市場と並ぶソウル二大市場の一つで、近くに繁華街で有名な明洞がある。  南大門(僕の旅行中は火事で消失し、門は復旧工事中)のあたりに開けた市場である…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その46  インサドン物語

 どしゃぶりの宗廟見学の次は赤字2の仁寺洞(インサートン)。 周ガイドは朝一のバスの中で、ここインサートンでは「各自の自由散策」としたいと説明していた。 雨は小降りになり、傘をさしたりささなかったり、外をしっかり歩ける天候にまで回復していた。 周ガイドは  「今まではツアーの決めた日程で、ツアーの決めた食べ物を食べる。でもそれではみなさ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その45  宗廟を見学 その3

 正殿へ行く頃から、雨足が本降りとなって来た。  あまりに雨の勢いが激しいため、正殿の屋根の下で雨宿りをしているツアー客もいる。 宗廟の皇帝や皇后の霊たちの怒りかなどと本気で考えてしまいそうな程の雨足。   その雨の中、韓国人の日本語ガイドは、正殿前にスックと立って、正殿の説明を非常に懇切丁寧に、わかりやすく話してくれた。ここからは彼女…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓の国の旅その44  宗廟を見学 その2

  ⑤の斎宮で王と王子は祭祀を行なう準備をするために沐浴をし、衣冠を整え心身を清め、御斎室と呼ばれる建物に進み、祭礼の準備をした。 ここにも、御路と世子路がついている。 王をはじめとする祭官は、ここでは祭祀を行う7日前から飲酒歌舞を禁止され、弔問も行かず、死刑の執行や宣告もせず、また夫婦が床を共にしなかったという。  御斎室の中を覗いて…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その43  宗廟を見学 その1

 ソルランタンの朝食後、バスに乗ってまず赤字1の宗廟を見学となった。  ただ、この頃から雨足が怪しくなり、バスを降りて宗廟に向かう頃にはりっぱな本降りとなっていた。 この4泊5日のツアーで初めての悪天候、今までの4日間は全て好天に恵まれていた。  そして、宗廟のガイドは周相希からここを専門的に案内するガイドに変わった。  彼女はこの悪天…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

 韓の国の旅 その42 韓国最後の朝はソルランタンの朝食

 特2級のソウルキャピタルホテルの部屋はこざっぱりとした綺麗な部屋だった。   ベッドも枕が二つ置いてあるダブルベッドで、気持ちよく眠れそうだった。  この部屋で悪戦苦闘の結果、どうやら旅行用スーツケースに、衣類などの持参品や土産物等を全て詰め込んだ。  黒いスーツケースにはソウルの土産物店で購入した安東焼酎まで入っている。   もっと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓の国の旅その41 ウォンハルモニ本家でボッサム その後は?

 お土産購入のため、30〜40分程民芸品店に立ち寄った後、僕らは韓国100選レストラン「ウォンハルモニ本家」(ウォンおばあちゃんチェーンの本店)で、ボッサムを食べた。  ボッサムは茹でて余分な脂をすっかり抜いた豚肉を新鮮なキムチでくるくる包んで食べる料理のこと。  ボッサムのボは褓(むつき)という漢字を書くが、ようは風呂敷の意味で、サム…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その40 世界遺産の昌徳宮を見学 その5 王と王妃の寝室

これが「大造殿」の正門「宣平門」。  通常ならばここから入ってくるのだが、僕らの周ガイドは近道して、ここを通らずに、目的とする王の普段生活する部屋の前で待っていた。  大造殿(デジョジョン)は王と王妃の寝室のある寝殿であり、王とその家族が日常生活をしていた宮殿である。この建物の特徴として挙げられるのが、屋根に棟瓦がないこと。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓の国の旅その39 世界遺産の昌徳宮を見学 その4 宣政殿や御車庫(オチャゴ)

 仁政殿の右どなりに進むと、現在韓国に残っている唯一の青い瓦の宮殿で有名な宣政殿が見えてくる。  宣政殿は王の公式の執務所で、国事を議論したり、学者や官僚が儒教の経典や歴史を勉強したり、儒生たちを集めて試験をしたり、宴を行った重要な建物。この辺まで来るとほとんど方向感覚がおかしくなっているので、再度現在位置等を確認する。  昌徳宮の全体…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その38 世界遺産の昌徳宮を見学 その3 仁政殿

 仁政門を入ると、正面に仁政殿が圧倒的な迫力で待ち構えている。  仁政殿では王の即位式や臣下の礼、外国使臣の接見などの重要行事が行われた。  その前の広大な広場には石が敷かれていて、仁政殿での王の即位式や臣下の礼、外国使臣の接見などの重要行事がここで取り行われた。 そこには正一品から九品までの位階に従って列するための石柱が左右に並ん…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その37 世界遺産の昌徳宮を見学 その2

 敦化門傍で周ガイドから景福宮や昌徳宮など4宮の概略を聞いた後、周ガイドに続いて錦川橋方向へ向かった。 国王が儀式を執り行ったり執務をしたりする建物へ行くには、錦川橋を渡らなければ行けない。  錦川橋は大韓民国最古の橋とされていて、こんなアーチ型の橋。この下には水のない川が造られていて、橋の下には石造りの亀までいた。(偶然ビデオカメラに…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その36 世界遺産の昌徳宮を見学 その1

 高句麗鍛冶屋村で10月21日(日)の午前中の日程を終えたが、バスに戻ると、窓ガラスに石が当たったのかそれとも誰かに石を投げられたのか、1枚の窓ガラスに細かくヒビが入って危険な状態になっていた。  バスの交換が必要ということで、別のマイクロバスが来るまで30分以上待たされた。阪急旅行社の韓国担当者と携帯で直接やり取りしたり、別の車を頼ん…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅 その35 韓国(朝鮮)の祖型はツングース系民族 

 鍛冶屋村では高句麗が主役だったが、ここで高句麗が活躍した古代朝鮮に触れ、朝鮮という地帯を少しでも理解してみたい。  7世紀の大陸と朝鮮半島と日本の政治情勢を見てみると、大陸では随が滅び唐となった。 朝鮮半島では高句麗、百済、新羅の3国が凌ぎを削っていた。 日本は聖徳太子の時代を経て大化の改新へと進んでいく。  朝鮮半島に住む朝鮮…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その34  高句麗鍛冶屋村を見学その3 太王四神記

太王四神記の導入部は、この檀君神話をモチーフにしている。 はるか昔、地上は火の力を持つカジン率いる虎族に支配されていた。横暴な虎族の支配に心を痛めた神の子桓雄(ファヌン)は地上に降り立ち、人々が平和に暮らす国・チュシン国を創る。しかし、国を奪われたと感じたカジンはチュシンの民を襲う。桓雄は争いをなくすために、カジンから火の力を奪い、熊…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その33  高句麗鍛冶屋村を見学その2 檀君神話

村を見学しながら、太王四神記の話を進めていこう。物語の主人公であるタムドクという人物は、檀君神話から発想が出ている。檀君神話については歴史認識問題ということで諸説が流れているので、学問的に解釈したということで、島根大学外国語教育センターの関連記事から借用する。 太古の昔、桓因(ファンイン)という天帝の庶子に桓雄(ファンウン)がいた。桓…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その32  高句麗鍛冶屋村を見学その1

ソウルの北東に位置する「シェラトングランデウォーカーヒルホテル」のすぐ裏に、九里(クリ)市が運営している「高句麗鍛冶屋村(韓国語:テジャンガンマウル)」がある。ペ・ヨンジュン主演ドラマ「太王四神記」や「快刀ホンギルドン」、「シークレット・ガーデン」、「善徳女王」、「風の国」の撮影地として有名。2008年4月25日に開館。もともと九里(ク…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓の国の旅 その31 周ガイドが語る大統領汚職と光州事件

 バスの中では例によって周ガイドの一人舞台となった。周ガイドはここで、イ・ミョンバク大統領の汚職と光州事件について話した。 イ・ミョンバク政権はもうガタガタで、イ大統領の近親、側近、政府高官が続々と汚職で逮捕され、次男は既に刑務所入り。イ・ミョンバクは政権の長くないことを知っていて、長男名義で莫大な財産の隠蔽を企てているなどなど、スゴイ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その30  大邱で郷土料理タロクッパを食べる 

 「韓のくに紀行」4日目の朝、具体的には2012年10月21日(日)の朝、大邱プリンスホテルを午前7時半に出発し、市内のレストランで大邱郷土料理のタロクッパ(牛肉のクッパ)を食べた。 クッパとはスープの中にご飯が入っている料理を言うが、タロクッパは、タロ(「別」の意味)という名前の通り、ご飯とスープが別々に出される。  1950年の朝鮮…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓の国の旅その29   サムギョプサルの夕食後大邱で宿泊

 海印寺観光を終えると、僕らは大邱に戻って、大邱のレストランでサムギョプサルの夕食となった。  サムギョプサル(三겹살、삼겹살)とは韓国の肉料理のひとつ。「サム」は数字の3、「ギョプ」は層、「サル」は肉を表し、日本でいう三枚肉すなわちばら肉の意味で、「サムギョプサル」と言えばこの豚の三枚肉の焼肉料理のことを指す。  食べ方だが、まず肉を…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓の国の旅その28  世界遺産、海印寺の見学を修了

 八万大蔵経板殿を見学すれば、もう海印寺を降りるだけである。  もう一度じっくり、今日の日程のメインとなる大蔵経板殿を目に焼き付けた。  朝鮮民族の宝物を保管している保管庫の役目の重要な建物、これからも火災等の災害に遭わないことを祈念した。  大蔵経板殿の向かって左の坂道を降りて行く。  途中で周ガイドが足を留めて寺に関わるエピソードを…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓の国の旅その27  世界遺産、八万大蔵経板殿を見学  その2

 続いて、蔵経板殿の説明に入っていく。  海印寺蔵経板殿は、13世紀に作られた世界文化遺産の高麗大蔵経板8万1258枚が保管されている宝庫として、海印寺に現存する建築物の中で最も古い建物。  蔵経板殿は、正面15間もなる大きい規模の二軒の建物が南北に並んで配置されている。蔵経板殿の南側の建物が修多羅蔵、北側の建物が法宝殿と呼ばれ、東側と…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓の国の旅 その26 世界遺産、八万大蔵経板殿を見学

 九光楼の奥へ進むと、海印寺本殿となる大寂光殿が正面に見える。  韓国寺院の特徴である青銅色の塗装がなされた大きな建物であり、毘盧遮那仏が安置されている。  これは海印寺三層石塔で、石塔の高さは6mあり、統一新羅時代のものである。この石塔は仏像を奉っていて、石塔の周りを回りながら礼拝儀式を行う。三層の石塔も灯籠も何度か倒壊に…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その25  海印寺本殿に入る 

 まず、鳳凰門である。 海印行叢林と書いてある下に、鳳凰門と記されている。両側に金剛力士、中には四天王の画を配置してあり、天王門(チョナンムン)とも呼ばれている。  続いて、解脱門をくぐり抜ける。これもまた、東海園宗大伽藍と書いてある下に、解脱門と記されている。現世の苦悩から抜けだして自由の境地に達するという意味を表している門で、ここを…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓の国の旅 その24 海印寺の美しい参道風景を歩く

 広大な伽揶山南麓に広がる海印寺、その山道を歩き気持ちよさは、この旅随一のものだった。横断幕のハングル文字は何を書いているのか丸で見当もつかない。 儒教の優等生として育った国にしては、同じ漢字圏の国への気配りが足りないとも思ったが、このハングル文字のため漢字国の日本人から見ると、一段と韓国は近くて遠い異国情緒満載の国となるようである。右…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓の国の旅その23 韓国三宝寺刹の一つ「海印寺」の参道を行く

 仁川、水原、龍仁、忠州(丹陽)、安東、慶州と韓国の旅は行程を進めてきて、これから大邱を超えて、伽揶山南麓の海印寺の見学へ向かう。  海印寺は韓国三宝寺刹の一つで、1995年12月には世界文化遺産に指定された。新羅第40代哀荘王3年(802年)の時代、順応と利貞の二人の僧によって創建された寺院である。  海印寺バスターミナルに到着すると…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その22 東洋会館という慶州料理の店で昼食

 慶州の地で司馬遼太郎の「韓のくに紀行」を思い出しながら旅は進んでいく。  午後からはこの旅一番のハイライトとなった世界遺産の海印寺(해인사、ヘインサ)の見学が待っているが、その前に慶州の街へ戻って昼食となった。昼食場所は、東洋会館という慶州料理の店で、豆腐キムチチゲか味噌チゲがメインの食事となる。  ここの場所だが、昨日韓国宮廷料理を…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その21 「韓のくに紀行」のもう一人の重要な主人公、鬼室集斯 

 もう一人の重要な「韓のくに紀行」の主人公が、鬼室集斯(きしつしゅうし)。  こちらは沙也可とは逆で、日本の古代史上重要な白村江の戦いで敗残し、日本に亡命した百済人である。  白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)とは、663年(天智2年)8月に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、倭国・百済遺民の連…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その20 司馬遼太郎「韓のくに紀行」の最も重要な登場人物沙也可のこと 

 司馬遼太郎の「韓のくに紀行」での目的は、「日本とか朝鮮とかいった国名もなかったほど古い頃、お互いに大声でしゃべりあえば通じた、お互いに一つだと思っていた大昔の頃の気分を、韓国の農村などに行って味わいたい。」ということだった。  そういう気分を少しでも味わいたいなら、街中が史跡と化している慶州の街を、1日でもいいから計画もなしにのんびり…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓の国の旅その19 「極楽浄土」を現世に具現した「仏国寺」見学(k)

 次は石窟庵と合わせて世界遺産として登録されている仏国寺の見学。  仏国寺の創建年度には諸説があるが、「三国遺事」という史料によると、西暦751年に統一新羅の時の宰相、金大城(キム・デソン)が現世の両親のために建立したという記録が残っている。  仏国寺には新羅仏教芸術の傑作と称えられる7つもの国宝が現存。1995年にユネスコ世界遺産に登…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

韓のくにの旅 韓の国の旅その18 世界遺産の石窟庵(ソックラム)を見学

 これから石窟庵(ソックラム)に行く。  石窟庵(ソックラム)は、大韓民国慶尚北道慶州市にある仏教遺跡。吐含山の麓にある。元々「石仏寺」と呼ばれていたが、「石窟」「趙家寺」などを経て、「石窟庵」と呼ばれるようになったのは日本時代以降である。1962年12月20日、大韓民国国宝第24号に指定された。また、1995年に石窟庵から約4キロメー…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more